そいじやあ、まだ横濱?」
「う?……どうして君それを――?」
「知つているのよ。國友という組の子分の人が、こないだからホールへやつて來ちやあ、貴島さんの事をしつこく聞くもの。どうしたの一體、貴島さん? 何か追いかけられているんじやない? 用心した方がいいわ。そう言つといてよ。振られるには振られたけど、こいでやつぱし私はまだあの人を好きなんだわねえ。アアアア」染子は大げさに泣く眞似をして見せてから「……しかし、だから、いつそあんな奴は半殺しの目にあえばいいと思うのよ。だつてそうじやありませんか? 貴島は色魔よ。あんまりひどい! 人をさんざん引き寄せて、ひつぱり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]しといて、勝手にいじくり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]した末にうんだともつぶれたともハッキリしないで、うつちやつちまうんだもの。私にしてみれば、どう考えていいのかわからないじやあないの! いくらダンサーだつて、あんた、ただのお客と踊る時と、戀した男と踊る時は、違うのよ。同じステップを踏むんだつて、身體の持つてき方が違うのよ。腰を入れる。わかる? 腰を入れるのよ。ウフフ、立つて踊つているようだけど、その時には、男に抱かれて寢ているのと全く同じなんだわ。わかる、久保さん? 私の言うのはそれさ。それまで私をなにしときながら、そこから先のかんじんの事となるとケロリと知らん顏しているんだもん! ザンコクじやないか! え、ザンコクじやないの、久保さん! 貴島という人はそんな人なのよ。だからインポテントの色魔! それが私だけじやないのよ。私の知つているだけでも、貴島さんに同じような目にあつている女が五人も六人も居るんだ。一體全體――いいえ、こんだけの女の恨みが、ただですむと思つて? 今に見て御覽なさい、あの人の身の上にロクな事はないから。見ていろ畜生!」
「何だか俺にやあよくわからないよ。貴島にそう言つとく」
 久保は、兩手をフラフラさせて、まつわりついて來そうにする染子のそばを離れて、私の方へやつて來た。女はそれをしばらく見送つていたが、急にゲタゲタと笑い出し、片手を高くこちらへ向つて上げた。
「バイバイ。あばよ!」
 フン、と言つたなり久保はふりかえりもしないでスタスタと歩き出していた。
 そのうしろ姿を見ながら、私はそのまま歸つてしまおうかと考えた。いつしよに防空壕に行つても、貴島も佐々も居ないとあつては、無駄だ。……そう思いながら、しかし私は自分でも知らぬ間に、久保のうしろから歩いていた。默々として歩いて行く彼の姿の中に、變に人を引きつける催眠術みたいなものがある。そのくせ、彼は私の方を振り返りもしない。防空壕の所に歸りつくまで一言も言わなかつた。何か考えているようでもあるが、それが何の事であるか見當がつかない。
 防空壕のある燒跡にくだつて行く坂道のへんから、あたりの暗さが急に濃くなつて、まるで墨の壺の中に入つて行くような氣がした。マーケット邊の灯の光に馴れた目が、特にそう感じることもあるかも知れないが、それを拔きにしても、その晩の闇は特に濃かつたようだ。
 石垣の所まで來ると、先ほどの男が又出て來て「やあ、お歸んなさい」と久保に笑いかけてから私に向つて
「さつきはすみませんでした。あたしは、黒田んとこの杉田と言いまして……杉田の杉で、一本杉と言われていますけどね、ズーッとこの、貴島の兄きに附いております」
 挨拶のしようも無いので、ただうなずいていると、久保を振りかえつて
「今、そこいらで、變な奴に逢わなかつたかね?」
「うん? いや逢わない。どんな――?」
「いや、國友の方じや無い。私服の刑事かなんかだ。このへんを二三囘ウロウロして見てまわつていたようだつたが、今、そこの角を曲つて行つてしまつた」
「ふうん…………」
「……毎晩ここいらにやつて來る國友の奴等のことを、ドロボウか何かだと思つて、誰か此處いらに住んでいる人間が、サツにそう言つて行きでもしたんじやないかね? 心當りはないかね?」
「無い」
「そうか……」杉田はチョッと考えていたが
「まあいいや。どつちせ、大した事は無かろう。何か食う物、買つて來てくれたかね? なんせ、三四時間立ちどおしで、腹ペコペコだ。おどろいたよ!」
「買つて來た。食おう」
 久保は防空壕の方へおりて行く。私と杉田もそれに續いた。壕の中からはボンヤリしたロウソクの光が差していた。私たち三人が狹い入口をおりて行くと、その光にユラリと影を動かして、寢そべつていた男が一人、起きあがつた。
 貴島勉であつた。
 そこに貴島が居ようとは思つていなかつた。それなら、そうと言つてくれればよいのにと、あらためて久保を見ても、久保は何事も無かつたような顏をして、買つて來た食料品の始末をはじめている。氣がついて
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