と言うものの眞の姿、つまり――眞實だ。その眞實が、ありのままに見える時があるだろうか? 昨日と今日と明後日と次ぎから次ぎと變つて行く「眞實」では無く、昨日も今日も明後日も變らない、不動の眞實。それがこの俺に掴まえられる時が來るだろうか? それは、來ないのではあるまいか? 俺にはそんな能力は無いのではあるまいか?
 しかし又思う。そんな不動の眞實と言うようなものが、では、一體全體、在るのか?
 まるで、わからない。俺にはわからない。しかたが無いから、俺は、やつぱり、ウジ虫のように、浮雲のように、プワプワ、フラフラと、今日ただ今、自分にとつて眞實だと思われるものを追つて歩く以外に無いのであろう。しかたが無い。

 戰爭のことにしたつて、そうだ。俺は戰爭をくぐつて來て、その事を何か特別のことでもして來たように思つている。しかし、戰爭が一體なんだろう? 戰爭は戰爭で、俺は俺だ。戰爭で自分の内容がぶちこわされてしまつたなどと思つていたのは、甘ちやんのアプレゲールのセンチメンタリズムに過ぎない。戰爭は、結局は、なんにも變えはしない。戰爭は、結局は、人間を變えてしまつたりは出來ない。ただ物ごとの進行
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