そんなに喋つちや、まだいけないんでせう。……さあね仕事と言われたつて、私なんぞにや――。
留吉 この、胸んとこが、苦しくつて、仕様が無えんですよ。
香代 着物を少しゆるくしたら。どれ……(留吉の着てゐるものをゆるめてやりはじめる)……少しは楽になつたでせう? 胸も少しはだけたらどう? これなに? どうにか側へやれないの?
留吉 (出しぬけにギヤーツと言う様な叫声を上げて、手足をもがいて跳ね起きる)な、な、何をするんだ!
香代 (びつくりして)あつ! なんですよつ!
留吉 (胸の所を押へてヂリヂリ後しざりに線路の方へ)こ、こ、これを、俺のこれを、……何をしやがるんだつ! ……これに手を触れたら、こ、こ、殺すぞ! 畜生、うぬあ、……ち、畜生! (肩で息をしながら、ギラギラ光る眼が香代を睨んで立つ。殆んど常識では考へられない程の突変[#「突変」に「ママ」の注記]した見幕である)
香代 (あつけに取られて)……なにさあ! どうしたんですよ?
留吉 どうしたと? 人を、人を、親切ごかしに、たらし込もうとしやあがつても、その手に乗るかつ! ばいため! 人の金を――!
香代 ……金? それ、金なの?
留吉 (うつかり自分から金の事を言つたのに自分で周章てゝ、自分の口も香代の口も一緒にして塞いでしまひたい衝動で、両手を突出して宙に振る)えゝい! 言ふなつ! 金ぢや無いつてば! 言ふなつ! 金ぢや無いつ! もう何も言ふなつ!
香代 お前さん、それ、何の真似なの?
[#ここから2字下げ]
(近づいて来る列車の響)
[#ここで字下げ終わり]
留吉 何の真似だらうと、大きなお世話だつ! 人に水を飲ませたりして、親切さうにしやあがつて――(ゼイゼイ肩で息をしつゝ線路の上に立ちはだかつてゐるが、弱つた身体が昂奮のために今にも倒れさうだ)
香代 ……(あまりの言ひがかりに、怒る前に苦笑)水だつて? フン、さう、水か。フフ。……まあ、どうでもいいぢや無いの?
留吉 うぬあ、ぬすつとか!
香代 え? ……(呆れて相手を見詰める)
[#ここから2字下げ]
(間。――二人は、丘の麓と線路の上と離れたまゝ、見合つてゐる。ゴーツと近づいて来る列車の響。汽笛)
[#ここで字下げ終わり]
香代 危い! 汽車が来たよ! (三四歩進む)
留吉 (線路の上を香代から反対の方向へ逃げようとするが、足元がもつれて、ヨロヨロする)来るなつ! 来るなつ! ついて来ると、しめ殺すぞつ!
香代 (パツと線路の方へ飛出して行き、前に廻つて留吉の肩口をドンと突き)馬鹿! 危いんだよ! (留吉の胸倉を両手で鷲掴みにして、力一杯身体ごと線路の外、柵の方へ引きずつて来て、そのまま胸倉を離さぬ)
留吉 な、な、なにを貴様――! (自分の両手はふところをシツカリおさへてゐるので香代にされるまゝ)
[#ここから2字下げ]
(間。――間近かに迫つて来る列車の響の中で二人が両手を突張つたまゝ取組んで無言で相対し、互ひに光る眼で見詰め合つてゐる。

急に幕。

とたんに、グワーツ! と通過する列車の轟音)
[#ここで字下げ終わり]


[#5字下げ]2 蔦屋[#「2 蔦屋」は中見出し]


[#ここから2字下げ]
(約半年後の春の宵。蔦屋の店内。奥中央にノレンの下つた入口。土間を広く取つてあつて、下手の部分は細長い食卓が三つばかりと作りつけの腰掛け。上手の一部が二重になつて畳が敷いてある。土間は二重の前を廻り込んで、上手に開いている出入口(奥の室及び裏口へ通ず)へ。下手の長食卓の所で辰造(前出)と、志水(着流しの卅五六才の工夫)が、より子を相手に飲んでゐる。三味線を弾いて唄ふより子に合せて志水も唄つて[#「唄つて」は底本では「唄って」]ゐる)
[#ここで字下げ終わり]

辰造 もう歌は止せよ。ムシヤクシヤすらあ。
志水 ……だつて公会堂の寄合ひは九時からだ。手筈は決つてゐる。今頃からいきり立つ事あ無えさ。
辰造 だつて島田が死んでから、もう半月にもなるんだぜ。会社であんな浸水のひでえトンネルを掘らせたためにボタを喰つて死んだとありや、立派な殉職ぢや無えか。それを、いくら臨時工夫だからつて、未だ手当を出ししぶるなんて、人間の法に有るかい? 第一、後に残されたおふくろや子供はどうして食つて行けるんだ?
より 島田さんとこのお婆さんなら今朝も此処へ来たよ。(志水に)あんたは寄らなかつたかつて。
志水 へえ、なんだつて?
より 会社との事で頼みたい事があるつて。
辰造 それ見ろ、いよいよどうにもやつて行けなくなつて来たんだよ。購売の方ぢや物価が高くなつたの一点張りでグイグイ品物の値段は上げるしなあ。日当は一厘だつて上りやしないんだ。たゞでさへ四苦八苦してゐるのに、これで稼ぎ人にポツクリ参られて見ろ、ほんとに! 他人事ぢ
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