タリと笑つている。
そして二人連れ立つて歸つて行つた。したがつて、貴島勉がなんのために私を訪ねてきたのか、遂に不得要領に終つてしまつたのである。私は、ひどく疲れていて、すぐに寢てしまつた。
ルリの姉の夫だと名乘る小松敏喬が私を訪ねて來て、ルリの失踪のことをしらせてくれたのは、その次ぎの次ぎの日だつた。
5
「芙佐子がいつもお世話になりまして」と黒い背廣をキチンと着て、どこかの官廳にでもつとめているらしい四十恰好の小松敏喬は謹嚴な初對面の挨拶をすますと、すぐ言いはじめた。「――實は芙佐子が昨日から……いや正確に申しますと一昨夜からどこへ行つたか知れませんので、内の者が非常に心配しておるものですから、突然お伺いしてなん[#「なん」に傍点]ですがこちらのお話しをよくしているのを姉……つまり私の家内でございますが、おぼえていまして、はあ。いえ、かねてたいへんわがままな子でして、それにあんなシバイなどにつとめていまして、一晩や二晩もどつて來ないことは珍らしい事ではありません。しかし今度は、いつもとは、すこしちがつているように思われますものですから。家内が言いますには、一昨晩、十二時過ぎに芙佐子は戻つて來たそうでありますが、その時の樣子が、すこし變だつたそうで、はあ。洋服を着ないで、シュミーズもこの上半身は脱いでしまつて………つまり、裸だつたような氣がすると言いますがね。はあ。家内はもうその時は寢ていましたそうで――いえ私は、別の所に住んおりますから、あの家には居りません――それが物音で目をさまして「芙佐ちやん?」と言いますと「うん」と返事をした芙佐子がですな。どうせ寢ぼけまなこで、それに御存じのように、あのへん、まだ電燈がつかないものですから、外からの薄明りの中で見たのですから、ハッキリしたなに[#「なに」に傍点]では無いと思いますが、たしかに、この、……そう言うのです。かねて、この、暑い時など、家に入る前から着ている物のホックなどはずしてしまつて、下着一枚になつて飛び込んで來たりする子でして、どうもこの……ですから、それだけならまあなんですが、朝になつてみますと、いつ出て行つたか居なくなつていたそうで。それに書置きがありまして、家内の着物――と言いましてもモンペの防空服ですけど、それを着て行つたものと見えて、なくなつております。それにですね、家から一町ばかり離れた燒跡の草の中に、芙佐子の着ていたピンク色のワンピースがズタズタに破られて、捨ててあるのを家内が見つけました。どうも、なにか、この暴行された……まあ、なんです、まさかとは思いますが、とにかく、捨てては置けないと思いまして、さつそく昨日、R劇團の方へ參つて見ましたが、ルリさんは昨日の午後――つまり一昨日ですね、頭が痛いから今夜は休ませてくれと言つて歸つたきり、ズット見えないから、こちらでも實は困つている。そう言うのです。實は今日もあちらへ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてみましたが、やつぱり來ておりません。そんなわけで、とにかく、お宅へ伺えば何かわかりはしないかと思いまして、失禮ですがお伺いしたようなわけでございまして――」
相手がジレジレするほど※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りくどい言い方で言つている間に、私の目には一昨夜のルリの姿が現われて來、そのピンクのクレープデシンが、引き裂かれて、燒跡の草の上にダラリとひろがつている光景が見えて來た。
「そうですか。……それで、その書置きと言うのは?」
「はあ。それがどうも、意味がよくわかりませんので。……これです」
ポケットから出したのは、ノートから引きちぎつたような紙で、それに、舞臺の人間がよく使うコンテ式のマユズミのなぐり書きで、
「姉上さま。あたしは、キジマという人からブジョクを受けました。もう知つた人に顏を見せられません。フクシュウをしないでは、もう生きてゆけません。あたしを、さがさないで下さい」と三行に書いてあつた。
6
「ブジョクを受けました」
その侮辱と言うのは、どういうことなのだろう? 「暴行」と取つていいのだろうか? だが、そうならば、なぜそう書かなかつたのだろう? 若い女の羞恥心のためか、又は、氣位いが高いために、自分が受けた淺ましい目を、むきつけに書けなかつたためか? しかし、いくら貴族出身の若い娘とは言つても、既に、猥雜な舞臺人の世界の中でもまれはじめて教カ月を經ており、しかも、もともと思つたことは不必要なまでにズケズケと言つてしまう性質の女が、そんな※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りくどい表現をするだろうか? しかし――と私は、儀禮的な心配の表情を顏にこびりつかせたまま、しかつめらしく控えている小松敏喬を前に置いたまま考えた。
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