―僕はチョット用がありますからひと足遲れますけど――僕んちへ來てくださいよ。これから――」
 貴島が言いかけている所へ、外の廊下に足音がして、ドアがスット開き、丸い顏の男がユックリ入つて來て「やあ」と言つた。そのため私と貴島の會話は打ち切られてしまつた。

        11[#「11」は縦中横]

「どうしたんだお前、今ごろ?」
 貴島は、いぶかしそうな顏して男を見た。來る約束になつていた相手で無いらしい。復員服に板裏ぞうりをはいて不精ひげを生やした丸い顏が眠いように平凡だ。入口の通路の所にノッソリ立つたまま、
「頼まれてなあ、佐々から」
「え、どうしたんだよ? 佐々は今夜ここへ來ることになつているんだよ」
「うん、それが急に來られなくなつたから、ジカに野毛の方へまわるから、君に先きに行つてくれだつて。九時三十分には必らず行くからつて。なんだか、本部の方へ急に寄る必要が起きたとかなんとか言つてた」
「へえ。……だけど、ハジキは手に入つたのかなあ。なんか、そんなこと言つてなかつた?」
「ハジキ? 聞かんなあ」
「だけど、君んとこに寄るひまが有れば、ここに來られるじやないか?」
「ううん、佐々は、ここんとこ毎日のように俺の會社に來てるんだよ。經營管理なんて、みんな騷いでいるから、組合の幹部なぞと年中逢つてる。種取りだろ」
「黨から何か言いつかつてるんじやないかね?」
「それもあるかなあ。よく知らん」
「そいで君んとこの爭議は、どんな模樣なんだ?」
「ダメだね、みんなワイワイ騷ぐばかりで」
「しかし、お前、そうやつて出て來ちやつていいのか?」
「うむ、食い物が無くなつちやつたしなあ。俺のカマも二三日前に、とうとう火を落しちやつた。サランパンだあ。こいから荻窪へもどつて、なんか食つて寢るんだ」
「そうか」と貴島は言つてから、しばらく默つて考えていたが、やがて私をかえり見て、
「どうでしよう、これから荻窪へ行つてくださらんでしようか? 僕は横濱までチョット行つて、今夜中にはもどりますから。ちようど、いいところへ久保が來たんで、いつしよに――」と、そこまで言つて笑いながら、男に向つて、私の名を言つて紹介してから「これは久保正三と言つて、僕といつしよに暮している友だちです」
 男は、かねて私の名を貴島から聞かされていたものと見えて、默つてペコリと頭をさげた。
「おさしつかえが
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