間ぐらいしか無く、奧行きだけ五六間もあります。どこかの石垣の奧の蛇の穴と言つた感じがしました。天井から一列に五つ六つの電燈がぶらさがつていて、その下に三十人近い男女優や踊り子たちが、半裸體になつたり扮裝のまま、居ぎたなく坐つたり寢そべつたりしているのです。奧の方へ行くには、人の身體をまたいで行かなくてはなりません。ムッと暖かく、タバコの煙がもうもうと立ちこめています。……その一番奧の壁に向いて坐り、タバコを横ぐわえにしたまま、小さい鏡に向つて化粧をしていたのが、それでした。僕を案内してくれた樂屋番の人が、
「この人ですがね……」彼女に向つて言い、僕を顧みてくれましたが、彼女は鏡の中から僕をジロリと見上げたまま、なんにも言いません。樂屋番が去つても、坐れとも言つてくれないので僕は立つたまま彼女を見ていました。横顏と鏡の中の顏、肩の形や身體つきなど、よく見ていると、かなり整つていて、カッコウだけなら美しいとさえ言えるのですが、眼の下や鼻の兩がわに不愉快なシワがあつて、それに眼つきが冷酷で、全體が實に醜いのです。第一、化粧途中のせいか、年が四十過ぎ、いや、ヘタをすると五十近いぐらいに見えます。僕は、一目見たばかりで「ああ、この人では無い」と思いました。景子は、そのまま僕の方へは目もくれないで、ゴシゴシとじやけんにオシロイのハケを動かしていましたが、急に
「困るなあ、立川なんて言つて、やつて來られたんじや!」と怒つた語調で言いました。「なんの用、あんた?」
「ええ、チョット、おたずねしたい事があつて――」
「……まあ、お坐んなさい。あたしの名は此處ではちがうんだからねえ。立川だなんて知つている人は、極く僅かなんだから。……ぜんたい、どこで私が立川だつて事聞いて來たの?」
「T映畫會社へ行つて、しかしそこでもハッキリした事がわからないもんですから、方々たずね※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて、ヤッと――」
「困るよ、そんな、映畫會社なんかへ行くの! チェッ、しようが無いなあ。全體、あんた、何さ? 學生? ……にしちや、立派すぎるわねナリが? あたしに聞きたいと言うのは、どんな事? ……ことわつとくけど、ズーッと以前の事は聞いたつて駄目よ。忘れちやつてるんだから。なんなの?」
「實は、僕は、兵隊に行く前に、しばらくMさんの――廣島で死んだMさんです、あの人の弟子みたいにしてもらつた者で、貴島と言つて――」
「え? Mさん? Mさんだつて!」彼女はビクンとしたように高い聲を出し、はじめて振返つて、僕の顏をじかに見ました。「あんた、お弟子さんだつて? そう……そいじや、役者?」
「いえ……シナリオだとか芝居の演出方面の勉強をしようと思つて、……でも、まだホンのやりかけたばかりで出征してしまつたもんですから……でもMさんからは、たいへん可愛がつてもらつて―」
「M――か」と景子は、Mさんの姓名全部を呼び捨てに言つて、しばらく何か思い出すような眼つきをしていたが「フン……そうなの? そんなら、それをなぜ早く言わないのよ。あたしは又、どつかのヨタが、タカリに來た位に思つていた。ごめんなさいね」
 はじめて微笑した。笑うと鼻のわきのシワがいつそう目立つて、まるでキズのようになり、更に婆さんヅラになるが、意外な位に人の良さそうな表情になつている。
「そうMさんのお弟子さんね。そんなら、あたしともマンザラ縁が無い事も無い。フフ。いえ、別に私はあの人の弟子じやなかつた。向うは大スタアでこちらは名も無いワンサ女優だつたんだから。だけど、私、尊敬してたからね。良い人だつたわねMさんて? でしよう? 良い人だつたなあ!」
 言つている間に、ボロボロ泣きはじめたのです。びつくりしました。シワだらけのミジメな、しかも、ドギツイ化粧を半分やりかけたままの頬にタラタラと涙が流れて、悲しいよりもコッケイになります。しかし、僕は思いました。こんな場所で、こんな女がMさんを思い出して泣いている。これはMさんが死んでから流された、いろんな人々の涙の中で一番純粹なものかも知れない。Mさんは自分が死んだ後に妻も子供も、財産も著書も、その他何一つ殘されなかつた。しかし、こんな人の中に、心の底に何かを殘していられる。Mさんは、やつぱり、えらかつたんだなあ。そしてあの人のえらさは、こんなようなえらさだつたんだ。……そんなふうに思いながら僕は坐つていました。「バカね、あたし……」景子は、しばらく泣いていてから、テレてニヤニヤしながら言いました。「變に見えるでしよう? 告別式にも行かないどいて、今ごろ泣くなんて。フフ! まるで、あの人の色女だつたかと思われかねないわね? そうさ、Mさんて人は浮氣な人だつたからね。でも私なんて、こんな、昔つから芝居でも映畫でもホントのワンサでね。M
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