ある」と言つているという。でも私には思い出せなかつた。もつとも、私には會つた人の顏は忘れないけれど、名前はすぐに忘れてしまう癖がある。いずれにしろ、すこしメンドウくさくなつた。そして更にことわらせると、「戰爭中Mさんにつれられて、ここへ來たんだそうです」と言う。
Mというのは、私の親友で、終戰直前に廣島の原子爆彈で死んでしまつた有名な新劇俳優である。げんに私がそうして坐つていた――今もこうしてこれを書いている――前の壁の上に、Mの生前の肖像畫が、ガクブチに入つて私の方を見ている。しかたが無い、會つてみようという氣になつた。「それにしても、Mのことを、最初からどうして言わないんだろう?」と取次ぎの家人に問うと、「なんだか、とても口數のすくない人で」と言う。それで、あがつてもらつた。そして、それが最初に書いたような青年だつた。
室に入つてくると、その男は、無言で入口の所で足をそろえて立ちどまり、兩手をキチンとモモに附けて上半身をクキッと前に折り曲げながら、顏だけは正面を向いたまま私の顏に注目するしかたで禮をした。「どうぞ」と言つてザブトンを示しても、それを敷こうとせず、板敷にジカに四角
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