言つた、なん[#「なん」に傍点]です……いつさい親戚づきあいはしない――つまり義絶と言つた……ですから、まあ――いえ、念のため私、みな寄つて見るには見ましたが、やつぱり、ズット見かけない――」
「そうですか。ようござんす。とにかく私にできるだけ、搜してみましよう」
「それでは、どうか、よろしく……もしなん[#「なん」に傍点]でしたら、私の勤務先の方へお電話をいただければ―」そう言つて小松敏喬は或る官廳の寺社關係の部課名と電話番號を書いた名刺を、ルリの置手紙の上にのせて、席を立つた。
 彼を送り出すと、私はすぐに貴島がくれた名刺をさがし出して、そこに書いてあるD興業株式會社の所番地の大體の見當を地圖でしらべた。住んでいるのは荻窪だと言つていたが、名刺にはそれは書いてないから、さしあたり、その會社に行つて見る以外に無い。私は、仕度をして家を出た。
 電車を乘りつぎ、約一時間後――午後おそく、私はその日本橋R町の瓦礫の中に立つていた。あたり一面燒け落ちてしまつた中に、コンクリート建てのビルディングや土藏などの殘骸がポツリポツリと立つている。番號も書き出してないし、三四丁行けば繁華な街に出られるという所なのに通行人もほとんど無し、土地の人のバラック住宅もまだ建つていないので、人にたずねようも無い。しかたなく、次ぎ次ぎとその邊中の燒け殘りの建物の前に立つたり、それをグルリと※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つたり、階段をあがつてみたりして、一時間ばかりも搜した末に、やつと、コンクリートの側面全部が火にあぶられて薄桃色にこげたビルディングの二階に、それらしい事務所を見つけだした。ドアのわきにさがつている木札にD―商事會社とある。名刺にはD―興業株式會社と印刷してあるので、多少心もとないが、D―と言う名は同じなので、ともかくと思い、ドアを開けようとしたが、開かない。ノックをしても、誰も出て來なかつた。内部に人の氣配が無い。他に、ほかの事務所か、又は管理人の室でもあるかと思い、廊下をあちこちして階下へも降り、行ける所へは全部行つて見たが、人一人居なかつた。廊下の突き當りに、階上にあがる階段が有るから、あがつて行きかけると中途に、こわれかかつた椅子やテーブルを積み上げて遮斷してあつたり、木札のかかつたドアが有るから開けようとすると釘付けになつていたり、反對に、ドアもなにも無い入口が有るので入つて行くと、ガランとした室の、窓の部分が壁ごとゴボッと大穴が開いていて、いきなり青空が見え、風が吹きこんで來たりした。しかたが無いので、もとのドアの前にもどり、そのわきに積んである大きな木箱に腰をおろして待つことにした。……建物中がシーンとしている。ずいぶん永いこと、そうして待つていた。吸い過ぎたタバコのヤニで、口の中がスッカリにがくなつてしまつた。あきらめて、今日はもう歸ろうかと思いはじめた所へ、階下からコツコツと足音があがつて來て、階段口に背廣姿の男が現われ、スタスタとこつちに近づいて來た。その頃の東京では珍らしい位に高級なリュウとしたなりをして、革のカバンをさげている。四十四五歳。上品な形の口ひげとあごひげを生やしている。ジロリと私に一べつをくれてから、D―商事會社のドアを二つ三つノックした。
「そこは今、誰も居ないらしいですよ」と私は聲をかけた。「私も實は、訪ねて來たんだが――」
「やあ、そうですか――」
 男は微笑しながち振り返つた。その瞬間に、兩方で同時に相手を認めた。
「おお三好さんじやありませんか!」
「ああ、國友さん!」
 以前から笑顏のきれいな男で、ふだんの顏つきが、少しいかついだけに、ニッコリすると、まるで面《めん》を取りはらつたように、邪氣の無い顏になる。その顏でいつぺんに思い出したのだつた。十年ばかり前、或る事から懇意になり、一年間ばかり、かなり親しく附き合つていた國友大助だつた。もと、サーカスのアクロバットの藝人、その後、柔道家になり、拳鬪選手もやつたことがあると言つていたが、私と附き合つていた頃は、バクチを打つて歩いているようだつた。ひどく快活な近代的な博徒で、何かと言えばその笑顏で「いや、僕は忍術の修行をやつてる人間でしてね」と言つていた。なんでも、仲間のもめ事で、大がかりな殺傷事件をひき起し、それを最後にしてフッツリと姿をかくしてしまい、以來十年ばかり私はこの男を見なかつた。

        7

「變つた。――スッカリ見ちがえて――それに、立派なやつが生えちまつた」私はヒゲの恰好をして見せた。
「ハハハ、どうも、いけません。こういうものをなにして歩くようになつたら、おしまいです。だけど三好の旦那も、お變りんなつた。第一、ひどくやせたじやないですか?」
「いや、病氣をしたり、それに」と私は盃を口へ持つて行く眞似をし、「戰爭からこつち、これをやらない」
「さいすか」と微笑してから、小腰をかがめて眼をピタリと私の眼につけたまま……さりげないものだが、昔の例の「商賣人」の挨拶の構えで……「でも、御無事で、なによりでした」
「あんたも――」
 兩方でシンミリと見合つた。十年前の若々しい無鐡砲な互いの生活と、その頃と現在までの間にはさまつていた荒い時代の波風。それら全部への想いが互いの視線の中に在つた。……
「とにかく、出ませんか。こんな所じや話しもできない。留守のようだし、又やつておいでんなるにしても、そこいらでお茶でもひと口――」と言うので、二人はそこを出て、近くの繁華な通りの横町の、國友の顏見知りらしい小料理屋へ行つた。すぐにビールを取つて私に差しながら、
「や、奇遇ですな」
 と、昔おぼえの有る、尻あがりにわざとおどけたアクセントで言つて、一人でホクホクしている。以前もこの男は、どういう譯からか、私を、ひどく好いてくれた。
「國友さん、あんた今なにをしているの?」
「なにをしているようにみえます?」
「わからない。でも、景氣は惡くなさそうだ」
「實業ですつて、御察しの通り、今どきはあなた、すべて實業だ。そうじやありませんか」
「どつちせ、忍術修業は終つたようだな。けつこうです」
「え?」と言つたが、すぐに思い出したと見えて、フフフと笑つて、「ちがい無い! いやあ、こんなことになつて、そう言つた事にも格も法もメチャメチャになりましてね、ただもう、やらずぶつたくり式と言いますかね、つまらないようです。と云やあ立派そうですが、ありようは、こつちが時代おくれになつてしまつたんですよ。もう私らの出る幕じや無い。ハハ。だけど、旦那あ、どうして、あんな所に居たんです? あすこを御存じなんですか?」
「いや、今日はじめて行つたんだ。チョッと會いたい人があつて」
「へえ、それは又どう言う―? いや、實は、あんまり思いがけない所にあんたが居るもんだから、はじめそうじやないかと思いながら似た人だ位に思つてね。それがホントにあなただとわかつて、二度びつくりしたわけだ。じや、あすこの黒田さんを御存じ?」
「いや、知らない、黒田と言うの?」
「じや、この、まるきり、知らないんですね? そうですか」國友はグイグイとビールを飮みほして
「するてえと、あすこの誰に?」
「貴島と言つてね」私はポケットから名刺を出して相手に渡した。
「これ」
「貴島に?」と國友は名刺と私の顏を見くらべている。スット笑顏を引つこめて、眼をチョッと光らせたようだつた。
「……ふーん、貴島を御存じですか?」
「いや知つていると言う程でも無いけど、一二度僕んとこに來たことがあつてね。それが、變な事で急に逢わなくちやならなくなつて」
「すると、……なんか、もめごとですか?」
「もめごと?……いやあ、そんな事じや無い。人からチョッと頼まれて。なんでも無いんだ」
 それから國友は、なにか考えながらビールを飮んでいたが、しばらくたつてから「フム」と言つて元の笑顏になつて、
「なんか知りませんけど、三好さん、あんな男には、かかり合わん方がいいなあ」
「どうして?」
 それには答えないで、一人ごとのように、
「ロクな事あ、無い」とつぶやいた。
 國友は昔から、めつたにこんなふうな言い方をしない男だつた。どんな重大な事を語るにも、さりげない言葉で輕くイナスように言つてすます、――それが、そういう仲間の氣質と言うか習慣と言うか――その事を私は知つていた。
「すると、貴島が、なにか――? いや僕も實は貴島のことは、ほとんど知らないんだ。死んだM――友だちだが、そいつが一二度つれて來ただけでね。一體、D商事という所で、どんな仕事してるんだろう?」
「社長の黒田さん――私あチョッとひつかかりがあつて知つてるんですがね、――その、秘書だと言いますがね、まあ、用心棒だな」
「用心棒?」
 私は反問しながら、貴島のあの殆んど女性的とも言えるおとなしい人柄や顏つきを思い出していた。それと國友の言うことが、ピッタリしなかつた。
「すると、しかし、D商事と言うとこの商賣は、なんかこの――?」
「ううん、ただの、ありや、ちつぽけな會社ですよ。いずれ、あれこれと落ちこぼれの仕事をしたりこうなれば、なんと言うことはありません。ハッハ、いや私なども、こいで、昔の元氣はありません。ムチャはやれんくなつた。しようが無え、ケチョンケチョン、ボロ負けの、四等國民と相成りの、ショビタレの、ねえあんた、三好さんよ、その、忍術も使えんです!」
 醉つて來たようだが、取りとめ無い事をペラペラと言うだけで、それきり、最後まで、貴島の事には觸れて來なかつた。私は、貴島の事をもつとくわしく知りたかつたが、國友のような男が、いつたん言うまいと思つて口をとじたが最後、決して一言も言わないことも知つていた。だから、問うのをあきらめた。そして互いに現住所の所書きを交換し、再會を約して外に出た。街には既に夕闇がおりて來ていた。
 そこで別れて歸つていれば、よかつたのである。そうすればあんな事は起きていなかつただろう。
 ところが、國友に「すぐに歸る三好さん?」と問われ、そうだ、念のためもう一度D商事を覗いて行こうと言う氣になつて、そう答えると、「そいじや、私も寄つてみるか」と言うので、さつきの道を逆に、夕闇を吹く微風に醉つた顏をなぶらせながらブラブラと二人はそのビルディングへ引き返して行つたのである。

        8

 しかし、やはり、D商事には、まだ誰も戻つて來ていなかつた。開かないドアの内部には灯かげも無く、シンとしている。或いは、前に私たちが訪れた時が既に今日の業務を了えて人が去つた後だつたかとも思われる。しかたなく、私と國友は暗い廊下を外へ出た。振返つて見ると、その建物がボンヤリと白く盲いたように、明るい窓は一つも無かつた。しばらく行き、間もなく國友と別れたが、すぐ私は小便がしたくなつて道から三四歩、燒跡に踏みこんだ。國友の歩み去つて行く靴音が、しばらく聞えていた。まだホンの宵の口なのに、離れた繁華街のあたりから物音が響いて來るだけで、この近まわりは靜まりかえつている。その中に、國友の歩み去つて行つた方角から、低い話し聲がして來た。何を言つているかわからないが、二人の聲で、一方は國友らしい。知つた人にでも逢つたのかと思いながら用をすまし、私は歩き出したのだが、直ぐの小さい四つ角の所に、國友は背を向けて立ちどまつて前に立つた人影と話していた。
「じや、あのシマの事あ、君んとこのオヤジさんも知つてんだね……」あとは聞きとれない。相手も何か言つたが、「……ですよ」という語尾だけしか聞えなかつた。兩方ともおだやかな言葉の調子である。私は、追い拔いて行くのも具合が惡く、自然に國友から五六歩の背後の電柱のかげに立ちどまるような形になつた。相手の男は、國友に對して、こちら向きに立つているため、國友の影に重なつて、よく見えない。その時、その人影がスット片手を國友の肩にかけるようなことをした。國友が「ア!」と低く口の中で言つたようだ。そのまま相對したまま二人は、しばらく動かない。
「……失敬しました」相手が低く言つて、ポケットから、ハ
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