き、知らない人々の間に立ちまじつたり、又は、知り合つてはいても、この私を三好十郎として知つているのでは無い雜多な人々――その中には電車の車掌がいたり、大工がいたり、職工がいたり、畫家がいたり、ゴロツキがいたり、バクチウチがいたり、株屋がいたり、クツ屋がいたり、浮浪人がいたりするが――そういう人々の顏を見たりそれと話し込んだりしているうちに、ヤットいくらかホッとするのであつた。
 そういう状態であつた。
 だから、その晩春の午後おそく、その男が訪ねてきた時も、私はなにもしないで仕事室の隅にボンヤリ坐つていたのだが、家人に言つて、會うのをことわらせた。しかし男は歸らないと言う。二度も三度も押しかえして、「お目にかかりたい」と言つて、臺所口に突立つていると言う。名刺を見ると貴島勉とあつて、わきにD――興業株式會社、日本橋うんぬんと所番地が刷つてある。「どんな人だ?」と聞くと「セビロを着た、若い、おとなしそうな、文學かシバイでもやつているような人」だと言う。ますますいけない。私の最も會いたくないものだ。「イヤだから」とハッキリことわらせた。すると、四度目ぐらいに、「前に一度お目にかかつたことがある」と言つているという。でも私には思い出せなかつた。もつとも、私には會つた人の顏は忘れないけれど、名前はすぐに忘れてしまう癖がある。いずれにしろ、すこしメンドウくさくなつた。そして更にことわらせると、「戰爭中Mさんにつれられて、ここへ來たんだそうです」と言う。
 Mというのは、私の親友で、終戰直前に廣島の原子爆彈で死んでしまつた有名な新劇俳優である。げんに私がそうして坐つていた――今もこうしてこれを書いている――前の壁の上に、Mの生前の肖像畫が、ガクブチに入つて私の方を見ている。しかたが無い、會つてみようという氣になつた。「それにしても、Mのことを、最初からどうして言わないんだろう?」と取次ぎの家人に問うと、「なんだか、とても口數のすくない人で」と言う。それで、あがつてもらつた。そして、それが最初に書いたような青年だつた。
 室に入つてくると、その男は、無言で入口の所で足をそろえて立ちどまり、兩手をキチンとモモに附けて上半身をクキッと前に折り曲げながら、顏だけは正面を向いたまま私の顏に注目するしかたで禮をした。「どうぞ」と言つてザブトンを示しても、それを敷こうとせず、板敷にジカに四角に坐つた。かなり上等の薄色のフラノ地の背廣に思い切つてハデなエンジ色のネクタイをしていた。前にも書いたように、チョット女のような感じの、上品でおとなしそうな、むしろ平凡な顏で、記憶に無かつた。
「Mを知つていた――?」
 相手がいつまでもだまつているので、私の方から言つた。
「はあ。……」
「戰爭中此處に來てくれたそうだけど、――いつごろでしたつけ?」
「……あの、僕が入隊する二三日前の――」
「そうですか。……そいで、いつ復員して來ました?」
「しばらく前……去年の末にもどつて來ました。……その、入隊する二三日前にMさんといつしよに。空襲のあつた晩で、玄關先きで失禮したもんですから――」
 とぎれとぎれに低い聲で相手が言つている間に私は不意に思い出した。東京空襲が本格的にはじまつてから間の無い頃、警報が出て、燈火を消してしまつた私の家の玄關へ酒に醉つたMがもう一人の男をつれて寄つたことがあつた。それが、言われてみると、この男だつたようだ。暗かつたし、この男は一言も言わないでドアの外に黒く立つていて、Mだけが玄關のタタキに入つて來るや、私のヒジの所をグッと掴んでゆすぶりながら、「やあ、ヘッヘヘ、なにさ、三好のスローモーション、鈍重、チェッ! もしかして、おとついのブウブウでやられたんじやないかと思つて、來てみた。いいよ、いいよ、そんだけだ。生きてりや、それでいいんだよ。いいよ。なに、あがつちやおれん。忙しいんだ。ヘヘ、これから、その兵隊を――と(背後の男の姿を指して)洗禮を受けに連れて行かなきやならんからなあ。あばよ。バイバイ」と、醉つてはいても、永年舞臺できたえた、語尾のハッキリとネバリのある美しい聲でわめき立てて、風のように歸つてしまつた。この男の癖で、こちらで何かを言つている暇は無かつた。……たしか、「洗禮」と言つた。なんの事だかよくわからなかつたけれど、しかし直ぐ續いて起つた空襲騷ぎのために、それも忘れてしまつていた……
「そう。それは――そいで、君は陸軍? 海軍?」
「海軍でした」
「Mとは、なにか、お弟子さん? いや、俳優になりたいと言つたような――?」
「いえ。……前に、小説みたいなもの書いていて、シナリオをやつてみたくなつて、そいで友人に紹介してもらつてMさんに――でも、半年ぐらいでした、つき合つていただいたのは。……でも、とても、かわいがつてもらつ
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