して相手に渡した。
「これ」
「貴島に?」と國友は名刺と私の顏を見くらべている。スット笑顏を引つこめて、眼をチョッと光らせたようだつた。
「……ふーん、貴島を御存じですか?」
「いや知つていると言う程でも無いけど、一二度僕んとこに來たことがあつてね。それが、變な事で急に逢わなくちやならなくなつて」
「すると、……なんか、もめごとですか?」
「もめごと?……いやあ、そんな事じや無い。人からチョッと頼まれて。なんでも無いんだ」
それから國友は、なにか考えながらビールを飮んでいたが、しばらくたつてから「フム」と言つて元の笑顏になつて、
「なんか知りませんけど、三好さん、あんな男には、かかり合わん方がいいなあ」
「どうして?」
それには答えないで、一人ごとのように、
「ロクな事あ、無い」とつぶやいた。
國友は昔から、めつたにこんなふうな言い方をしない男だつた。どんな重大な事を語るにも、さりげない言葉で輕くイナスように言つてすます、――それが、そういう仲間の氣質と言うか習慣と言うか――その事を私は知つていた。
「すると、貴島が、なにか――? いや僕も實は貴島のことは、ほとんど知らないんだ。死んだM――友だちだが、そいつが一二度つれて來ただけでね。一體、D商事という所で、どんな仕事してるんだろう?」
「社長の黒田さん――私あチョッとひつかかりがあつて知つてるんですがね、――その、秘書だと言いますがね、まあ、用心棒だな」
「用心棒?」
私は反問しながら、貴島のあの殆んど女性的とも言えるおとなしい人柄や顏つきを思い出していた。それと國友の言うことが、ピッタリしなかつた。
「すると、しかし、D商事と言うとこの商賣は、なんかこの――?」
「ううん、ただの、ありや、ちつぽけな會社ですよ。いずれ、あれこれと落ちこぼれの仕事をしたりこうなれば、なんと言うことはありません。ハッハ、いや私なども、こいで、昔の元氣はありません。ムチャはやれんくなつた。しようが無え、ケチョンケチョン、ボロ負けの、四等國民と相成りの、ショビタレの、ねえあんた、三好さんよ、その、忍術も使えんです!」
醉つて來たようだが、取りとめ無い事をペラペラと言うだけで、それきり、最後まで、貴島の事には觸れて來なかつた。私は、貴島の事をもつとくわしく知りたかつたが、國友のような男が、いつたん言うまいと思つて口をとじたが最後、決して一言も言わないことも知つていた。だから、問うのをあきらめた。そして互いに現住所の所書きを交換し、再會を約して外に出た。街には既に夕闇がおりて來ていた。
そこで別れて歸つていれば、よかつたのである。そうすればあんな事は起きていなかつただろう。
ところが、國友に「すぐに歸る三好さん?」と問われ、そうだ、念のためもう一度D商事を覗いて行こうと言う氣になつて、そう答えると、「そいじや、私も寄つてみるか」と言うので、さつきの道を逆に、夕闇を吹く微風に醉つた顏をなぶらせながらブラブラと二人はそのビルディングへ引き返して行つたのである。
8
しかし、やはり、D商事には、まだ誰も戻つて來ていなかつた。開かないドアの内部には灯かげも無く、シンとしている。或いは、前に私たちが訪れた時が既に今日の業務を了えて人が去つた後だつたかとも思われる。しかたなく、私と國友は暗い廊下を外へ出た。振返つて見ると、その建物がボンヤリと白く盲いたように、明るい窓は一つも無かつた。しばらく行き、間もなく國友と別れたが、すぐ私は小便がしたくなつて道から三四歩、燒跡に踏みこんだ。國友の歩み去つて行く靴音が、しばらく聞えていた。まだホンの宵の口なのに、離れた繁華街のあたりから物音が響いて來るだけで、この近まわりは靜まりかえつている。その中に、國友の歩み去つて行つた方角から、低い話し聲がして來た。何を言つているかわからないが、二人の聲で、一方は國友らしい。知つた人にでも逢つたのかと思いながら用をすまし、私は歩き出したのだが、直ぐの小さい四つ角の所に、國友は背を向けて立ちどまつて前に立つた人影と話していた。
「じや、あのシマの事あ、君んとこのオヤジさんも知つてんだね……」あとは聞きとれない。相手も何か言つたが、「……ですよ」という語尾だけしか聞えなかつた。兩方ともおだやかな言葉の調子である。私は、追い拔いて行くのも具合が惡く、自然に國友から五六歩の背後の電柱のかげに立ちどまるような形になつた。相手の男は、國友に對して、こちら向きに立つているため、國友の影に重なつて、よく見えない。その時、その人影がスット片手を國友の肩にかけるようなことをした。國友が「ア!」と低く口の中で言つたようだ。そのまま相對したまま二人は、しばらく動かない。
「……失敬しました」相手が低く言つて、ポケットから、ハ
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