引き合わせた。國友大助の名を聞くと「あ!」と口の中で言つてルリは例の強い視線で國友の顏を突きさすように見た。
「私の事を貴島君何か言いましたかね? ハハ、ハハ。………いやね、私あ大至急貴島君に會わなきやあならないんだ。横濱はどこです?………あなた知つてるんでしよう教えて下さい。……いや、惡いようにはしないから」
石になつたようにルリは口を開かない。ランランと輝く眼で國友を見つめている。その中に、ヒョイと立ち上つた。同時に「失禮します先生」言うなりスッと室を出て玄關で靴を突つかけるや、表のドアを突き開けて忽ち小走りに驅け出した足音がした。速い。
國友は、ちよつとの間苦笑していたが
「じやあ私もこれで失禮しましよう」と立ち上つた。樣子がルリを追いかけて行く氣になつているらしい。いけないと思つたが、さてどうにもできない。
「國友君、今のは以前から私のとこに來ている唯の女優の卵だ。あんな事を言つているが、貴島とは私んとこでほんのこの間知り合いになつたばかりで、格別深い關係があるわけじやない」急いで靴を履いている國友の背中に向つて私は言つた。
「しかしねえ、私としては行くところまで行つて見ないじやあ、仕樣がないんでね。それはあんたもわかつて下さると思う」
「貴島の事はさつき私が話した通りだ。あんた方の世界にあの男が手を出そうなどという氣は萬々無い事を僕が保證する。同じなに[#「なに」に傍点]するにしても、そこの所は考えてやつてくんないかなあ。ひとつ頼む」
「わかつています。旦那と俺とは古いなじみだ。わかつてますよ。少くとも私個人としては、おかしな事はしやしません。唯みんなの奴等の事がありますからね、行くところまでは行つて見なくちやなりません。……失禮しました。いずれ又」
急ぎ足に去つた。
だしぬけに一人でとり殘されてしまつた私は、しばらくボンヤリして玄關に立つていた。貴島とルリの身の上にどんな事が起きるのか? つかまえ所の無い不安である。
しかし國友という男は、口に出してハッキリ引き受けなくても、あれだけ氣を入れて聞いてくれた事を裏切る男ではない、その點確信に近いものが私にはあつた。然し彼の口ぶりから察すると、貴島に對する報復の事は、既に彼個人の一存には行かなくなつている。「川の水が流れるようなもんで」と言つた。仲間や配下の事であろう。その連中が集團として動き始めると、それは又それで絶對的な意志を持つもので、もうそうなれば、たとえその徒黨の親分や統率者が自分個人の意志からそうさせまいといくら思つても、そうは出來ない事がある。その事を私は知つている。それだけに、更に惡い事が起きる事さえも想像されない事はない。
佐々兼武でも來てくれれば何かの處置の仕方が考えられない事もないと思つて心待ちにしたが、意地の惡いもので待つている時には現れない。一日たち二日たつうちに遂に私はジッとておれなくなつた。
まず貴島に會つて見る事だと考えたが、さて横濱の何處に居るのか、佐々からは聞いていない。貴島の手紙には所書きは書いてない。すると、さしあたりルリの所にでも行つて見る以外に無い。ルリの居るNスタジオの所在は佐々に聞いて控えてあつた。
そこへ行つた。K町Nという男の家はすぐにわかつた。うす汚れた、目立たない建物で、案内を乞うと、唯一人で暮してると見えて當のNがすぐに出て來た。佐々が言つた通りの、弱々しい人の良さそうな男で、ショボショボと捨犬のような眼附きをしている。私が姓名を名のつてルリの事を尋ねると、私の事は聞いていたのか、それともこの男は人を疑うという事をまるで知らないのか、ニヤニヤと薄笑いを浮べ、寫眞の現像の爲だろう藥品で黄色く汚れた片手で禿げた頭を撫でながら
「はあ、ルリさんですか? あれは一昨日でしたかね、外出から歸つて來て、その後すぐ男の人が二人で訪ねて來ましたがね、その人達としばらく話していたようでしたが、それからその二人連れと一緒に出掛けて行きました。それからこつちまだ歸つて來ないんですがね…………」
樣子が、不意と出て行つたきり一日や二日歸つて來ない事が珍しい事でないらしく、別に大して氣にも留めていないような加減である。出掛けて行つた先の心當りなど二三尋ねてみたが、何も知らないらしい。同時にルリを使つて裸體寫眞を寫している事についても、この私がそれを知つていると思つているのかそうでないのか、假に知つていると思つていても別に何の羞恥も後暗さも感じないもののようで、ヌラリして頼りない事おびただしい。訪ねて來た二人の男の人相風態をたずねると、
「さあ、そうですね、あんまりカタギの人たちじやなさそうでしたね。そうそう、一人の方は顏中にキズのある、凄い片眼の男でした」と言う。先日國友といつしよに來た二人づれらしい。それ以上のことは、何を聞いてもわからなかつた。
しかたなく私はすぐにそこを辭して表へ出た。殘るところは佐々に會つて見る以外にない。私はその足で荻窪へ向つた。今頃佐々が荻窪の防空壕にぼんやりしているとは思えないが、ほかにしようがない。
荻窪の例の燒跡の近くまで來た時は既に夕方で、西の方に夕燒が薄赤く殘つて、空はまだ明るいが、地上は少し暗くなりかけていた。窪地へのダラダラ坂を私が降りかけ、くずれ殘つた石垣のところを※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]ろうとすると、そこからヒョイと出て來た男が
「おいおい、あんた何處い行くんだ?」と立ちふさがつた。ズボンに、カッターシャツの上に、スェーターを着た若い男で、ざん切り風にバラリと刈りこんだ頭髮の下に、噛みつくような眼をしている。聲の調子も態度も、つとめて押し殺したものだが、何か殺氣のようなものが來た。それを正面から受けて、私はドキンとした。いきなり兇器を突きつけられたように感じたのである。男は、然し兩手をポケットに突込んだまま私の方をうかがつているだけだ。(國友大助の配下の一人…………)と考えたのは、私にいくらかの餘裕が出た時である。
「どこへ行くんだね?」
「……君は何だ?」
「どこへ行くんだと言つてるんだ」
「そこの防空壕まで行く」私は既に見えている防空壕の方を顎でさして言つた。
「……何の用だね?」
「佐々君――佐々兼武という人に會いたいんでね」
「佐々?……あの、雜誌屋かね? 雜誌屋なら、今居ねえよ」
「そうかね……あんたは國友君とこの人かね?」
「國友? 國友だと? 大助かね?」眼を光らしたようだ。「……するてえと、お前さんは誰だ?」
そこへ防空壕から人影が出て、スタスタこちらへ歩いて來た。見ると久保正三だ。例の急がない歩き方で近寄つて來て、睨み合うようにして立つている私と男をゆつくり見較べてから
「いらつしやい」といつもの眠いような聲で言つた。
「うん?」
男はチラッチラッと私と久保へ眼を走らせて變な顏をしている。
「何だよ?」と久保へ言つた。
「う?……うん。いいんだよ。これは三好さんという人だ。貴島の先生だ」
男は一ぺんにわかつたと見えて、急にテレた笑顏になり、私に詫びるようにペコリと頭を下げた。
それを無視して久保正三は防空壕と反對の驛の方へダラダラ坂をのぼつて歩き出していた。自然に私の足もそれに從つた。
「おい久保さん、おめえ、何處へ行くんだね?」後ろから男が呼びかけた。
「うん、驛前で食物を買つて來るんだよ。じきだあ」と久保は答えて、並んで歩き始めた私に向つて
「あれは、黒田の子分です」
「黒田の?……黒田というと、横濱のその、貴島君とこの社長なんだろう? それが今頃あんなところで何をしているんだね? 何か、張り番でもしているようだが?」
「社長だなんて? なあに、ゴロツキの親分だな」久保は澄まして私の質問を默殺した。
「僕はゴロツキは嫌いだ」
「どうしてあんな男が、あんな所に立つているの?」
「今の男はズーッと貴島の護衞についている男ですよ」
「護衞? すると……然し貴島君は横濱に居るんだろう?」
「……あんな奴等は卑怯な奴等で、クズですねえ」
この男と會話をする事は不可能である。彼が他人の問いに答えるのは、答えたいと思つた時だけだ。自分の言いたい時に、言いたいだけをポツリと口に出して、土人の樣に落着いている。この前の時にそれを知つているので私は別に驚かなかつたが、今日はとくにひどいようだ。
「あんな奴等は、世の中に居ない方がよいです」
「佐々君は今居るんだろうか?」
「佐々は三四日歸つて來ません。僕の會社のストライキで、デモだなんて言つて騷いでて、なぐり合いが始まつてね、十人ばかり警察へ持つて行かれたんです。そん中に佐々もまじつて居たらしいや。俺も會社の二階から見ていたけど、夜で暗いもんで、ハッキリ見えなかつた」
「すると……君はなにかね、貴島君の事について、最近何か聞きはしないかね?」
返事なし。
「……ルリという女が――そうだ、君はまだ知らなかつたかな? 防空服を着た若い女だが、二三日前に、そんな風な女が此處へたずねて來なかつたかね?」
「さあ、知りませんねえ」
「いや、その女の事でなくてもだね、最近何か變つた事が無かつただろうか?」
「僕は毎日會社の爭議の方へ行つてるから何も知らないんです。……ただこの間から、そうだなあ、十日位前からかな、夜になると變な奴が三人も四人も、僕等の防空壕を遠卷きにしてウロウロしていますがね、たいがい毎晩ですよ。顏はわかりませんけどね。貴島をねらつているようです。………いや、さつきの黒田の子分などとは違つた連中のようです」
氣の無い調子でそう言つてから、しばらく默つて歩いたあと、ヒョイと又脈絡の無い事を言いはじめた。
「佐々に言わせると、ゴロツキは反動だ。だから叩き伏せてしまわなくちやいけないと言うんですがね。……俺はそんな事は知らないんだ。反動であつてもなくつても、どうでもいいんだ。俺は貴島が好きだ。あいつは馬鹿だけど、良い奴なんですよ。俺は、あいつがおかしな目に逢わされるのを默つて見ちやあおれないんです。だから俺あ、ゴロツキは嫌いなんですよ」
24[#「24」は縦中横]
「國友大助というのが、僕のところへ來てね――いや、國友は昔から知つているのだ。それが貴島のありかをしつこく私に尋ねた。然し私も貴島君が横濱に居るだけは知つているが、横濱のどこだかハッキリと知らないものだから、國友はそのままで歸つたがね」
「そうですか……」と久保は私の言葉を聞き流し、しばらく默つていてから、又同じような事を言い出した。「佐々は自分の共産主義でもつて、つまり主義から、ゴロツキを憎んでいますけれど、俺は違うんです。俺は貴島が好きだからゴロツキが嫌いだ。そうですか、國友があなたの所へ行つたんですか? 僕は貴島の親分の黒田には一度會つたことがありますが、國友には會つたことはありません。黒田という奴はいやな奴だ。國友という奴も似たようなもんでしよう。嫌いだな」
「いずれにしろ、このまま捨てておけば、まずいことがおきそうな氣がする。國友の子分達が血まなこになつて青島を追いかけていることは事實らしいからね。いや、國友には私からそんな事のおきないように十分に頼んでおいたが、今となつては國友の力でも抑えきれないらしい」
「そうですか……」
「また貴島君も、よほどムチャな事をしたらしいじやないか?」
「そうかも知れませんね」
「なぜそんな事をするんだろう?……それは、いつか貴島君に會つて話も聞いたし、手紙も貰つて、あの男の氣持が多少わからないことはない。死んだ方がいいとホントに思つている人間にとつて何をしようと同じことかもわからない。だけど……だから又、そんな事をしていて、何の役に立つんだ? とも言えるわけだ」
「全くだ。それは全くだ。全くだな」久保は珍しく三度同じ言葉を繰り返して、私に合槌を打つた。そして不意に、アッハッハハハと笑い出した。私はビックリして彼の顏を見直した。この男から私がはじめて聞く哄笑である。しかもそれは何かが破れたような全く氣の拔けた高笑いであつた。聲だけが笑つているだけで顏
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