年はもつね。ウフフ!」

 そこで僕は、いつたんそこを辭し去り、その夜九時ごろ再び訪ねて行きました。
 たぶん飮める口だろうと想像してブランデイを一本さげて行くと、案の條、立川さんはよろこんで、ワーイと叫び聲をあげ、いきなりそこにあつた茶わんで二三ばい、立てつづけにあおりつけました。
 樂屋じゆうガランとして立川さんと僕以外には誰もいません。此處に寢泊りしている者が他に二三人あるそうですが、舞臺がハネルのと同時に外に出かけて、夜おそくでなけれは戻つて來ないそうです。「フン、遊びだか、商賣だかね。どうせ、あたしなんか、そんな元氣無いや」と景子さんは言つていました。その誰も居ない夜の樂屋のガランとした一種異樣な寂しさには、おどろきました。僕はいろんなインサンな場所もずいぶん見て來たのですが、あんな感じの所はほかにありません。坐つていると、どこまで氣がめいるか、わからないのです。きたない事もきたない。晝間の時は、男女優がいつぱい居るし、脱ぎつぱなしの衣しようが散らかつているし、壁にはいろんなものがぶらさがつている――まるでゴミ箱の中のようなきたなさだつたが、まだあの方がよかつた。今は、ゆかの上なども一應掃き出されてそこらに散らかつている物も片づけられているだけに、そのきたなさがムキ出しになつて、救われようが無い。電燈も大部分消されて、二つ位しかともつていない。その隅の壁にもたれた景子が横坐りに太つた素足を投げ出して、顏中のシワを深めてブランデイをグイ飮みしている姿が、まるでどす黒く、ゆがんだ繪のようです。その足の先きを、話しているうちに、チョロチョロと鼠が走り過ぎて行きました。
 晝間でコリていたので、僕はいきなり本題に入りました。リストの名の中から立川さん自身だけを拔かして十四人を讀み上げ、その中に知つている人が居たらその消息を聞かしてくれと言いました。
「そうね、三四人なら知つてるわ。だけど、たいがい、もう大分以前の話だから、かなり變つちやつた人もいるんじやないかなあ」
「いいんです。それは僕が調べますから」
「そん中で、徳富さんと、本田の久ちやんの事なら、かなりよく知つてるわ。徳富さんは今たしか葛飾にいる。久ちやんは山梨縣の田舍よ。……だけど。あんた、そんなふうに女の人ばかり訪ね歩いて、どうしようと言うの?」
 それから、その理由を根掘り葉掘り聞きはじめるんです。僕の返事がアイマイなものですから段々に興味をそそられたらしいのです。Mさんに關係のある事らしいので、本氣で知りたい氣持もあるようです。そのうちに、ブランデイの醉いが出て來て、聞き方がシツコく、からんで來ます。しまいに、「わけを話さなきや、教えてあげない」と言うのです。僕は、かなり永いことガンバッていましたが、遂にしかた無く話す氣になりました。一つには、このままだと、もしかすると死んだMさんにルイを及ぼすかも知れないと氣が附いたためもあります。それに、十が十、この立川さんが當のあの女では無いという確信があるのと、色や戀も相當にしつくして來て、僕から見るとスガレきつたような相手であるために、話しやすい事もありました。それで話しました。話すと言つても、もちろん、あの晩のことをくわしく――僕があなたへの手紙に書いたように細かく具體的に話したのではありません。ただ「出征する前にMさんの引き合わせで逢つた女の人」と言つたふうに、なるべくボカして言いました。
「名がわからないと言うと、そん時、聞かなかつたの?」
「ええ」
「ふうん。……顏はおぼえているんでしよう?」
「よくおぼえて[#「「よくおぼえて」は底本では「よくおぼえて」]いないんです」
「だつて、あんた、その人と逢つたと言うんでしよう?」
「ええ。……でも、空襲中で暗かつたもんですから――」
 すると彼女は變な目をして默つて僕の顏を見つめていましたが、するうち、急にニタニタして
「ああそうか! 逢つたと言うのは、そういう意味なの? へえ! つまり、なんでしよう、この、仲良くなつたと言う――? でしよ?」
 僕は眞つ赤になりました。すると立川さんは目を輝かして嬉しがつてワーッ! と叫ぶのです。
「フッ! いいなあ! そうなのう! Mさんがその人を世話したのね? やるやる、Mさんなら、本氣でそれ位のことやるとも。……なんじやない、もしかするとあんた、そん時まで女を知らなかつたんじやない? それをMさんが、そんな事で出征はさせられないと言うんで、そんなふうにしてやつたんじやないの?」
 まるで何もかも筒拔けみたいなんです。立川さんは、深い附き合いではなかつたと言いながら、Mさんの性質を實に良く知つているようなのです。それとも、同じ芝居や映畫の世界の空氣を吸つて同じ年代を送つた人たち同士の間には、そんな細かい所まで通じ合うものが有
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