こう!」
と言つて立ち上りました。それから、Mさんは急に火がついたように、あわて出されたのです。その姿は實に眞劍で、そして眞劍であればあるほどコッケイに見えました。その晩、まるで驅けるようにして、あちこちとMさんは僕を引つぱり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]されたのですが、しまいに、
「ダメだ! もつと早く、なぜ言わないんだ、バカ! しかし、そうだ、君の出征は明後日だから、まだ明日一日ある。よし! 明日、君んとこへ行くから待つていろ!」と言われて、別れて、そして、その次ぎの日の午後、又Mさんに連れだされ、方々歩きまわり、その途中であなたの所に寄り、その後、夜おそくなつて、變な所で僕はその女に逢わされたのです。
29[#「29」は縦中横]
その晩の自分の氣持がどんなものであつたか、今思い出そうとしても、僕自身にもハッキリしません。
第一、Mさんを僕がどんなに尊敬していたにしろ、そんな變テコな目的(?)を持つているMさんの後からノコノコついて歩いた自分の量見がわからないのです。Mさんの調子はホントに眞劍でした。あなたも多分ごぞんじのように、あの人は、ホンのチョットした遊びをするにも、それに全身を打ちこんで無我夢中になつてやれる人でしたが、あの晩の調子と來たら何かギラギラと燃えているような具合で、イライラと、あわて切つて、僕が何か言つても耳にも入れてくれないのです。例の通り酒は入つているようでしたが、フザケたような所は無くなつていました。「もういいじやありませんかMさん! 僕あ、もういいですよ!」と僕が引きとめにかかろうものなら、眼を怒らして、
「グズグズ言うな! 生れて來たからには、人間として飮みほすべき盃だけは、全部飮みほさなきやならんのだ。だまつて、ついて來い!」
僕をどなりつけるMさんの顏に何かホントに嚴肅と言つてもよいような影が差しているのを僕は見ました。……僕はだまつてくつついて行くしかありませんでした。
それに、僕の中にも性慾はあるのですし、前にも書いたように、童貞を尊重したりはしていないのですから、女を知るという事に興味を持つていなかつたなどとは言えない。案外心の底の方では、Mさんの言う通りになつて見ようという氣が動いていたのかも知れません。いや、たしかに、動いていました。ウズウズと、どこか自分の身體の隅で、それを望んでいたようです。それが性慾であつたか、それとも生きて歸ることを全く考えられない出征を前にして、一つの點を打つ、又は切開手術をすると言つたふうの慾望であつたか、そのどちらであつたか。いずれにせよ、たしかに、僕自身が望んでいたにちがい無い。そうでなければ、いかにMさんが僕の首根つこをつかまえるようにして連れて行つたにしろ、本氣でそれを僕がイヤだつたのならば、ふりもぎつて逃げ出してしまうことができない筈は無かつた。
それに、もう一つ、Mさんがあんまり一所懸命になつていられるので、それをハズしてしまうのが、なんだかすまない――と言うよりも、Mさんが可哀そうなような氣が、正直のところ、ありました。
そんなふうな、アヤフヤな氣持のままで連れて歩かれている間に、あちこちで強い酒をずいぶんたくさん飮まされ――それも最初からのMさんの計畫の中に有つたらしいのです――最後に、たしか澁谷あたりの小料理屋を出て、小型のタキシイに、肩を抱かれて掻きのせられた時には、泥醉に近く、自分がどこに居るのやらわからないような状態になつていました。自動車が走り出しても方角など、まるきりわかりません。當時、東京が空襲を受けはじめたばかりの頃で、燈火管制がムヤミにやかましく言われ、それが例の通り必要以上に行き過ぎて東京中がなんでも無い時まで眞つ暗な時分でした。ルームライトはもちろん消してあり、布をかぶせたヘッドライトが、螢の火のように二三間先きの路面をボンヤリと照しているきりで、窓から兩側を見ても、ほとんど燈火が見えません。Mさんは默つています。自動車の停つた所が、どの邊であつたかまるで見當がつきませんでした。ただ氣配で、東京の中心部あたりのゴミゴミした町中であることだけがわかりました。やつぱり銀座裏か京橋へんではなかつたかと思います。
自動車が停るとMさんは、醉つてグダグダになつている僕を肩にかつぐようにして車から引き出し、暗い露路の奧へ奧へと、角を二つばかり曲つて行き、或る家の戸をドンドン叩くと、内から女の聲がして、やがて狹いドア(――たしか、西洋式のドアでした)が内から開きました。外部にも内部にも燈火は無いので、その家の樣子も、内からMさんに話しかけた女の人の姿も、まるきり見えませんでした。しかし前もつて話してあるらしい加減で、その女に向つてMさんが早口で何か言つているようでした。「ゆんべ話した美少年だ。……頼みますよ。明日出征するんだ。……可哀そうじやないか。ね、わかつてくれ。死ぬんだ、もうすぐ。頼むよ、おれの弟だと思つて……いやいや、別にどうと言つて、どんなふうに遊ばせてくれてもいいんですよ。……どうか好きなように……」そんな言葉が、フラフラしながらMさんにつかまつて立つている僕の耳に殘りました。すると女が何か答え、Mさんが、家の中へ僕を突き入れるようにして、自分は小走りに立ち去つて行つてしまつたようです。
「どうぞ……」
と小聲に言つて、僕の身體を抱き取つたのは、聲の調子やなにかで、中年過ぎの女だつたようです。ムッと、一種の匂いが僕を包みました。もう夜なかを、とつくに過ぎた時間だつた筈で、その女もいつたん寢どこに入つた後でMさんに叩きおこされたのではないでしようか。寢どこで暖められた匂いのようでした。……もちろん、こんな事をその時の自分が考えたりしていたのではありません。すべてが、後から切れ切れに思い出したことを書いているので、その時は醉つているし、眞つ暗だし、半ば無意識で、夢を見ているようでした。どんなふうにして、その家にあがつたのか、どんな所を通つてその室に入つたのか、全く記憶が無いのです。それから、僕は、いつときグッスリと眠つたらしい。
今度眼がさめたら、フトンの中に横になつていました。わきに誰か一人寢ているんです。女でした。最初のとちがつた、若い女です。匂いがちがいます。それに、暗い中で身じろぎをする身體の調子もちがいます。
女は僕が眼をさましたのを知つたのか、半身を起して、枕元に置いてあつたらしい水さしからコップに、コプコプと言わせて水をつぎ、默つてコップを僕に渡してくれました。それを飮みながら、女の方を見ると、まつ暗なので顏も姿も、まるで見えませんけれど、それでも眼が馴れたか、暗い中にもう一段黒く、かすかに頭髮のシルエットと、それから薄白い顏のリンカクと、その下に肩と胸らしい所が見えました。と言うよりも、後から思い出して、そんなものを見たような氣がしただけかもわかりません。いやたしかにそうです。ホントに見たのであつたら、その顏を、もうすこしハッキリおぼえている筈です。それがまるきりおぼえが無いのですから、やつぱり見たような氣がしただけです。
そのくせ、その瞬間に、女が肩も胸もむき出しの裸になつていることが僕にわかつたのは、どういうわけでしよう? 動物本能と言つたようなものでしようか? しかも、肩と胸の、フックリと盛りあがつた白さまでも、たしかに見たような氣がするのですから變です。……女は裸でした。そしてヒョイと氣が附くと僕自身も、いつの間に脱がされたのか脱いだのか、着ているものを全部捨てて寢ていたのです。不意に僕はドキドキして、どうしてよいかわからなくなりました。無意識に起きあがろうとしました。すると女が默つたまま、ツと寄つてのしかかるような加減に、冷たい、そのくせシットリと汗ばんだような腕を僕のワキの下から背中へ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して、乳房を僕の胸にピタリと附けて來ました。僕は息がつまつたようになり、急に身體がふるえ出したようです。泣きたいような死んでしまいたいような、ミジメな氣持がしました。すると女が、身體を弓なりに反らすようにしながら、僕の背中にまわした腕を下の方へだんだんさげて行きます。何か強い匂いがしました。ベトリとしめり氣のある肌でした。氣が附くと女もブルブルと全身ふるえています。あるいは僕自身のふるえを、相手までふるえているように感じたのかも知れませんが、でも、たしかに女もいくらかふるえているようで、それをこらえるためでもあるかのように、兩脚にグッと力を加えて來ました。僕の身體が、どこだか知らないがギリッと痛みました。次に頭がボーッとなつて來たことを憶えています。
…………………
それから、どんな事が起きたのか、おぼえていません。
いえ、ここまで洗いざらい自分の恥を言つているんですから、そこの處を書くのを避けようとしているのではありません。絶對にそんな事はありません。ホントにおぼえが無い――と言うよりも語りようも書きようも無いのです。おぼえが無いと言うのはウソです。しかし、そこには、語るべき事はなんにも有りません。アッケないと言つても、どう言えばよいのか、ほかの人も最初はみんなこんなもんなんでしようか? そこには全部があるようでいて、しかも、なんにも無いようなんです。なんという馬鹿な事を人間はするものだろうと言う感じもしましたし、同時に、なにかもう、人間に出來る事はこれで全部しつくしてしまつたような感じもしました。
正直に言います。完全な射精がありました。一瞬間の恍惚がありました。しかし、快感らしい快感は、ほとんどありませんでした。
女は僕の身體の下に死んだようにジッとしていました。その顏が僕の鼻の先きに、ホンノリと浮んでいました。線の細い、やせがたの面長の、美しい顏を見たような氣が僕はしたのです。間も無く默つて起きて、どこかへ行きました。考えてみると最初から、女はズッと默つたきりで、一言も口をきいていません。どこの何と言う、そしてどんな女だろう?……僕は、なにか虚脱したような無感覺な氣持であおむけに寢ながら、無意識のうちに女が戻つて來るのを待つていたようで、そうなれば女の正體もひとりでにわかるだろう事を豫期したやうです。しかし女は、いつまで經つても戻つて來ませんでした。そのうちに、とつぜん僕は耻かしくてたまらなくなりました。こんな所で見も知らない女とこんな事になつたことも、その相手を又待つているという事もです。カーッと全身がほてつて、とてもガマンが出來なくなつて來たのです。このまま歸つてしまつては、いけないような氣もしたのですが、とても一刻もジッとしてはおれなくなつた。
それで逃げ出したのです。枕もとを手さぐりすると僕の洋服がそろつていたので、それを順序もなにもメチャメチャに着けてから、暗い中を四五歩行くと壁に突き當つたので、壁に添つて手さぐりで横に歩くと、出入口のフスマらしい箇所が有るので、そこを開け、廊下に出て、壁を傳つて三つばかり曲つて行くと低くなつているので降りるとタタキ。入つて來た時の心おぼえがいくらか殘つていたのか、タタキを左手へ四五歩行くとドアが有つて、引くと直ぐ開きました。僕がタタキに降りた時に、すぐわきの部屋で人の氣配がして、女の聲が何か呼びかけました。最初の中年の女のようです。しかし僕は答えませんでした。女にも僕を引きとめる氣は無いようです。その氣があれば、勝手を知らない僕がマゴマゴしている間に、それが出來た筈です。後で考えると、どうも、最初から先方では僕が歸りたくなつた時に勝手に歸られるように、はかつてあつたらしい。
僕があの時もうすこし落ち着いていれば、あの家がどんな家で、どこに在つて、そして僕の相手になつた若い女が何と言う女か――どうせハッキリした事はわからないにしろ、或る程度の手がかりになる位のことは掴んで歸られた筈です。しかしあの時はただもう人から顏を見られたり言葉をかけられたりするのが耻かしくて、ただもう一刻も早くその場から逃げたい一心で、そんな事を考える餘裕は
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