れた。後になつて考えると、これは、襲つて來た連中が前もつて坂の上あたりに見張りに立たせていたものらしく、それが、誰か人が來たか(――もしかすると巡囘の警官だつたか)何かで、それにこの場の事件を知られてはまずいと言うので知らせに驅けつけたものらしい。たちまち、電燈が消え、人と人の間に、短かい符ちようのような言葉が投げかわされ、刺されて倒れている男を一同でサッとかつぎあげるや、ザザッと風のように走り出し、闇の中に散つて行つた。
 電燈が消えた直後の、目つぶしを食つたような暗さの中だし、一つ一つがそれとハッキリ見えたわけでは無い。しかも、その迅速さが普通のものでは無い。ほとんどアッと言う間も無い出來ごとであつた。こんな事に馴れ來つた者たちの行動である。
 書けばこれだけの長さになるが、前にも言つたように全體がホンの數分の出來ごとだつた。映畫のカットバックでも見さされたように、びつくりしたり恐怖を感じたりしている暇も無かつたのである。わきを見ると久保もボンヤリと立つている。暗いので表情は見えないが、ダランと兩手を垂れた氣配に、かくべつ昂奮しているようなものは無かつた。……フッと貴島と杉田の事を思い出し、防空壕の方へ戻つて行つた。久保も私の後ろからついて來た。
 貴島と杉田も、居なくなつていた。壕の中かと思つて、のぞいて見たが、ロウソクの灯が誰も居ない壕の内側をボンヤリと照し出していた。そのロウソクを取り、壕の周圍をしらべまわつたが、やつぱり見えない。
「……どうしたんだろう?」
「そうですね……」
 ユックリ言いながら、久保は、先きほど貴島と杉田が倒れていた個所へしやがみこんで、そこの草を右手で撫でていた。その右手――まるで野球のミットのような感じのする、いつか私の見さされた、熔鐡の飛びついた跡がボツボツとえぐれている手いちめんが、ヌラリと血だつた。先程、男を刺した時に附いた血か、そこの草に附いていた血か、多分兩方だつたろう。やがて彼は、わきの、血に濡れていない草の葉をひとつかみ、むしり取つて、手の血を拭きはじめた。その手つきや、全體の態度が、いつか見た炊事をしている時と全く變らない。ユックリと落着いたものだつた。顏もいつもの顏だし、眠いような目だつた。考えて見ると、貴島を傷けた者を刺して、言わば貴島のために報復したわけだが、そのことからの昂奮はもちろん、喜こびのようなものも久保の表情には無かつた。この男は、もしかすると殺人者かもわからないのだ。そして、この男こそ、人を幾人殺しても平氣な人間かもしれない。そのような冷たい、不感の、強いものが此の男にはある。………見ているうちに次第に、ホントの恐怖がゾッと私に來た。
「逃げたようですね……」ポツンと彼が言つた。
「うむ……」
 久保が圓陣の方へ向つて歩いている間か、又は、一團の者たちが逃げ走つたのと同時にか、杉田は貴島を助けながら逃げて行つたらしい。
 とにかく、すべてが一瞬のうちに起り、その間なにを考えている暇も無く、氣がついた時には、私と久保だけが、闇の燒跡のまんなかにポカンと取り殘されていたのだ。今起つた事がホントに起つた事かどうか疑わしくなつて來るような時間であつた。キツネにばかされたと言うのは、こんな氣持を言うのだろう。
 私と久保は、暗い中にいつまでも立ちつくしていた。……

        26[#「26」は縦中横]

 以上で、事件の見聞者としての私の記述は終る。
 これだけでは、全體としても部分々々にも、よくわからない事があることを、私自身も知つている。しかしそれは、やむを得ない事であつた。なぜならば、そのようなアイマイさが生れたのは、幾分は私の記述の拙劣さのためであるが、同時に大部分が、事件が私の目に觸れた、その觸れかた自體がきわめて不完全な一面的なものであつた事から來ている。しかも私は終始、つとめて臆測や修飾を控えた。完全な脈絡の美を採るよりも、先ず何よりも眞實につかうと思つたためである。そして、そのためには、新聞雜報的な意味での低俗な「事實ありのまま」式な書き方さえも、あえて辭さなかつた。全體の不明瞭さをとがめる人があれば、その非難を甘んじて私は受けなければならぬ。
 以下、貴島勉が私にあてて書き送つた手紙の數篇を書き寫すのも、この異樣な青年の、その後の姿を追いかけるという事の他に、この不明瞭さを、補つて見たいと思うためである。これを讀めば、私の記述の不完全な所や缺落した所や裏のことが或る程度までわかつてもらえると思う。

 荻窪の防空壕の前で姿を消して以來、十日たつても一月たつても貴島は私の前には現われなかつた。同時に綿貫ルリもフッツリと姿を消した。久保と佐々は、その後も一二度私を訪ねて來たが、二人とも貴島の消息を知らず、心配のあまり、逆にそれを私にたずねるために來たのだつた。もしやと思つて、私は國友大助を訪ねて行つたが、先に彼が私に知らせた住所には既に住んでいなかつた。附近で問うても、ついに行く先きはわからず。佐々が横濱の黒田組の者に會つて、せんさくしても、貴島の消息の手がかりをつかむ事は全く出來ないと言う。
「あの連中の、イザとなつての口の固さと來たらおどろきました。大したもんだ! もつとも、貴島が行方不明になつたのは、國友の方の事を考えて、黒田が言いふくめた上でやつた事らしいから、黒田だけは、知つているでしようが、ほかの連中はホントに知らないのかもしれませんね。その黒田にしても、金でも掴まして逃がしてやつただけで貴島がどこに居るかは知らんでしよう。ああいう仲間ではよくある事です。つまりワラジをはくと言うやつです。とにかく、死んではいない事だけは、たしかです。二三カ月すれば現われますよ」と佐々は言つた。
 それから、その三カ月ばかりも過ぎたが遂に消息なし。氣にかかりながらも、時に忘れることがあるようになつた頃、フイと貴島から長い手紙が來た。無事だつたかと安心したことだが、しかしその手紙自體は變な手紙で、それについて差しあたり、なんと言えばよいかわからないようなものだつた。
 手紙は半月または一月位の間を置いて屆いた。時によつて二カ月ぐらい來ないこともある。かと思うと、十日位の間に二三通つづけて來ることがある。皆かなり長い。約十カ月位の間に十五六通の手紙をもらつた。
 その中の十二三通を次ぎに掲げる。枚數にして百五十枚、或いはもつとになるかもしれぬ。
 御覽の通り、手紙と言うよりも手記に近い。貴島自體が往々にして私に向つて書いている事を忘れるのではないかと思われる節がある。或いは自分の心おぼえとして書いたものを、捨てる代りに送りつけたとしか思えないものもある。それにスタイルに統一がなく、書き方は亂暴で氣まぐれである。
 しかし、私は、あえて筆を加えないままにして置く。

        27[#「27」は縦中横]

 三好さん――

 いつかは、荻窪で御迷惑をおかけしました。杉田と私とが逃げ出した後で、つまらない目に會われはなさらなかつたかと、ずいぶん心配しました。でもその後、知らせてくれる者があつて、御無事だつた事を知り、いくらかホッとしました。
 しかし、どちらにしろ、僕のことでは、はじめから御迷惑ばかりかけ、おわびのしようもありません。あの後、よつぽど、おわびに伺おうかと思いましたが、どうしてもあがれませんでした。どうかお許しください。
 あの晩荻窪に押しかけて來たのは、國友の子分たちです。後でわかつた事なんですが、國友さんはあなたから話が有つたためか、國友さん自身の何かの氣持のためか、その前から、身内の連中に、僕を追いかけまわすのはよせと言つて止めていたそうで、あの晩のことも國友さんは全然知らないことだつたそうです。
 いつか久保から聞いたのによると、あなたは染子というダンサーに僕らの防空壕で一度會われたそうですが、あの女がどう言うわけか僕をうらんでいまして、あの晩のこともあの女が二三日前から向うの連中を手引き――と言うほどでは無いでしようが、とにかく連絡したようです。國友の子分の一人で染子の行つているホールによく行く男が居りまして、それが以前から僕と染子の關係を知つていたのです。
 僕はあの晩、肩先に貫通銃創を受け、腿をナイフでやられました。貫通銃創の方は、なんのことはありませんでした。もう、完全に治つてしまいました。腿のキズも大した事はないのですが、筋肉が切れていたそうで、手當をしてからも、しばらくの間は歩くことが出來ず、現在でも時々うずき出すことがあります。杉田も二カ所ばかり傷を受けていました。しかし、これも大したことはありませんでした。杉田と私は、あれからしばらくの間、ある醫院に入院していました。
 あの晩、久保に刺された向うの男は(そのことは、後ですぐ聞いたのです。黒田自身がしらべて來て教えてくれました)あの後どうなつたか、わかりません。案外大した事は無かつたかも知れませんし、或いは死んだかも知れません。萬一死んだとしても[#「死んだとしても」は底本では「死んだとしたも」]、多分、外部には全然知れないでしよう。あの連中はそうなのです。
 しかしどちらにしろ、久保もバカなことをしたものです。久保は僕を傷つけた奴を許しておけなかつたのです。僕は戰爭中、オキナワで死にかけている久保を助けてやつたことがあります。それを久保は忘れないでいるのです。バカな奴です。しかし僕のためで無くても、久保と言う男は、いつたんそうしようと決心すれば、人の一人や二人はすまして殺す男です。彼奴は僕の知つている人間の中で一番恐ろしい、強い人間です。だからバカな人間だと言えます。久保はあの時、僕のために復讐をする氣だつたのです。ところが、あの晩、杉田のあとから壕の外へ出て行つた僕の氣持は、實は國友の連中から殺されてもよい氣持でした。生きているのが、すこしめんどうくさくなつていたのです。
 いや、そう言つてしまうと、すこしウソになります。そうではありませんでした。生きているのがイヤになつていたのは、あのしばらく以前までの事で、――その事で書きます。――特にあの晩は不意にあなたが來て下さるし、みんなで酒を飮んだりしているうちに、僕は非常にうれしい氣持になつていて、とても幸福でした。戰爭後、はじめてスナオな自分に立ち歸れたような心もちでした。そして久しく考えていた私の本心を今夜こそあなたに打ち明けてあなたの御意見を聞き、又それについていろいろ教えてもらいたいという氣になつていたのです。しかし杉田や久保がそばにいますし、久保はまあかまいませんけれど、杉田にはどうしても聞かせたくない話なので(――いえ杉田は實に良い男で私の好きな奴です。しかしキッスイのヤクザで僕などとはまるでちがつた世界に生きている人間なのです)もうしばらくもうしばらくと思つているうちに、あんな事が起きてしまつたのでした。つまり言つて見れば、生きているのが張り合いがあるようになるかも知れないと言う氣が微かにした、はじめての晩に、僕は死ななければならぬかも知れなくなつていたのです。實に皮肉な、妙な氣持がしました。しかし、すぐに諦めがつきました。おれと言う人間は、いつでもこうなのだ。いつでも、事がチョット明るく、うまく行きそうになると、トタンに根こそぎ叩きこわされる運命になつているのだ。いいじやないか。生きていたつて、どうせ今俺の考えていることなど、まるで夢のような事かもわからないのだ。死ぬのもサッパリしていいだろう。……そう思つたのです。そして壕を出て行つたのです。
 しかし、つい、死ねませんでした。こうして生きて、温泉につかつたりしています。僕は今H――温泉に來ているのです。
 黒田策太郎は前から僕に言つていたのですが、荻窪で襲撃された後で、どうしても半年ばかり身をかくしてくれと言つて、かなりの金を僕にくれました。このままでいれば殺されるかも知れないからと僕の身を考えてくれたためもありますが、同時に、僕があのままで居ると、自分の組と國友の方との關係が益々もつれて惡化する恐れがあつたからです。黒田はそれ
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