いた事だけで世の中についての「ミトメ」――(これは久保の言葉。結論だとか答えだとか認識とか社會觀とか言つたような意味の全部をふくめて言うのらしい)――が自然に出來あがつて行くのを待つ。だから世の中に流行しているいろいろの思想や宗教などの、どんなものも、それだけでは信用しない。その中のどれかが、もし正しいものならば、それが正しいという事が、そのうちに必らず、自分が目で見たり聞いたりすることの出來るような實際の事實として現われて來ると言うのである。それまでは右翼も左翼も信用しない。彼の言葉で言うと「神も佛も信用せんよ。戀も愛も金も信用できねえ。資本家も共産主義も信用しない。一切合切、俺にとつちや、無えのと同じ」である。「信用できると手前が知つてから信用しても、おそくは無え」と言うのである。その素朴な――と言うよりも未開人のような頑迷さが、あわれな位である。あの手帳も、これに關係が有るようだつた。「あんなつまらん手帳を何百册書いたつて、なにがわかるもんか!」と佐々が言つても「わからなくつてもいいよ」と答えた。その調子が、はたで聞いている私にさえ、やりきれない位に低級で常識的にひびいた。「そい
前へ
次へ
全388ページ中83ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング