對して佐々が、
「そうだよ、よせばいい」とアッサリ相槌を打つたのは、意外だつた。
「どうして貴島は黒田なんて男の所で、あんな事してるんだろう? ゼニが欲しいからかね?」
「ゼニもゼニだろうが、それよりも、なんか彼奴はムシャクシャしてたまらんのじやないかね。實際、あいつはオキナワで死んでいりやよかつたんだ。死んでた方がラクだつたよ。彼奴を見ているとそんな氣がする。全くシンから氣の毒になるよ!」佐々の聲が、うめくようにシミジミとしていた。しかし、たちまち又、刺すような語調になつて「いや、ホントは彼奴はオキナワで死んでいるんだ! カラダだけが死にきれないで、いまだにウロウロしている」
「そいじや、アベコベじやないか?」
「そうさ。近頃じや、すべてアベコベだ。カラダが死にきれないんだ。だから幽靈さ」
「フ、貴島が幽靈で、俺が豚か」
「そうだよ、お前は豚だよ。そいつはハッキリしていらあ」
「そいでお前は共産黨か?」
「そうだよ、とにかく、人間だ」

 それから、二人の長々とした議論がはじまつた。それは久保がその職場での爭議に對して冷淡すぎる事を佐々が鋭くとがめることから始まつて、話は次第にもつと一般的な事にわたり、二人の青年がこの現代に處して生きて行く行き方の根本的な違いから來る論爭になつて行つた。とは言つても、それは、ひと昔以前のインテリたちの間に流行した一般論や抽象論では無かつた。そんなものとは、まるで違つた質のものであつた。この樣に混亂している現代の中で今すぐに、ジカに自分たちが明日からどうして生きて行くか、あの事やこの事をどんなふうに處理して行けばよいか、どうするのが一番正しいか――と言つたような事である。學問的な言葉は二人とも使わない。使おうと思つてもそんなものは、あまり知らないらしい。正規な高級な社會學的な教養は二人とも持つていないのである。それでいて、二人がそれぞれ自分勝手な不正確な、血の出るような生々しいジカな言葉で言い合つている事が、今の時代の一番重要な問題であつた。それが私にだんだんわかつて來た。私の眼は、いつの間にかハッキリと醒めてしまい、強い興味でもつて二人の議論に聞き入りはじめたのである。
 その議論を私はそのままに此處に書き寫すことが出來る。實はそうする氣でいた。しかし、それをしていると三四十枚かかる。長過ぎるであろう。私は前途に書くべき事を多く持
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