ったというふうにありたい。――そんなふうに私は言おうとしているのです。
 これは虫のよい考えです。人間は、しかし、すべて虫のよい動物です。私もそうです。問題はそれが可能であるかどうかだ。私は可能だと思う。すくなくとも、ある程度までは可能だと思う。
 こうして物を書いている私の窓の前に、一本の老いたる桃の木が立っています。雨がふればぬれるし風がふけば揺れうごきます。子どもがよじ登っても鉄砲虫が幹をかじっても、はらい落すことはできません。目に見える抵抗は一つもしません。しかし桃の木は生きていて、時がくれば花をさかせ実をつけます。すでに幹も枝も朽ちかけているが、まだ倒れそうにない。
 一個の自然物だから、これをいま話している抵抗にひっかけて考えるのは、無意味かもしれませんが、いつだったかの大嵐の日に、この桃の木が枝々をもぎとられそうに振りみだし、幹も根もとのところからユサユサとゆすぶりたてられている姿を見ていて私はこの木がこうして立っている姿を、ソックリそのまま抵抗の姿だと見られないこともないと思ったことがあるのです。
 もしそう見ることができるならば、この桃の木の姿は、前述の私がこうありた
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