リ話してしまつたそうです)、あちこちした末に、久保正三の所へ行つて、僕の現在のありかと、タミ子との事を聞いて、その足で此處にやつて來たと言う事は、後になつてルリ自身から聞いたことです。その時はただ、ドキッとし、まるで、射すくめられたように動けなくなつただけです。ルリは、ほとんど毒々しい位の憎惡のこもつた眼で、僕とタミ子を見つめているだけで、なんにも言いません。その眼の中には、今までの彼女には無かつたすくなくとも、それほど明瞭に現われた事の無かつた嫉妬……なんと言いますか、初めて一人前の女としての嫉妬の色がギラギラと光つています。それが、僕とタミ子の前に立ちはだかるようにしているのです。互いの位置も惡かつたのです。そこは狹い坂道で、ルリは、上の方からのしかかるように突つ立つて、睨みおろしているんです。互いに身のかわしようが無いのです。
 タミ子は、これをどんなふうに受取つているか、僕にはわかりません。ただ、ボンヤリと立つて、ルリの方を見上げています。そのうしろ姿と、それに半分ダブッてこちらを向いたルリの姿が、僕の眼には、一つの畫面になつて、燒きついて來ました。地球の運行が不意に停止してしまつたような感じ。……時間と言うものが無くなつてしまつた。一種の絶滅感。……どう言えばいいか、そうです、映つていたトーキーの映畫が、何かの故障のためにピタッと停つてしまつて、その畫面だけを殘して動かなくなり、音も停止してしまつた――ちようど、そう言つた感じでした。どれ位の時間が經つたのか、おぼえがありません。僕は、なんにも考えないでボンヤリと女二人を見ていただけです。もしかすると、時間なんか一分間も經たなかつたのかも知れません。
 そのうちに、ルリが二歩ばかり此方へおりて來ました。タミ子の方へ輕蔑をこめた流し目をくれながら、僕へ近づいて來るのです。その眼つきと、身のこなしが、ギリリと音を立てるように、僕に迫つて來て、何かもう、絶對絶命の所に追いつめられた氣が僕はしたのです。叫び出しそうになりました。トコトンまで、いじめ拔かれて、いじめ殺されかけているような感じ。カエルが蛇にねらわれて、呑みこまれる瞬間に、あんなふうになるのではあるまいか?……とにかく、あの時、一時僕は氣が變になつていたと思います。ワッと叫び出しそうになり――いや、その聲が事實すこしは外に出たかも知れません――同時に、實に妙な事が起きました。いや、僕の中でです。ブリッ! と何かが破けたのです。たしかに音を聞いた氣がします。同時に、カーッと血が頭に驅けのぼつて來て、一度に猛烈に腹が立つて來たのです。ルリに對してです。いや、それはルリに對してではありません。もつと別の――そう、なんだかハッキリわからないものへ對してです。しかし、やつぱりルリに對してだと言えない事は無い。なぜなら、そうして近づいて來たルリに、いきなり、おどりかかつて、なぐりつけはじめていたのです。狂つたようになつていた。いや、ホントに狂つていたにちがい無い。猛烈な勢いでルリの顏と言わず肩先と言わず、なぐりつけた。ルリのツルリとキメの細かい青味がかつた頬が、僕の平手打ちの下でビシッ、ビシッと濡れたような音を立てたのを、僕はおぼえています。あとはどれだけ、なぐつたのか。「ちきしよう! ちきしよう!」と口の中で唸るようにして、しまいには、ルリの襟髮を左手で掴んで、右手でなぐりつけていました。ルリは、はじめチョット抵抗しましたが、直ぐにグタッとなつてしまい、なぐられるままにしています。そのまつ青な、死んだような、眼がつりあがつてしまつたような表情を、僕はおぼえています。僕はあの表情を忘れない。………氣が附くと、立つているのに耐えきれなくなつたか、ルリは坂道の端にしやがんでしまつている。それを、僕はまだ叩きつけていました。タミ子は、びつくりしてしまつて、口をポカンと開けて立つたまま見ていました。
 そして、そうして、ルリをなぐりつけている最中に、僕は、自分がルリを愛していることを知つたのです。愛していると言うよりも、惚れていると言うのがピッタリする。自分が惚れているのは、ホントはルリである。それはズット前からそうだつたのだ。それが、今まで自分にもわからなかつた。
 俺が愛しているのはルリであつて、タミ子なんかでは無いのだ。バカ! バカ! バカ!
 ……僕は手が痛くなり、なぐるのをやめました。ルリは、氣が拔けてしまつたようにグタリとしやがんで、僕の足元を見ています。タミ子は、ちぎれ飛んだルリの服のボタンを地面から拾つているのです。僕はなんにも考えられませんでした。ただ、そのタミ子と、ルリの顏に眼をさらしているきり。ルリの顏は、僕からなぐられた頬あたりは見る見るうちにクッキリと手の平の形に紅く血がさし、僕の手の當らなかつたアゴや額など
前へ 次へ
全97ページ中95ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング