と深い、つまり共産主義などには關係の無い、前時代者に對する不信があるらしい。「お前さんたちに話したつて、何がわかるものか!」と言つたような輕蔑だ。そして、その輕蔑を、かくそうとしない。それほど強く輕蔑しているとも言えるし、單純だから、かくそうと思つても、かくし得ないとも見られる。
 長々と綿貫ルリのことを語る佐々の調子には、私に對する不信と輕蔑がこめられていた。語り終るや、それについての私の意見や感想など聞こうともしないで歸つてしまつたのも、それだ。「深刻ヅラして坐つていたつて、オツサンにやホントの事はわからんよ。話だけは聞かせてやるがね」と言われたような感じだ。
 そこには、男らしくピリリと冷酷な快感のようなものが有る。ベタベタと尊敬されたり信頼されたりするよりも快よい。それに無理も無いとも思うのだ。あの若さで、戰爭の中をくぐつて來なければならなかつた。ほかにどうなりようがあろう? 戰爭に依る文化教養の空白だとか虚脱だとか言い立てて、とがめる事は出來よう。いくらとがめられても、しかし、青年たちにとつて、ほかに、どうなりようがあつただろうか? 青年は、いつでも善かれ惡しかれ青年らしく輕
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