いとのぞむ抵抗の姿勢にいちばん近いわけです。つまり、目的と手段とをそれ自体のなかに同時に統一的に完結させており、他のものをどういう意味ででも圧迫したり搾取したりしないで独立しており、そのように独立した姿がそのままで、時あってくわえられる他からの圧力にむかっての抵抗そのものであるという姿勢です。もっともよく抵抗するために、まったく抵抗しないという姿勢をとることです。
 もちろん人間は桃の木にはなれない。しかしそれから学ぶことはできます。自分の姿勢を桃の木のそれに近づけ似せることはできます。私どもが、私どもの生活と仕事とを目的と手段とに切りはなさず、目的が手段であり手段が目的であるといったようにまたそのようでありうる生活と仕事とを持つことは私どものクフウしだいで、ある程度までできます。
 それには何よりもまず、私ども自身がシンから好きな仕事、自分がホントにやりがいがあると思える仕事をとりあげ、それ以外の仕事はなるべく早く、なるべく完全に捨ててしまうことが必要でしょう。よく言う「死にきれる仕事」をすることです。それ以外の自分にとってどうでもよい仕事はなるべく捨てさる。そのために、かりに金の勘定がメチャメチャになったり、役所に役人がいなくなったり、商店がガラアキになったりしても、そんなことはどうでもよいではありませんか。
 人間はどんなに長生きしても、たかだか百歳ぐらいまでしか生きてはいない。あれをして、これをしてから、それをしようなどと思っているうちに死んでしまいます。生きているうちに人は知らなければならぬことがある。味わわなければならぬことがある。その余のことは早く捨ててしまえ。
 それから、できるだけ他を圧迫したり搾取したりしません。ここで圧迫や搾取というのは、哲学的な意味をふくみません。
 ひとつの室内に二人の人間がいれば、たがいに何もしなくても一人が他を圧迫していることになるだの、人が野菜を買って食っていれば、それは農民を搾取していることになるだのといったような、発生してからたかだか三千年ぐらいにしかならぬ「未開な」人間の知恵がうんだ理屈からきたヴォキャブラリイによるのではない。もっと直接的な物理的な圧迫や搾取のことです。それをしないこと。すくなくともできるだけ避けること。これはそれほどむずかしいことではありません。ふつうの真人間には他人を圧迫したり搾取したりする
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