みると、なるほど「貴島が居ない」と久保が言つたのは染子に對してであつて、私に答えたのではなかつた。……ヤレヤレと思いながら私は貴島の顏を見た。
 貴島も私を見てびつくりしている。入つて來たのは久保と杉田の二人だけと思つていたらしい。
「ああ、三好さん…………」と低く言つて助けを乞うような眼色で、チラッと久保の表情を探るようにした。イタズラをして逃げかくれていた子供が、母親に見つけ出された瞬間のような、眞劍におびえた樣子があつた。それには私のがわに原因が有つたのかもわからないとも思う。貴島の姿を發見した瞬間、私は壕の中に立ちはだかつて、彼を睨みつけていたかも知れないのである。不良少年を弟に持つた兄の怒りに似た複雜な氣持を味わつていた事は事實だ。……私よりも上背のあるガッシリとした貴島の姿が、私の前で急に小さくなつてしまつて、オドオドと私を見あげた。しばらく會わない間に、目立つほどに痩せ、かねて青白い顏が、更に紙のように血の氣を失つていた。
「……すみません。御心配かけて――」
 そう言つて頭をさげた。襟足が女のように細くなつている。見ているうちに、どう言う加減か私は不意に涙が出そうになつて來た。それから、急にムラムラッと腹が立つて來た。貴島にも自分にも腹が立つて來た。同時にそれは、貴島に對するものでも自分に對するものでも無かつた。ギラギラするようにはげしい憤怒であつた。……
 そうしていながら、私は白状するが、その瞬間に、そして、その瞬間から、貴島勉を愛した。愛したなどという言葉は、おかしな言葉だ。私などがウッカリ使うと、そのトタンに薄つぺらになつてしまう言葉である。しかし、ほかに適當な言葉が無い。愛した。

        25[#「25」は縦中横]

 間もなく、貴島はオドオドした調子から囘復して、私が訪ねて來たことをシンからうれしそうにしはじめた。
 蒼白な顏に薄く血の色をさし、はずかしそうにニコニコ笑いながら、コーヒーを入れてくれたりした。
 その横から杉田が、めんくらつて見ている。ふだんの貴島から、あんまり變つてしまつたので、ビックリしているらしい。それに「兄き」の貴島が急にイソイソして、まるで女になつてしまつたように歡待している、この三好という男は一體こりや何だろうという氣持が動いている。彼は、私に對して段々敬意のようなものを拂いはじめた。そこに、何か滑稽な、そして、生え拔きの博徒などの中に間々ある子供らしい眞正直さの調子があつた。
 四人の氣分が、だんだんほぐれ、三十分後には、なごやかな夜食の光景になつていた。
 杉田は、親分の黒田の命令で貴島の護衞に當りながら――貴島の身のまわり一切を世話することになつているらしい。相當の金を託されているのであろう。タバコやコーヒーやウィスキイなどの上等なやつがそろつている。そのウィスキイの口を開け、
「まあまあ、先生、一杯!」と言つて、杉田がキチンとかしこまつて坐つて、私に第一番目にコップを握らせた。先程久保が「貴島の先生に當る人だ」と言つたのをおぼえていたらしい。私はふき出しそうになつたが、相手が大まじめなので、笑つて氣の毒なような氣がしてだまつてコップを受けた。それを貴島がチラリと私の眼の中をのぞき込んで、クスリとする。嬉しそうだつた。自身が感じている幸福のあまり、ほとんど人に媚びるような眼の色であつた。
 貴島も飮み、久保も飮まされ、杉田も自分でグイグイやる。
「さつきは、ホントにびつくりしました。あなたが、來てくださろうとは思つていなかつたもんですから、しかし、よく來て下さいました」貴島はすこし醉いがまわり、舌がほぐれて來たようだつた。それを杉田が引き取つて、
「いや、しかし、あたしや、そんな事知らねえもんだから、こいつはと思つてね、さつきは。ヘヘ、すつかり暗くならない内でよかつた。暗くなつてたら、危なかつた。いえさ、あたしの方がさ。だつてテッキリ國友の方の相當の顏だと思いましたあね。そうですぜ、先生! じようだんじや無い。大した氣組みだつたからなあ。君は何だと言われた時にはギックリしたです。ハッハ、まつたくでさあ。いや、そいでも、先生、こんな男ですけど、なんですよ、あたしが附いているからには、貴島の兄きには指一本、絶對にふれさせませんからね。安心なすつて下さい」
 これも嬉しそうだつた。善良な氣質の男らしい。しかも、その道の人間としても相當ねれていて、そんな事を言わしてもキザな所が無い。戰後のグレン隊あがりなどにある薄つぺらさが無い。下司だが、下司なりに、ゴリリとして手ごわい所があるのである。私は、惡い氣持で無く、それに貴島をたずね當てた安心のようなものもあつて、快く醉つた。
 飮んでも、ふだんとまるで變らないのは久保だけだつた。顏を薄赤くして、眼を細くしてニコニコし
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