いで仕事をしている文学者が今の日本にいくにんいるでしょうか? しばらくまえに自殺した原民喜《はらたみき》の懐中に、十円サツが一枚残っていたとかいう新聞記事を、私は忘れることができないのです。
なるほど流行児以外の文学者が経済的にめぐまれないということは、今にはじまったことではありません。昔からそうだし、世界中どこでもそうだ。しかし、そんなことは今の慰めにはならぬし、かつ現在の日本のこの状態は極端すぎる。
つまり、文学者は――その文学者が真に文学者と呼ばれるにふさわしい文学であればあるほど、ルンペン化の一歩手まえまで追いつめられているのです。そして私は、「文学者というものは、だれから頼まれたわけでもないのに、自分から好んで、だれに必要でもないものを作りだそうとしている人間だから、貧乏し飢えるのもしかたがない」といったようなセンチメンタルな考えには賛成できないのです。人がそう考えることも、自分がそう考えることも、私は許しません。
文学者は、社会全体からの暗黙の付託によって生まれ、それへの責任をせおって立っているものです。これは、私の主張や希望ではなく、客観的にそうなのです。飢えてはな
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