されても叩かれても昂奮しない。だから議論の内容としては彼の方が負け、教えられているのにかかわらず、はたから聞いていると、やつつけられ教えられているのは佐々の方であるかのようである。それと、もう一つ、彼の言葉の中からだんだん私にわかつて來たことは、彼の出征中、それも終戰前後の戰場生活の中で、なにか非常にひどい目に會つて――そして、その時貴島といつしよに居て、貴島と同じような目に會つたらしい。そしてその時に、彼と貴島の仲は切つても切れないような深い所でつながれたらしい。それは、どんな目だつたのか、その時には彼は具體的には言わなかつたが、その言い方から察すると、ほとんど人間の頭ではそのような事が起り得るとは考えられない位に手ひどい經驗だつたらしい――その時を境い目にして、彼と言う人間は變つてしまつたと言うのである。その事を彼は「人間はケダモンだ。畜生と、ちつとも變つとらん。もう俺あ人を信用するのは、やめちやつた。人の言う事なんぞ信用せんよ。俺のせいじや無えや」と言つた。そして、ありのままの事實だけ――それも自分の眼で見、耳で聞いた事實だけしか信用しないと言うのである。自分が現に目で見、耳で聞
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