崖のふちまで行つて怖々下を覗きながら)キツト此辺から列車目がけて飛ぶんだよ。気味の悪い!
香代 よりちやん、あんたの後ろに誰か立つてゐるよ。
より え? なに?
香代 そら、そこだ。
より ヒーツ! (真青になつて下手へ駆け出してゐる)やだツ!
香代 アハハハ。直ぐ私も戻るからね。
より (立上つて)意地わる! いいよ、私は先に帰るから。あゝ胸がドキドキする。(行きかけて又振返つて)……本当に香代ちやん、変な気を起しちや駄目だよ。
香代 なによ言つてるのさ、馬鹿だねえ。
より 少しあんたも男に惚れて見たりするといいんだがなあ。いくら、もう、男にはコリゴリだと言つてもさ、女はやつぱり女だもの。世間の男が、大概餓鬼道ばかりだとしても、みんながみんな三ちやんのお父さんみたいな者ばかりでは無いわよ。あんた、あんまり情がきついから世間も狭くするのよ、僕が忠告しとく。
香代 おつしやいましたね、あんたこそ少し男に惚れ過ぎやしない? あんまり情が深いから身が持てないつてね、一目惚れのより子さん。
より はゞかりさま。ビー、だ! (小走りに消えて行きながら)直ぐ来てよ。
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(夕闇が降りはじめる。香代は茶碗の中へ乳首を押しながらヂツと動かない。上手に男一人の寂しい歌声(前に出たのと同じ節の木挽歌)が起り、次第に近づき、薄暗くなつた線路の所を、鶴はしを担いだ工夫の姿が一人通り過ぎて奥へ。
『山で切る木は、数々あれど、
思ひ切る木は、更に無い。チートコ、パートコ』
泣いてゐる香代。……間。……かなり離れた引込線ででもあらう。汽笛が二つばかり響、しばらく間を置いてエキゾーストの音。……柵の傍に立つてゐる細い電柱の上の外燈と、もう一本の列車のための信号燈がポカリと灯《とも》る。光は少し斜めに丘の上までを照す。……照し出された香代は既に泣いてゐない。眼をカツと見開いて、遠くの列車の響を聞いてゐる。又汽笛が二つ三つ。
スツと立つた香代、先程より子がしたのと同じ様にスタスタ崖の縁へ歩いて行つて、線路の方を見おろす)
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香代 ……三吉。(ポツンと言つて、スツとしやがんでしまふ。眼は線路に釘付けになつたまゝ。伝わつて来る鈍い列車の響)
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(先程工夫が歌ひながらやつて来たのと同じ方向からフラフラと出て来る男。古背広に半ズボンに巻ゲートル、地下足袋姿に、乏しい荷物を振分けにして肩にした見すぼらしい渡り人夫の留吉。――三十二三歳だらうが、ひどく老けて見える。疲労と空腹のために顔色蒼白の上に病気。無論、崖の上から香代に見られてゐる事には気が附かない。……柵の所まで歩いて来て、よろけさうになるが、両足を踏みしめるやうにして立直つて歩かうとした拍子に枕木に足を取られ、唸り声を出して前のめりに線路に倒れる)
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香代 あ! ……(思はず立止まつてゐる。留吉は顔を上げない)
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(遠くの列車の響。
香代小走りに降りて行き、麓で手に持つた茶碗を地面へ置いて留吉の傍へ)
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香代 あんた! ……どうしたの? (相手は低く唸つてゐるだけ)……こんな所で……危い……(四辺を見廻したが、思ひ決して留吉の片手とバンドを掴んで懸命にズルズル引つぱつて丘の麓へ)……あゝ重いつたら。……しつかりなさいよ! ……弱つたねえ。
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(一人では駄目だと思つて、誰か迎ひに行かうとする)
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留吉 ……水! 水! 水を、水をくれ!
香代 水だつて? 困つたねえ、ちよつ、ちよつと待つて、取つて来るから――。(置いてあつた茶碗を取る)
留吉 水を! 水をくれ!
香代 ……(相手の様子を見ては走り出して行きもならず、留吉の顔と茶碗の中を見較べてゐたが、それを留吉の口の所に持つて行つて、中味を空けてしまふ)……仕方が無い。(少し、むせる留吉)……あんた、どうしたの?
留吉 (寝たまま稍々元気になり)……腹も……空いてるが、……病気だ。……病気です。脚気――。
香代 病気なの? さう。私あまたどうしたのかと思つてさ。
留吉 ……あんたあ、誰だ?
香代 私あ、お香代といふのよ。……(先程からの自分だけの気持と、今自分のした事を思ひ合せて苦笑してゐる。線路の信号燈の青が赤に変る)
留吉 ……お香代さん、か……どうも、すまねえ。……俺あ留吉と言ふもんです。
香代 フン、……礼にや及びませんよ。フフ、変なもんねえ、ハハ。……(気を変へて)留吉……あんた、此の土地の人ぢや無いのね?
留吉 少し、今日は歩き過ぎた。……(まだ息が苦しさうである)……渡りもんです。……仕事を捜して歩いてる……なんか、此処に、仕事は無えだらうか? ……あゝ苦しい。
香代
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