バカな事じや無えよ。腹がへつちや、イクサはできねえもん」
 久保は皮肉やシャレを言う氣など全く無しに言つている。佐々はサジを投げるように舌打ちをして
「そいで、なんで三好なんて人を連れて來たりしたんだ?」
「貴島がいつしよに連れて歸つてくれと言つたから――」
「なんか用があるのかい?」
「知らん、俺あ」
 それから、二人はしばらく默つていたが、佐々の聲が、私が眠つているかどうかを試すように低い聲で此方へ向つて、
「三好さん…………」と呼びかけた。私はだまつていた。トッサに返事が出なかつたせいもあるが、眠つたふりをしていてやろうと言う氣になつていた。佐々はもう一度私の名を呼んだ。今度も私は返事をしなかつた。それで佐々も久保も私がグッスリ眠つているものと思いこんだようである。
「知つているのか君あ、この人を?」久保の聲が言つた。
「名前は知つている。書いたものも讀んだことがある。つまらねえ文士だ」吐き捨てるように佐々が言つた。
 私は暗い中で苦笑した。
 そのくせ、翌朝になつて三人が起き出して顏を合せると、久保の紹介も待たずに佐々は私に話しかけて來たが、それは並々ならぬ敬意と親しみのこもつた態度であつた。相變らずノッソリしている久保にくらべて、その手の平を返したような調子にキビキビした一種の愛嬌が有つて、私には不快では無かつた。…………
 それから二人は、安心しきつた調子で、しばらく貴島のことを話した。話の内容は私によくわからない所が多かつたが、でも前後を綜合して判斷すると、貴島と佐々の今夜の冐險はうまく行かなかつたらしかつた。發動機船でいつたん横濱の港外まで出るには出たが、指定の時間の直前になつて、先方の船が來る予定の方向とは違つた港内の方角から、舷燈を消しエンジンの音を止めた小さな船が、近づいて來るのを發見して、怪しいと見て急いで引返して來てしまつたらしい。貴島は、いつしよに行つていた黒田の配下の者たちと共に、横濱の黒田の本據の方へまわり、佐々は貴島たちに別れて歸つて來たらしい。近づいて來た小船が、もし警備艇であつたとすれば、偶然の事とは言えず、或る程度まで目星をつけられていると思わなければならぬ、そうなれば貴島たちが相當の追求を受ける危險が有る。いずれにしろ、この三四日は貴島は戻つて來ないだろう…………。
「バカだな。そんな事、よせばいいんだ」久保が言つた。それに
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