ことの方が、圧迫や搾取しないことよりもむずかしい。つぎに、他人の世話にならず、すくなくともなるべく他人に迷惑をかけないようにして独立することです。これもむずかしいことではない。ふつうの健全な人間ならば自然にできることです。
 これだけを実行すれば、その人の立っている姿は桃の木の立ちかたに似てきます。そして他からの圧力にむかって抵抗するのに自分本来の内容を失ったり歪めたりしないで抵抗することができ、したがって、もっとも実効あり長つづきのする抵抗ができるわけでしょう。私もそれを心がけているわけです。それはまだあまりうまくいっているとは言えません。しかしかろうじて、私は自分にとっていちばんやりがいありと思える仕事を持っています。芸術を生みだすという仕事です。
 そして、ひじょうに往々に失敗を演じながらも、その仕事と自分の生活を相互に目的であり手段であるように統一的にやっていけるときもあります。それから自分にとってどうでもよいと思われることをかなり捨てることができました。それから他の人を圧迫したり搾取したりもあまりせずに過しています。それから他の世話にならず――いや、これはダメだ、人の世話にはなりすぎている。せいぜい私にやれていることは、食って着て住むということだけについては自分で働いて、かろうじてやっていってる、つまり、ふつうの意味で、他人に迷惑をかけないで独立の生計をたてている程度です。
 それでもこれで、政治屋とか役人とか資本家とか共産党員とか銀行家とか闇屋とかゴロツキとか商人とか宗教家とか軍人などよりも、いくらか桃の木に近いとは言えるでしょう。だからいくらかは桃の木のする抵抗に似たような抵抗もできるだろうと思うのです。ことわっておきますが、これは私が人にすぐれて偉かったり強かったりするためではない。むしろ、私がごくふつうで弱い人間だからです。そのことはあとに書きます。
 さて、なぜにこのようなことをくだくだしく私がのべるか、理由は四つばかりあります。
 第一に、今われわれの周囲で行われている抵抗論が主として戦争中フランス文化人たちがドイツ占領軍にむかってした抵抗運動をひき写しにした、すくなくともそのへんを考えのよりどころとした議論のように私に見える。それはそれでよいが、フランス文化人たちのした抵抗は、戦争中のナチス軍事力――暴力のなかでももっともハッキリした、そしてそれが悪だと一見してわかるような種類の暴力――にむかってなされたもので、それだけに困難で危険だったといえるが、相手の暴力には、知らず知らずのうちにこちら側にしみ通ってきて、こちらを腐蝕してしまう力は、さまでなかったと思う。
 ところが、いまの日本は戦争中ではなく、日本にくわえられている、または今後くわえられるであろう諸種の圧力は、直接の軍事力というよりも、もっと間接の政治・経済・思想・文化・生活様式などの、それ自体としては暴力などとはいえない、広くゆるやかなもので、直接に目に見える困難や危険はないが、それだけに、ひじょうに強くかつ長い浸透性と腐蝕力を持ったものだ。だからこれにたいする抵抗は、フランス文化人の経験したものとはかなり質のちがうもので、ある意味では、より困難で危険で、百倍もの持久力を必要とするものだと言えよう。この特性がつかまれたうえで、現在の抵抗論が展開されているようには私には見えないからである。
 第二の理由は、それらの抵抗論の姿の多くが、前のめりになりすぎているように私に見えるからである。ということは、抵抗すべき目標物が一目標にかぎられすぎ、それにむかって論者の目が「すわり」すぎて、他を見まわす余裕が失われているということと、論の力点が前の方へ傾きすぎて、後からヒョイとこづかれれば、前方へひっくりかえる態勢にあるということだ。その実例はいくらでもあげうるが、いまは略しておく。そのため、前から走ってくる自動車にひかれまいと思ってあまりに夢中になっている人が、後から来た馬車にひかれてしまう危険とおなじような危険が感じられるからである。目は四方にはなたれる必要がある。身体は安定に、八方へ可動に、ということはそれ自体としての自然に立つ必要がある。
 第三の理由は、抵抗論のほとんどが評論家によって展開されるだけで、他の専門の仕事をもっている人にとってはほとんどなされていないことだ。もちろん評論家は評論が本職なのだから、抵抗論を書いたり講演してよいし、それでメシを食って悪いわけはあるまい。しかし労働者が労働をとおして、農民が農作をとおして、その他あらゆる業種の者が、自分の専門の勤労をとおして具体的にしている「日々の抵抗」を、評論家たちはどれだけしているか? 重大な点は、日本においてこれまでいろいろのことがそうであったように、問題を筆や口のさきであまりに「ヘナブリ」すぎると、抵抗という課題自体のもっている重大な現実的意味が、国民のあいだに定着しないで、頭の上を通りすぎていく危険があるということだ。
 第四の理由は、「抵抗屋」も、あるところまではたぶん抵抗するだろうが、それがある限度をこえると、たぶん、よそへ逃げ出す、つまり亡命するといったようなことになるだろうし、またそうすることができる。しかし私どもは、この土地でなさなければならぬ本業があるから、よそへ逃げだすわけにはいかぬし、逃げだすことを欲しない。そのような抵抗論者の考えた抵抗論と、そのような私どもの考えなければならぬ抵抗とは、そもそものはじめから違ったものでなければならぬと、私が思うためである。
 そこで、私どもが自然にある姿が、私どもの抵抗のもっともよい姿勢ではなかろうか、そうできるかできないかはまだハッキリ言えないが、やりようしだいでは、ある程度までできるような気がする――というところまで話をこぎつけました。つぎに移ります。
 そのまえに、私が戦争中にその目撃者からきいた国民党政権下の中共軍パルチザン部隊の老兵士の話を思いだしてみます。
 彼はそのとき、すでに十年もパルチザン戦に参加してきたそうで、痩せた身体の強じんで柔軟なことはムチのようで、風雨にさらされた頬にはコケのようなものが生え、一頭の馬にまたがり、戦闘と生活に必要なものは全部馬につけており、その姿はまるで安心しきった乞食の引っこしのようで、さらに、つねに少量の酒をたやさず、そして馬のくらつぼのところには古いコキュウを一ちょうさげている。どんなところでどんな敵にあってもよく戦い、つねに機嫌がよく、どこででも眠り、戦闘が暇《ひま》になると銃把から手をはなしてコキュウをひいて歌ってたのしむそうです。
 それゆえ、彼は自分のしているパルチザンの抵抗戦に、とくに一時的に興奮したり興味を感じたりはしないが、いつでも、そしていつまでもそれに飽きないらしく見うけられたそうです。彼にとって戦いは、すでに戦いではなくて生活それ自体だからでしょう。抵抗はすでに抵抗ではなくて自分が生きているということ自体だからでしょう。
 戦争はイヤです。戦闘もごめんだ。だからそういう意味のパルチザンなどにはなりたくない。しかしもっと深い意味での戦い――自分を自分であらしめるための、自分たちの国であらしめるための、そして自分と自分の国がどんなことがあっても欠くことのできない根源的な「自由」を確保するための、武器によらざる戦いに私どもが参与しなければならないのならば、そのときの私の姿は右の老兵のような姿でありたいと思うのです。そして老兵の姿は、桃の木の姿に似ています。

        5

 私自身の抵抗論そのものは、じつに簡単素朴なもので、十行ぐらいに個条書きにすることができます。しかしそのまえに、ちょっと言っておきたいことがあります。それは前節中で「あとに書きます。」と言ったことです。
 私という人間は、どううぬぼれてみても、それほど偉くありません。また、それほど強くない。ごくふつうの知情意をもっているにすぎず、弱い。ところが、現在あちこちで行われている抵抗論はみんなかなり偉い強い人間でなければ実行できないようなものが多いのです。これまでにあった優れた抵抗論もほとんどすべて、かなり偉い強い人間――理想的人間を目安においてなされています。
 たとえば、ガンジイの無抵抗の教義など、じつにりっぱな抵抗論であり、私などそれから無限の教訓と勇気づけとを受けとることができるが、いかにせん、これを実行するにあたっては、人格的に最高にちかい、そしてひじょうに強く完全な、宗教的信念に立脚した人間が予想されています。そのような人びとにしてはじめて可能な抵抗が押し出されています。うらやましいとは思うが、ふつうの人間には実行不可能なことが多いのです。
 私は偉くなく、不完全で弱虫で、宗教的信念ももたず、将来とても、だいたいそうだろうと思います。だから多少とも理想的人間を予想した抵抗論をやる資格と、そして、じつは興味ももちません。私は私じしんに実行可能な抵抗しか考えられないのです。
 つぎに、私がたいへんな臆病者であるということです。卑怯者ではありたくないと思い努力していますが、そしてこれはいくらかなおせるが、臆病である本性はなおせない。自分の身と心を危険にさらしそうなことのいっさいが私に怖い。生れつきの過敏という素因もあります。時によって、それは病的にまで昂進して恐怖症の状態にまでなることがある。私の日々の暮しと仕事は大きい恐れや小さい恐れの連続だといってもさしつかえありません。まして異常な破壊力や暴力などの発現は、上は原子爆弾から下は市井《しせい》の喧嘩ざたまでシンから怖い。生活の不安にたいしても、じつに気が小さいのです。私にも多少の勇気はあって、いくらかは恐怖とたたかうことができますが、たいがい恐怖の方が勝ちます。
 だから用心ぶかい。性質が慎重だからではなく、臆病のためです。危険な橋はわたりたくない。渡らなければならぬ橋は叩いてわたる。それでも足をふるわせながらわたります。私のような臆病者がことをなすにあたって、本能的に心がけることは、いつでも最悪のばあいを予想するということです。その予想に立って自分の腹をきめるのです。そうでなければ何ひとつ決心できないのです。ことが多少でもうまく行くことを考えながら何かをしようとすると恐怖がさきに立って私の足はこわばりすくんで自由さを失い、できることにまで失敗するのです。
 私は海へ飛びこむときには、海底の岩にぶちあたって、頭を割ることを予想したうえでなければ飛びこめません。だれかと喧嘩するときには、自分が殺されることを予想したうえでないと手が出せません。それは、いつでも虚無から発想発足するということです。全き否定から肯定を引きずりだしてくるということです。そういう哲学上、人生観上の心法が西洋にも東洋にもこれまでありました。ことに東洋のうんだ深い知恵のたいがいは、この手の心法をふくんでいます。老荘や道教や禅や真言、それから道元《どうげん》や日蓮《にちれん》や親鸞《しんらん》などのメトーデ、それから茶道の歴史上にあらわれている巨大な師匠たちの様式など、その、代表的なものでありましょう。
 ところが私のやつは、そのような高級なものではさらさらありません。臆病のあまり、怖いのをがまんして何とかやっていく必要から、考えに考えたはてに、たどりついた方式です。方式というよりも、ばかな猿が人のくれたラッキョウの皮をはいではいではぎ終ったら、中には何もなかったので悲鳴をあげて、それからは、どんなものを人がくれても、その中には何も入っていないと、はじめから思って皮をはぎはじめようと思うにいたったというようなことです。
 最初から、なんの期待もなんの望みも持たないようにして、しかし、もしかするともしかして、その中に食えるものが、ごく僅かでもあるかもしれないとの、ほのかな希望だけは捨てきれないで、それをしてみようということなのです。じつにミジメな話です。しかし私にはそうしかできないのです。ですから私の抵抗論は、最悪のことを予想したうえでの、しかしながらごく微量の希
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