まで出掛けて貴島君を追いかけ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しているようだとか………いや、ルリらしい女が近くをウロウロしていると貴島君の手紙に書いてあつたんだが?」
「そうですか。いやあ………」靴を履きながら佐々はその晩初めて笑つた顏を振り向けながら「その女がルリ君だつたかどうか知りませんけどね、四五日前ルリ君と貴島とが會つたのは事實です。何の事あない、僕が逆にルリ君に尾行されていたんですよ。實におかしな女だ。四五日前僕が貴島のいる船へ――といつても、もやつてある四五そうの小舟から小舟へ渡つて行つてその船に行くんですがね、その船へ飛びついて、ヒョイと後ろを振りかえると何時の間に來たのか、脱いだ下駄を片手に持つてハダシになつたルリがヒョックリ、トモ[#「トモ」に傍点]に立つているじやありませんか。仕方がないや。そいで貴島に會わせました。實におかしな會見でしたがねえ。初め兩方で睨み合つたまま、何時までたつても默つているんです。その中に貴島がだんだんしよげて來て、まるで鹽をかけられた青菜のように首うなだれてしまいましてね。その中ルリが(貴島さん貴方何故私から逃げるの?)と言います。それから(貴方は私をケガしといて、どうしてくれるの?)と言います。ケガしたと、たしかに言つたんですよ。ヘヘ! 貴島は返事をしないんです。ルリはいろんな事を言い出します。そのうちに、えらく昂奮しましてね。貴島の方はボソボソと何か言つているんですけど、ルリの詰問が詰問なら貴島の答えも答えで、何やらまるきりわけがわからないんですよ。チンプンカンプンの議論ですね。わかる事は兩方がえらく昂奮している事だけで、特にルリなど蒼くなつたり赤くなつたり、口から泡を吹かんばかりにして貴島をなじるんです。あの女は、やつぱり氣が少し變なんじやないですかねえ。僕はしばらく默つてそれを聞いていたんですけど、その中にヒョット(こいつは一種の痴話げんかのようなものじやあないかな?)という氣がしたんです。そう思つたら急に自分が馬鹿馬鹿しくなつて、二人を捨てておく氣になつて、僕はその胴の間を飛び出して、ちようど隣りにもやつてあつた小舟に飛び移つて、そのトマの下にゴロリと横になつて煙草を吸つていました。疲れていたのでそのままグッスリ眠つてしまつたんですねえ。ですから、そのあと貴島とルリの間にどんな事があつたのか僕は知りません。今度眼が覺めてみるとまだ夜中で、あたりは眞暗なんですが、氣がつくと、ピチャピチャと水の音がするんです。すかして見ると、貴島とルリの乘つている小舟が、眞黒な水の上でゆつくり、ガボガボと左右に搖れているじやありませんか。どうしたんだろうと思つてそれを見ている中に、僕はあの美しいルリの身體を思い出したんです。それが貴島の身體とガッシリと組み合つているんですな。ダァとなりましたね。やりきれん氣がしたなあ。ピチャピチャという水の音が妙なる音樂になつた。リズムでさあ。ヒヤァ、まつたくです。僕はこの、實演も二三度この、なにした事があるんだけど、その舟がですね、暗い波の中でガブガブとゆれているのを見ている時に僕が感じた肉體にくらべりや、屁のようなもんでしたね。ヘヘヘ。とに角しみじみ聞かされちやつた。うなされたようにウトウトして、それから夜が明けました。向うの船に渡つて見たら貴島もルリもまだ寢ていましたが、どういうのか二人とも着のみ着のままで三疊敷位の胴の間の向うの隅とこつちの隅にコチンと轉がつているんです。起き出した貴島の右の手の平がひつかき傷だらけで血をふいているんですよ。後で聞いたら口論最中にルリからピンで突かれたそうです。ルリはまだ怒つた顏をしていましたがしばらくしてプイと立つて小舟を次ぎ次ぎと渡つて何處かへ行つてしまいました。何が何やらさつぱりわかりやあしませんよ。その晩どんな事があつたのやらわかりやしません。貴島に聞いても要領を得んのです。どうでもいいでさあそんな事。ヘッ! これから僕は久保の會社へ行くんです。爭議がひどい事になつているんですよ。や!」言うなり佐々はスッと玄關を出て行つた。
佐々の話に私は解説を附ける事はしない。と言うよりも私には出來ない。彼の話がどの程度まで本當であるか否かも私にはわからなかつた。それをユックリせんさくしている餘裕も實は私になかつた。
というのはすぐその次の日の早朝、國友大助がヒョッコリ私の前に現われたのである。
22[#「22」は縦中横]
氣がついて見ると、私は人が訪ねて來たことばかり書いている。曲《きよく》の無い話だと思うが、事實だから仕方が無い。私は「書齋の徒」だ。外に出れば、ただ裏町や場末や山野をウロつきまわつては、名も無い人たちと交るだけで、それもただ常識はずれの、おかしな、何の役にも立たぬことばかりして歩いている浮浪に近い。わざわざ人を訪ねて行くことなど、めつたに無い。私が相手をハッキリとその人と知り、相手も私と知つて面會するのは、ほとんど、その人が私の所へ來訪した時に限られていると言つてもよいのである。
國友大助は相變らず立派なナリをして、おだやかな顏で私の前に坐つた。昨日の佐々の話があるので、私は無意識の中に改めて國友を調べ直すような眼で見たが、どこから見ても堅實な新興會社の重役といつた人柄で、裏に影を少しも感じさせない。いつか貴島に斬られた傷の跡がこめかみのあたりにうつすりと殘つていた。それもしかし、そう思つて見るからの事で、知らずに見ればヒゲすりの際にカミソリがすべつた跡ぐらいにしか見えない。手土産に持つて來たウィスキーのびんを、私に見せようともしないで室の隅に押しやりながら、私の仕事部屋の壁の上の佛畫などに珍らしそうな眼を向けながらニコニコしている。
「いつぞやは………」
「やあ………こういう所で、やつていられるんですか。いいなあ、あなたなぞの仕事は。こういう所で落着いてやつていられれば、それで暮しになるんだからなあ。羨ましい」
「駄目だ。落着いているように見えるのは外見だけで、こういう事になつて來るとわれわれの仕事ほど頼りにならない、おかしな仕事はないんだ。われながらどうしてこれで食つて行けているものだかわからないような始末でね」
「そうかなあ。そんな事はないでしよう?」
「そうなんですよ。然しまあ、暮しの事はいまどき誰にしろ苦しいんだから、それは言わないとしてもだ、仕事の内容を考えると、當分もう駄目だな。確かに日本は亡びた。もうどうしようもない。少くともこれから先五十年や百年はどうにも處置ない。そういう氣がする。日本人を相手にして日本人の事を書いていると、どうしてもそういう氣がしますよ」
「確かにそりやあ、そう言われればそう言う氣もしますね。新聞や雜誌で道義地に落ちたりなどと言つているが、道義なんて私共には何の事だかわからないが、近頃の日本人、ダラシが無くなつた事は事實です。まあ乞食だな。とにかく、一切合切は腹がくちくなつた後の話と言つた光景で、法も道も何ちゆう事はないようですからね、ハハ!」
相手の氣持をはかりかねて、始めの間私は落着けなかつた。然し彼の調子には別に含むような所はなく、今の時代の有樣についての感想なども、彼は彼なりに相當深い見方をしていて、それをしみじみと本心から語つている。語り口は、例の通り輕いものだが、その底に一時のものではない嘆息がこもつていた。話している間に私も何時の間にか、この男の訪問の目的をせんさくする氣持を忘れて、久しぶりの舊知との會話を樂しむ氣持になつていた。
その中に國友は、今までの話の續きのように氣輕な調子でヒョイと
「いつかお目にかかつた時に、あなた、D興業會社の社長秘書の貴島という男に會うんだとおつしやつていたが、お會いになりましたか?」
「………會いました」
「ごく最近?」
「いや、しばらく前だ。君にお目にかかつたあの晩遲くだつたかな」
「………それからお會いにならない?」
「會わない。どうして?」
「いや。…………貴島君、今どこにいるか御存じありませんか?」
「住んでいるのは荻窪だが………」
「そりや知つていますがね。………横濱へんに今居るらしい事も知つていますが、ハッキリわからない。一度是非會いたいんですが」
「…………さあ僕もよく知らないんだ」
佐々の話の内容がパッパッと私の頭に閃いて來た。
「もし御存じなら教えてほしいんですがね」
「いやほんとに知らない」
「そうですか………」とおだやかな調子で眼を伏せてしばらく何か考えていたが、今度はジロリと見上げて「まさか、お宅にいるんじやあないでしようね?」
「………どうしてそんな事を言うの?」
不快をかくさない私の調子に、今度は詑びるように
「そんな氣で言つたんじやありません。大至急にあの男に會わなきやならないので、つまり、急いでいるもんですから、ついどうも……」
佐々の話が事實だとすると、この連中は貴島に復讐するために、そのありかを追求している。うつかりした事は喋れない。………
そこへ家人がやつて來て「ちよつと」というので居間の方へ立つて見ると「先程から、すぐそこの角に變な人が二人立つています。今來ているお客さんと一緒に來た人達のようですけど、とても人相の惡い氣味の惡いような――」と低い聲で言うので、私は下へ降りて木戸口を出てそちらを見た。私の家は袋小路の突當りにあり、その袋小路を出て二十歩位の所が小さい四つ角になつている。その四つ角の兩側に洋服を着た男が一人ずつ立つていた。二人とも若い男で、一方は普通の顏をしているが、もう一人の男は顏中むざんな切り傷だらけで、その爲に片眼がつぶれているようだ。物凄い顏をしている。身なりから眼の配り方などが普通では無い。私の家を遠まきにして警戒しているらしい。
私はしばらくそれを見ていてから上にあがつて書齋に歸り、默つて國友の前に坐つた。國友は壁の佛畫を見ながら煙草をふかしている。
「國友さん。………おもしろくない」
「え?」
「そこの角に立つている二人の人ねえ………」
「…………」彼は私の顏をちらつと見るや詫びるような笑顏をして見せた。このような男の神經のす速さ。「いや、すみません。そういうつもりじやあ無いんです。氣を惡くなさらないで」
「君は僕の古くからの知り合いだ。貴島のありかを僕が知つていれば、ありのままに君に言いますよ。まして、この家に貴島君が居るんだつたら、あんたに隱したりなんぞしやしない。そんな事をする理由が僕にないもの」
「………私が惡かつた。いや實はね、あの若いもんはお宅を見張つているというよりやあ、この私を監視しているんですよ。詳しく話さなけりやわからないんですが――、然しこんな事をあなたの耳に入れても仕方がないんだ。とにかく貴島君にあまり大きなケガをさせないようにと私は思つているもんだから、そういう私の量見をウチの若いものが察していましてね、そうさせまいと思つて私を監視しに附いて來るんですよ。あなたがたにやあ何の事だかわからんだろうし、つまらんことですが。そういうつまらん世界から私など、何時までたつても足が洗えないという事だなあ。ハハハ。とにかく、ちよつと追い歸して來ましよう」
國友は座を立つて外へ出たが、すぐに戻つて來た。二人の男は歸つたらしい。
「そこで三好さん、貴島君の口から私どもの組と黒田組との間の事についてあなたがどの程度にお聞きになつたか私は知りませんが――」
「僕は何も聞いていないんだ」
「結構です。お聞きにならん方がいい。私達のシャバの事なぞ下らんです。然しとにかく、どうでしよう貴島に會わせてくれませんか? そうでないとあの男は今にえらい目に逢います。いや實は私個人としてもあの男とはカタをつけなきやならない話があるんですが、それはあの男と私とのあいだずくの話で、これはまあ、その中に處置をつけます。今言つているのは、組の奴等がいきり立つていて、うつちやつておくと、とんだ目に貴島君が逢うんです。それを言うんだ私は」
「………わかつた。國友君、それでは僕もまじめに言おう。そのつもりで聞いて
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