前の亭主だもの、俺あビツクリしたぜ。
雪 ……だつて仕様無えもの。(下を向いて兄の前に膳を据ゑる)
留吉 なにかね、製板所ぢや土地の人が五十人も働らいてゐるつて?
雪 ……中で働らいてゐるのは二十人位だけどね、なんやかやで五十人位ゐるかな。貧乏人ばかりでね、工場が人手に渡るとその人達も追出されるさうで、直ぐ翌日から食つて行けなくならあ。
留吉 ……しかし、利助さんと言ふ男も、何だか妙な人だなあ。
雪 ……ネヂクレ根性だしね。……(燗の附いた酒を運んで来て、兄に酌をする)はい。
留吉 おゝ。……(飲んで)しかし、お前にやホントに済まなかつたなあ。苦労させた。……どうか、かんにんしてくれ。……だが俺も、あれから死にもの狂ひで働いたよ。これ見てくれ、手なんかかうしてタコだらけだ。ハハハ。
雪 (兄の掌を押して)まあねえ! (涙)……つらかつただらうねえ!
留吉 久しぶりに飲むと酒がノドにキリキリしみらあ。……しかし、もう大丈夫だよ、安心してくれ。もうお前にも苦労はさせねえ。俺とお前とは、たつた二人つきりの兄妹だからなあ。……一つ飲め。
雪 私あ、これにまだ乳やつてるんで、飲んだらいかんの。
留吉 ……お前、もう利助さんの方へ籍は入れて貰つたのか。
雪 いや未だだよ、あゝして忙しいもんだから。それに兄さんが今迄何処にゐるかわからねえもの、そんな事勝手に出来やしない……。
留吉 さうか。……かうなつたら、直ぐさうして貰へ。坊やの事もあるしな。俺から頼んでやる。……どうだ、あれからお前、仕合せか?
雪 え? あんだよ?
留吉 利助さんは可愛がつてくれるのか? え?
雪 ……。(下を向いたまま、アイマイに首を横に振る)
留吉 ……ぢや、仕合せでは無えのか?
雪 ……。(今度もアイマイに首を横に振る。彼女にはイエスともノーとも答えられない。もつと複雑な、もつと深い感情が、彼女を支配してゐるのだが、それを言葉にして言ふ力は彼女は持つてゐないのである)
留吉 どつちなんだよ?
雪 ……。(急にワーツと声を上げて泣き出し板の間に突伏す)
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(間――ヂツと妹の姿を見おろしてゐる留吉。勿論留吉は妹の気持はよく解らない)
(小自作農の伝七が入つて来る)
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伝七 やあ今日は。いいあんべえだね。留さ、今飯かね? 先刻も私一度来たが、まだ眠つてゐると言ふから――。
雪 おいでなせ。(泣顔を見せないやうにして)兄さん、ぢやあチヨイト此の子を寝せて来るからね、飯あこれに入つてゐるから……(コソコソと奥へ立つて行く)
留吉 うん。……(妹の方へ気を取られてゐる)
伝七 久しぶりに戻つて来ると大変だらうね? ハハハ。ところで早速だがなあ、昨日も話したやうに、此の際ひとつ、三百円でいいから、融通して貰ふわけには行かねえかなあ? あんしろ、はあ、税金と肥料代だけでも、六百円からの借金でね。
留吉 ……俺にや、そんな金無えから。
伝七 三分五厘だけ利息を差し上げて、半期毎に証文書き替へることにしようで無えか。それなら、別に悪い事あ無えと思ふが、どうかね? 抵当には、上の段の桑畑ソツクリ入れて置いてさ。あれは、君も知つてるやうに、どう捨て値で叩いても五百両をくだる畑ぢや無えぜ。ひとつ、頼むよ。……(留吉は飯を自分でよそつて食いながら妹の事に気を取られてゐて返事をしない)君だつて、津村先生に頼んで田地の買戻しにかゝつてゐる位だ。それに、俺の所と君の家では、今でこそ何だが、元は遠縁に当る間柄なんだからなあ。ねえ、留さん!
留吉 ……元はどうか知らねえが、俺んちが分散する時あ、あんたあ知らん顔で見てゐなすつたよ。
伝七 そ、そ、そりや、お前、あゝ言う際に、俺みてえにロクに力の無え人間が飛出して行つても、なんになるだよ。そんな、そんな事を誤解して貰つちや、困るよ!
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(中年の小学教員の津村が表から入つて来る)
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留吉 津村先生、どうでした?
津村 いやねえ、今も行つて来たんだがね、どうも先方でも足元を見て、いろいろの事を言ふでねえ。
伝七 (キヨロキヨロと留吉と津村を見較べてゐたが)あんた今日は学校休みですかい?
津村 今日は日曜だかんね。ハハハ。一週一度の骨休めさ。ハハハ。
伝七 さうかね。ハハハハ、骨休めて、田地のシユーセン歩きかね。ハハハ。
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(津村がムツとして伝七を睨んでゐる)
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留吉 しかし、もともと買つて貰ふ時に、今後いつでも買戻しが利くやうに諒解は附いてゐるですがねえ?
津村 そいつが、当てにならねえでねえ。(眼は伝七の方をみてゐる)
伝七 そりやさうだらう。五六年前とは大分此の村も変つたからなあ。ハハ。こんなに村がヒヘイしちまつて、
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