「おい、ルリ――」と、肩に手をかけようとすると、その手を默つたまま拂いのけるようにして、いきなりクルリと身をひるがえすや、そこらの乘客を突きのけるように掻き分けて、ドアの方に突き進んだ。人が混んでいなければ、そのまま驅け出して、いきなり車外へ飛び出しでもしそうな勢いである。ビックリして私は後を追つた。やつとドアの前の所で、彼女をつかまえた。幸い電車はまだ走つていて、ドアはしまつている。しかし、開いた窓からでも飛び出しかねない樣子なので――いや、いかに綿貫ルリが無鐡砲でも走つている電車の窓から飛び降りたりする道理は無いのだが、その時の血相から私にはそんな氣がしたのだ――私は彼女の左の腕をしつかりと掴んだ。
 附近の乘客たちが變な顏をしてジロジロ見ている。ルリはそれらの視線を平然と見返しながら立つている。しかし、彼女の身内が細かくブルブルとふるえているのが、掴んでいる腕から傳わつて來た。何か遠くの、底の方から電氣の嵐のようなものが、近づいて來るような感じだつた。全體どうしたのだ? もしかすると、氣がヘンなのではないか、こいつは?……衆人環視の中で、若い女の腕を掴んで立つていなければならないテレくささ、それに何だか譯もわからない、いや、わかつたとしても、どうせ大した譯でも無さそうな事で、こんな大げさな眞似をする小娘のうるささ、それをしかし勝手にしろと打ち捨てて立ち去つてしまうわけにも行かない――私はすこし腹が立つて來ていた。ルリは一言も言わない。ありがたい事に、間も無く電車はS驛に停つた。ルリはサッサと降りながら、青い顏のままチラリと私を見たが、足は停めず、胸を張つてスッスッとプラットフォームを行く。別に逃げ出そうという氣配も無い。やれやれと思いながら並んで歩いた。
「三好さん、そいじや、僕、ここで失敬します」
 うしろで聲がするので振返ると佐々兼武だ。實は、彼のことを私は胴忘れしていた。
「そう、そいじやまあ――」
「近いうちに、お伺いするかも知れません」と佐々は不遠慮な眼つきでルリの方を見ながら、「いずれ貴島と連絡がつきましたら」
「え、貴島さん?」ルリが立停つて佐々を正面から見すえた。「………貴島さん、どこに居るんですの?」
「いやあ……」佐々は、ルリと私を見くらべながらニヤニヤしている。
 私は、かんたんに二人を紹介した。佐々はルリに對して強い興味を持ちはじめたら
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