らを正直にブチまけて私に話しました。私は、もうかなり前から、あんなふうな世界にゴロゴロしてつまらぬ事ばかりやつて暮す生活に飽きていました。それに、僕には新しい目的――とは言えないかも知れません、ただボンヤリと自分が差し當りやつて見たい事――が生れて來かけていたのです。ですから黒田の話をスナオに受けて、その晩から誰にも知らせずに行方をくらましてしまつたのです。半年ぐらいの間は、一人きりであちこちと旅行したり、自分の好きな事をして歩くだけの金はあります。
 その間僕は、あちらこちらから、あなたに手紙を出そうと思つています。その理由は、前に申し上げました。僕はあなたを好きなんです。
 それに、今言つた僕の新しい目的みたいな事があります。それが、あなたに關係が有るのです。あなたと言うよりもMさんにです。
 これまで、あなたに僕が話したり、それから横濱から出した手紙など、みんなウソです。いえ、ウソと言つても、その中で僕は積極的にウソをついたのではありません。ただ自分の一番ホントの氣持を言わないで、どうでもよい事ばかりを言つていたと言う意味なんです。
 それを、かくしたい氣持は僕には有りませんでした。しかし何か、恥かしくてこれまで言えなかつたのです。今でも恥かしいのですが、當分あなたにはお目にかかれないし、お目にかかろうと思つても出來ない境遇に僕はいるのですから、思い切つて言います。そうしないと、これから先きの僕のことがあなたにわかつていただけないだろうと言うこともあるのです。僕はあなたから笑われ、輕蔑されても、かまいません。しかし、僕のことを、きらいになつてだけは下さいますな。
 僕は、或る一人の女を搜しているのです。
 その女は、僕が男として生れてはじめて肉體關係を持つた――つまり僕の童貞を與えた女です。現在僕が置かれた境遇を利用してここ當分搜して見ようと思つています。
 僕は、その女の名を知りません。はじめから知らないのです。おかしいことだとあなたは思われるでしよう。しかし、名だけではありません。僕はその女の顏も、よくおぼえていないのです。
 實に、恥しい、コッケイなミジメな氣持がして、僕は泣きたくなります。しかし事實そうなんです。僕が僕の童貞を與えた女は、どこの誰ともわからない女なのです。……もう少し詳しく書いてみます。

        28[#「28」は縦中横]

 …………
 こんなふうに言いますと、僕が童貞というものをひどく尊重していたように取られるかも知れません。しかし、ちがいます。僕はかくべつ尊重はしていませんでした。一般的に言つても、そんなに大事なものであるとは思つていなかつたのです。今でも同じです。
 だつて、そうではありませんか。誰にしたつて生れたままでいれば、そうなんですもの。「童貞」などという言葉で言うから立派そうに聞えますけど、それはあたりまえの、何でも無い事です。人間も動物です。或る時まで童貞で、それから或る時に童貞でなくなると言う事は、動物のすべてに起きる事で、尊重する必要も輕蔑する必要も無いと思うのです。僕は童貞なんか、どうでもよかつたのです。と言うよりも、それまで、ほとんど自分が童貞であることを意識することさえも無く過して來たと言うのが當つています。ですから、あの晩――と言うのは、僕が出征する三日前の晩です。そしてその次ぎの日の宵の口にMさんは僕をあなたの家の門口まで連れて行かれたのです。つまり、あの前の晩です――Mさんから聞かれるままに僕がまだ女を知らないことを何の氣も無く話しました。そしたらMさんが、いきなり眼をむいて、
「え! 君あ、すると、童貞かあ?」
 と大聲を出して、びつくりされたので、實は、僕の方がかえつてびつくりしました。
 前にも書いたように、僕は父の手ひとつで嚴格に育てられました。いえ、父は別に僕を嚴格に扱つたのではありません。僕も又、父のやりかたを嚴格だと感じたことは一度もありませんでした。父はむしろ、一人息子の僕を、ただ舐めるようにして可愛がつて育てただけです。ただその父がおそろしく剛直な古武士的な人間だつたために、自然に僕を可愛がる可愛がりかたが、ひとりでに「サムライの子」の育てかたになつたわけです。――ですから、僕が自分の育ちかたが嚴格なものである事に氣附いたのは、十八か十九になつてからでした。
 とにかく、そんなふうに育てられ、乳母だけは知つていますが、自分の身近かに女の人が一人も居ませんでした。親戚には女の人は居ましたが、そんな所とあまり親しく交際もしませんでした。青年になるまでの僕の視野には、ほとんど女の姿は現われなかつたのです。今でも僕は女の人をあまり近くで見るとドギマギしてしまつて、どうしてよいかわからなくなり、自分には理解することのできないものを突きつけられたような氣がするのです。
 もちろん小説などは、十七八の頃から相當讀んでいましたので、女についても、戀愛や性慾のことも知つてはいました。友だちの中にオナニズムを盛んにやつている者もいて、その事も僕は知つていました。ですから頭だけでは、時によるといろんな妄想を描いて見たりすることもありましたが、それをどんな形でも實行して見る氣にはならなかつたのです。決してそれは倫理や道徳などから來る考えによつて、自分をしばつていたのではありません。父の教育のせいでもありません。父は、それこそ、どんな事でも僕を強制したり、「これこれをしては、いけない」などと言つたりした事は一度も無かつたのです。まるで自然にそうなつていたのです。劍道や柔道やその他の運動に熱心だつたせいで、そんな事の方へ頭が行くことがすくなくなかつたためもあります。(僕は劍道は三段で柔道は二段です)。それから世間で言う「オクテ」のひどいのらしいのです。頭の進みかたよりも、身體の進みかたが、ひどくおくれています。いや、僕の頭の進みかたなどと言うとコッケイですが、僕の言つているのは、身體の進みかたに較べての話です。もしかすると僕の生理には、どこか缺陷が有るのかも知れないと思つたことも二三度ある位です。
 とにかく、そんなわけで、僕はそれまで女を知りませんでしたし、知ろうとも思いませんでした。ですから、Mさんから、そんなに言われて、かえつて僕の方がびつくりしたわけです。
 それは、Mさんが僕のために開いてくださつた壯行會の席上でした。壯行會と言つてもチャンとしたものでは無く、Mさんが「君のための壯行會だから、ついて來い」と言われて、小さな飮み屋につれて行かれたのですから、席上にMさんの知り合いの女や男が三四人居たのですが、それらは偶然にそこでいつしよになつただけの人々で、ですから、ホントの出席者は僕とMさんの二人きりの壯行會でした。Mさんは、既に醉つていられました。あなたも御存じだろうと思いますが、あの頃、Mさんは、仕事以外の時はほとんどいつも醉つていられました。
 Mさん自身の家庭生活が何か非常に亂れていたらしく、苦しんでいられた。その上に、戰爭というものに對して腹の底から悲しみ怒つていられた。あの人は理窟は言われませんでした。又、頭の中に理論的なものを、シッカリ持つていた人ではなかつたと思います。しかし、なにかとても大きい豐かな人間性と言つたようなものを持つていた人で、そのために本能的に進歩的な人だつたし、戰爭嫌いでした。ですから、日本のはじめた戰爭を始終怒り、そしてそのために同胞が、特に青年たちがドンドン死んで行くのを悲しんでいられた。戰局が次第に激しくなつて來るにつれて、酒でも飮んでいなければ、とても耐えきれなかつたのでしよう。醉うと、よく、泣いたり怒つたりしました。
 その時も僕の顏を穴のあくほどシゲシゲと見ていてから、
「それで、それで君、貴島! 君あ、それで出征する氣か?」と、せきこんで言われました。
「ええ」
「ええ? ええだつて? それで、なんともないのかい? 今、こんな戰況の最中に出征するという事は、このなんだぜ、たいがいまあ、なんだよ。知つてるな君あ?」
「知つてます。それでいいんです」
「それでいい? いいか、それで? いや、そうさ、そりや、それでいいのかも知れん。いやいや、ちつともよくは無いけど、もうこうなつたら、どつちみち、出征したつて此處いらにマゴマゴしていたつて、どつちみち、もういけないのかもしれん。だから、それはしかたが無いとして、その童貞……つまり、せつかく男に生れついてだな、このヘタをすると一人前の人間になりきれないままで、ジ・エンドだぞ。それでいいのか君あ?」
「……だつて、しかたが無いですから」
「……しかたが無い? しかたが無いんだと? チェッ! チェッ! チェッ!……そうさ、しかたが無いと言やあ、しかたが無い! バカだ! うん、バカヤロウだよ君あ! いやいや、バカヤロウは君じやない、バカは日本だ! おれたちの、この日本だ! チキショウ! だからよ! なぜ、なぜ、それを君は、もつと早く言わない。もつと早く、なぜ俺に言わないんだ、バカあ!」
 ガツンとテーブルを叩いて怒り出されたのです。それから、ガブガブと強い酒をあふりながら、ワケのわからぬ事を言つて怒つていられましたが、しばらくすると、今度はボロボロ涙をこぼしていられるのです。
 僕は困つてしまつて、どうしてよいかわからず、だまつて腰かけていました。
「……悲しいなあ貴島! 青年は悲しいなあ」
 そう言つて、燈火管制のための蔽いをかけた電燈の、薄暗い光の中で、僕をジッと見られました。以前、新聞などで「新劇の團十郎」と言われたという面長で彫りの深い、それこそどんな人物の性格や心理でも、この顏でなら表現できないものはあるまいと思われる造作の顏いつぱいに、ほとんど少年のような純粹なアケッパナシの悲しみを浮べながら、頬は涙でぬれていました。それを見ていて、僕も泣きたくなりました。
 Mさんは直接には、僕の童貞のことを言つているのですけれど、しかし、ホントはMさんはそんな事を言つているのでは無い。もつと深い、もつと、どうにも出來ない、われわれ全體の運命のようなものの事を言つている。愚かしい殺し合いのために、青春が浪費されている。………それなんです。それが、くやしくつて、腹だたしくつて[#「腹だたしくつて」は底本では「腹たたしくつて」]、しかたが無いのです。その氣持の中にはMさん自身の青春――それは過ぎ去つたものでありながら、しかしまだMさんの中に生きているもの。なぜなら、Mさんは年こそ中年ですが、すべての點で僕らと同じ青春を持つていた人です。――その青春を惜しむ心だつたと思います。それはMさんにとつて僕の事であると同時にMさん自身の事でした。自分も人も引つくるめて、くやしくてならないのです。しかも、今こんなふうになつて來ているのに、いくらくやしがつて見ても腹を立てて見ても、一切が無駄だ。そのために、悲しみも怒りも、持つて行きどころが無く、尚いつそう深くなる。……そのようなMさんの氣持が僕にもよくわかるのでした。……そうして、見つめ合つたまま、どれ位の時間がたつたか、僕はおぼえていない。しかし、あの瞬間を忘れない。僕は忘れることができない。僕が日本や日本人を、ハッキリと意識的に愛した瞬間が一度でも有つたとしたならば、あの瞬間でした。あの瞬間だけだつた。Mさんを通して、はじめて僕は日本を愛したのだ。Mさんは俺の師でしたが、その時から師よりももつと大きなものだつた。僕の眼であつた。僕の母であつた。Mさんはあの瞬間に僕に日本をハッキリと見せてくれた。日本人である僕自身を見せてくれた。だから、自分と言うものを産んでくれたとも言える。父が無意識のうちに僕の中に育てあげてくれたものを、Mさんは見せてくれ、知らせてくれ、意識させてくれた。――
 氣が附くと、同席者のよつぱらつた男女が、Mさんが泣いているのを見て、からかつて、笑つていました。それらを睨みまわしてMさんは
「よし! 俺にまかして置け貴島! 俺の言う通りにしろ! 言う通りにしないと、きかんぞ! いいか、俺にまかせろ! 行
前へ 次へ
全39ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング