セント以上の入りでした。ところで、その収入から製作費いっさいを支払ってみると純益はほとんど残らぬか、足が出て赤字になっています。劇団全員の月給など、そこからはまったく出てきません。月給は、劇団員たちが映画やラジオに出演した金を劇団に入れて積みたてたものから出るのです。作者への上演料はもちろん出ますが、そういう状態のため、ごく少額にならざるをえない。だいたい現在日本の一本立ちのシナリオライタアが、シナリオ一本書いて映画会社からもらっている金の五分の一か八分の一程度でしょう。しかも、もちろん上演したとき一回きりで、ふだんの作者の生活はまったく保証されていないし、保証するだけの力は劇団がわにもありません。したがって、われわれ劇作家は劇団を当てにして生活し仕事していくこともできないのです。
 ザッと右のような実情に、私はあります。

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 小説家や評論家たちは、これほどではないのかもしれません。しかしよく考えてみると、それは程度の差だけで、ごく少数の流行児をのぞいて、小説家なども本質的には似たような情況にさらされていると私は思うが、どうでしょうか? その日ぐらしの不安を抱かないで仕事をしている文学者が今の日本にいくにんいるでしょうか? しばらくまえに自殺した原民喜《はらたみき》の懐中に、十円サツが一枚残っていたとかいう新聞記事を、私は忘れることができないのです。
 なるほど流行児以外の文学者が経済的にめぐまれないということは、今にはじまったことではありません。昔からそうだし、世界中どこでもそうだ。しかし、そんなことは今の慰めにはならぬし、かつ現在の日本のこの状態は極端すぎる。
 つまり、文学者は――その文学者が真に文学者と呼ばれるにふさわしい文学であればあるほど、ルンペン化の一歩手まえまで追いつめられているのです。そして私は、「文学者というものは、だれから頼まれたわけでもないのに、自分から好んで、だれに必要でもないものを作りだそうとしている人間だから、貧乏し飢えるのもしかたがない」といったようなセンチメンタルな考えには賛成できないのです。人がそう考えることも、自分がそう考えることも、私は許しません。
 文学者は、社会全体からの暗黙の付託によって生まれ、それへの責任をせおって立っているものです。これは、私の主張や希望ではなく、客観的にそうなのです。飢えてはな
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