、そこに嘘は無い。正直にMさんのために泣いている。それはそうだ。しかし、もしかすると、今こうして幸福な生活の中で、自己に全く滿足している人間が、かつて知つていた故人のために涙を流すことに依つて、彼女自身が良い氣持になつているだけではないだろうか? いくら泣いても彼女は何も失わない、それを彼女自身知つている、そこに惡意は無い。しかし彼女には彼女自身だけしか存在しないのではないのか? 彼女の涙の中にMさんは居ないのではないのか?
自分の思い過ごしかも知れぬ。しかしそんな氣がした。すると、急にそこに居たくなくなつた。
もちろん、この女は自分のあの夜の女では無い。萬一、この女がそうだつたとするならば、僕はごめんだ。僕は引きさがる。……そう思う。いずれにしろ、志村小夜子など、俺には縁の無い存在である。
古賀春子。
志村小夜子に所を聞いて訪ねて行つたが、これは又、アッケ無いほどガラガラと明けつぴろげた暮しをしている人で、年は三十過ぎ。一眼見たばかりで、あの女では無い。
Sの裏で「春子の家」という小料理屋を營業している。表面はそこのマダムだが、實は金主は他にある、つまり雇われマダム。春子
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