(それに返事もしないで、お磯プイと表へ)
辰造 わかつてらあ、近藤の社宅へ行くんだい。(額に指で角を作つて)これだあ!
香代 (ボンヤリ畳の上の紙幣を見てゐたが、仕方無く取つて帯の間に無造作に突込んで)ああ、いやだいやだ。(土間に降りる)よりちやん、私にも一本附けてくんない?
より あいよ。しかし、いいの、あんた、香代ちやん?
香代 いいんだよ。
より いえさ、それよりも近藤さんの事だよ。
香代 へん。金はいくらでも出してやらうと言ふんだよ。お神さんだけで沢山ぢや無いの。あんな綺麗な人を放つといて、私見たいな女の尻を追ひまはすんだからね。(酒をガブ呑みする)タデ食ふ虫と言ふけど、少し物好きが過ぎるよ。
辰造 なら、お前が留公に惚れるのは物好きの骨頂だらう。
香代 なんですつて! 私がいつ留さんに惚れた?
志水 あれ、ぢや惚れちやゐないのか?
香代 惚れてゐるかも知れませんさ。それが、どうしたの? 男に惚れようと惚れまいと、人に相談した上でするんぢやあるまいし!
辰造 でもなんだぜ、当の相手には一寸相談するのが普通だぜ。さうで無い奴を片想ひと言ふ。留公にや相談しないのか?
香代 片想ひ結構! 誰がそんな事相談するものかい!(磯の声色で)香代ちやん、お前、もう二つにもなつた子供まで有るつて事忘れちや駄目だよ。七百円からの借金が有るつて事忘れちや駄目だよ。へん、どうせ持ちくづした身体だ。誰が糞、おかあしくつて、私あなたに惚れましたなんて言へるか!
より 香代ちやん、酔つたね。
香代 悪いの? フフ。……しかし、とどのどん詰りは、結局私あ近藤の妾にならなきやならんかも知れんねえ。かう八方ふさがりになつてしまつちや、もうおしまひだ。
より (例の人の良さで、思はず香代の肩を抱いて)しつかりおしよ、ねえ香代ちやん!
香代 (より子の肩に頤を乗せて)だけどねえ、どうしても私、諦らめ切れないんだよ! どう言ふんだろ? あんな、人間の義理も人情もどつかへ置き忘れて来てしまつた男、動物の様に金さへ溜まればいいつて奴、畜生つと思ふけど、駄目なのよ! 魔が差した! 自分で自分がどうにもならない!
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(頬に涙が流れてゐる)
(志水と辰造も、香代の変な真剣さに打たれて、今迄の様な軽口も出て来なくなつてゐる)
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辰造 ソロソロ公会堂へ行かうか。
志水 うん。(その間により子が調理場から水を汲んで来て、香代に飲ませる)
辰造 もう大概集まる頃だぜ。行かう。
志水 うむ。……しかし金助が戻る頃だ。もう少し待つててやらう。……それに、俺あ留公にも、もう一度すゝめて見るつもりだ。
辰造 駄目だ。彼奴は駄目だ。無駄だつて!
香代 ……(少ししつかりとなつて)どう言ふの? 死んだ島田さんの手当の問題でしよ?
志水 うん。そいつがキツカケで、こないだから皆で相談してゐるがね、今となつちやそれだけでは無くなつてね、色々と臨時工の待遇を良くしてくれと会社に頼んで見ようと言ふ事になつてゐるんだ。
香代 また、えらい騒ぎになるんぢや無いの?
志水 そんな事あ無えさ。なんしろ、さうして貰はねえと安心して働けないから、会社へ事情をよく言つて頼んで見ようと言ふんだよ。おだやかな話だよ。言はゞまあ惨めな相談だ。先行きはどうなるか解らねえがね。ハハ。
香代 そいで、うまく行きさう?
志水 それが甚だ以て心細いんだ。自分達の事を相談するのに、人数が半分も集つて来ねえ様な有様だもの。しかし、まあやるよ。なんしろ此の儘でゐると、暮しが立たねえで、今にヒボシになつちまふもの。でね、留公にも仲間に入らねえかとすゝめてゐるんだ。
香代 ……駄目でせう、あの人は……。
辰造 へん、そいでゐて、どこの炭坑会社だつて、此の景気で儲かつてゐるんだからなあ。内の会社なんかの株でも今期は一割以上の配当だつて言ふんだ。据ゑつぱなしの儘なのは俺達の日当だけだ。それに三年働いても四年勤続しても臨時工つて言ふ手は無えだらう。そりや、臨時工ばつかりにしときや、首を切るにもアツサリ切れるし、退職手当もチヨツピリで済むし、待遇からすべて、会社にや都合が良いだらうさ。(何かポンポン言ひながら金助(前出)が入つて来る。それを追つて留吉。――二人とも今まで仕事をしてゐたと見えて、汚れて、濡れそぼつた姿。特に留吉の下半身からは未だポタポタ水が垂れてゐる)
金助 なにを言つてやがる! 誰も返さねえとは言つてやしねえぢや無えか! 今日の所は都合が悪いから月末の勘定日まで待つてくれと頼んでゐるのが解らねえのか。全体お前、俺に三円の金を貸すのに、中の五十銭だけは天引きで利息は取つてゐるんぢやないか。そんな因業な事を言ふない!
留吉 だがお前、それを承知で借りたんだよ。俺の方から頼んで借りて貰つ
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