清水幾太郎さんへの手紙
三好十郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)清水幾太郎《しみずいくたろう》

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(例)公文書や[#「公文書や」は底本では「公文章や」]
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 清水幾太郎《しみずいくたろう》様
 だしぬけに手紙などさしあげて失礼ですが、あなたに何か質問してみよとの雑誌「群像《ぐんぞう》」からの注文です。そうすれば、たぶんあなたが答えてくださるだろうというのですが、私にはわざわざあなたにご返事をわずらわせるような質問を出すだけの学問の素養もありませんので、再三辞退したのですが、どんなことでもよいから書いてみろとのことで、しかたなく、ごく短く書いてみます。
 私はこれまであなたの著書を二三冊読んだことがあります。それから今はもうなくなった雑誌「日本評論」に書かれた論文をいくつか読んだようにおぼえています。最近では、あなたがほとんど毎月執筆なさっている「婦人公論」や「世界」を読んできました。それらのものの中で、いまでも私の手もとにそろえうるものだけを先月から読みかえしてみました。
 すると、それらの中で、あなたの書いていられることは私にかなりよくわかるような気がし、個々の問題についてのご意見にも格別の異論は私にございませんでした。ことがらによってはあなたのご意見に大賛成なばあいもありました。そういうばあいのあなたは、私などがボンヤリとふんぎりわるく考えていることを、キッパリと勇敢に表現なさっているので、私は自分の目を開いてもらっているような気がしました。しかしそれだけにまた、あなたにたいして質問してみたいという興味も、じつはかなり薄れたわけでありました。
 だが、こんどあらためてあなたの評論のいくつかを読んでわかったことは、あなたがたいへん親切なそして忍耐づよい啓蒙者であるということでした。そして、いまの日本ほど啓蒙運動の必要な時も所もないと、かねて私は思っていますので、あなたのお骨折りにお礼を言いたいと思いました。同時に、それだけに、あなたの論文を読んでだいたいよくわかり賛成なことが多いにもかかわらず、それでもまだ私のなかに生まれてきた疑問や、または直接あなたの論文を読んだ結果ではなくとも、あなたがあつかっていられる諸問題について、私の抱いている疑義の二三を持ちだしてみれば、あるいはご教示をえられるかもしれないし、それが他の人びとのためにも多少はなるかもしれないと思いました。そのためにこれを書きます。
 まず、ごく小さいことをおたずねします。これはしばらくまえにある新聞にも書きましたが、昨年翻訳出版されたアメリカの評論家ストーン著「秘史朝鮮戦争」についてであります。
 その本の表紙の帯紙に、あなたは「朝鮮戦乱勃発のその日から、私は(何かかくされている)という疑惑に悩まされつづけてきた。だが私の疑惑は正しかった。(中略)この本を読んで目がさめないものを白痴というのであろう」と書いていられます。そのことなのです。たかが帯紙に印刷されたスイセン文をトッコにして、あげ足を取ろうとしているようにとられては困ります。私にしましても「帯屋」だとか「チンドン屋」などという言葉があることは知っていまして、広告用の文章にたいしてそうムキになるのは非常識なことは承知しているのです。しかし、いくらそういう場所であっても、あなたが無責任なことを書かれるはずはないと私は思いました。
 それに、ご文章の調子も烈しく、決定的だったし、かりにもこれを「チンドン屋の文句」に似たようなものとしてかるく見すごすことができませんでした。つまり、かねて評論家としてのあなたのご発言を、私がかなりの程度まで信頼しているがゆえにしたことですから、あなたは許してくださらなくてはいけません。それに人間はだれでも、十分に準備し慎重に打ちだした大論文などよりも、割に不用意にヒョイともらした片言や小文章の中に、ホントの意見や姿を示すこともあることを知っているために、このようなものを割に重要視する習慣を私はもっているのです。
 事実、私は右のあなたの文章を読んでよろこびました。というのは、私は朝鮮戦争勃発以前から、朝鮮の姿に注目しつづけており、朝鮮人の友人もかなり持っているので、戦争勃発のときには、大きなショックを受け、それだけに、勃発のときの事情については、私なりの情報をあつめたりして、ある程度の認識をもっているという自信はありますが、しかし、これこれだと断言できるほどの知識はいまだにもてないでいます。そこへ、あなたほどの人が、こんなにハッキリ言っていられるのだから、この本を読めば、すべてが明らかになるにちがいないと思ったのです。
 念のため、あなたの右の帯紙のご文章を、私は「朝鮮戦争は最初、北鮮側が南鮮に侵入してきたために勃発したと、アメリカ当局も日本の商業新聞の報道も言った。しかし自分は、それは疑わしいと感じていた。事実はその逆、つまり南鮮側、またはアメリカ側から最初北鮮に侵入し、または挑発したのではないかと疑っていた。その自分の疑いが、まさにあたっていたことが、この本を読んでわかった。南鮮側、およびアメリカ側は、戦争挑発の点で悪を働いただけでなく、その事実をかくし、その罪を北鮮側になすりつけるデマ報道をしたという点で、二重にけしからん。そういうことが、この本を読んでもわからない者は、白痴というのであろう」というふうに読みとったことを言いそえておきます。
 それで勇んで読みました。はじめのうちは、なるほどと思いながら読みました。しかし、しだいに読みすすんでいくうちに、だんだん妙な気がしてきました。
 ストーンは、朝鮮戦争勃発はまったくアメリカの反ソ的指導者たち、およびその手先である南鮮政府の挑発、または陰謀によるものであったという印象を作りだすために、じつに骨を折っている。それを彼は、公表された公文書や[#「公文書や」は底本では「公文章や」]新聞報道などを集め、組みたて、対照して、その間の矛盾や撞着のなかから自然に一つの結論をうかびあがらせてくるという方法によってしている。そのかぎりでは冷静公平で科学的な態度のように見える。しかしよく読んでみると、彼はこれまでのアメリカ政府や国連がわの発表が全部的に根本的に虚偽ではないかとの疑い、または確信から出発して、演繹《えんえき》的に、それを証明するために公文書や新聞報道をえらびだしたり組みあわせたりしていることがわかる。しかも、そのような疑い、または確信を、彼がどこからどういう理由で抱きはじめたかについては、まったく触れていないのである。
 彼はまえもって、われわれに語りかける以前に何かの理由でアメリカ政府当局、または、南鮮政府の有罪の事実を知っているか、または強く疑っていたらしく思われる。その何かの理由というのは、ハッキリした具体的事実ではなくて(なぜなら、そのような具体的事実を彼が知っていたのならば、この本の性質上、それをこの本のなかに書かないほど彼は愚かでないだろうから)、彼の持っているイデオロギイからきた観念的な疑惑であり、そしてそれだけだったらしい。つまり、彼は左翼的政治思想をもっていて、そのため現在のアメリカ政府当局のすることは、たいがい反動的であり反ソ的であるとふだんから思いこんでいるため、朝鮮戦争が勃発するや、さてこそアメリカと南鮮が手を出したと思い、そういう強い疑惑から出発して、その後の公文書や新聞報道を集めて、突き合わして研究すると幾多の矛盾が発見されたので、疑惑は確信のようなものになったというのではなかろうか。すくなくとも、この本をいくら熱心に読んでも、それ以外の理由を私は発見することはできませんでした。
 ストーンが左翼的イデオロギイを持っていることは、けっこうなことです。すくなくとも非難さるべきことではありません。しかし、彼がこの本のなかで採用している方法は、まったく公平なものでなく科学的なものではありません。公平さとは、あらゆる先入観を排除したところから出発することだし、科学的とは、物事の判断を演繹的にではなく、帰納的にすることだからです。土中から発掘した人骨のなかから、とくに犬歯だとか尖った骨だけをえらびだして、人間とは肉食の野獣であると断定されてもそのような断定を、公平な科学的なものだと私どもは思うことができません。
 ストーンは、公文書や報道のなかから、とくにアメリカ当局や南鮮側を有罪の方へ指向するものの多くをえらびだしてならべている。八百屋の店さきから乞食が大根を一本ぬすんだという事件にしても、それを見た人、聞いた人の認識や報告は、それぞれにかなり食いちがうものです。朝鮮戦争のような、大がかりで複雑な事件に関する公文書や報道は、たがいに矛盾したり撞着したりすることがひじょうに多い。それはある程度まで仕方のないことであって、それだから公文書や報道全部が悪意によるフレーム・アップ――たくらみだと断定される理由にはならないと思います。
 もちろん私は、朝鮮戦争についての、アメリカ当局の発表が真実であるとの証明を持っていませんし真実であるとは思っていません。この本を読んでも、真実はその反対であるとも思いえませんでした。それは私が故意に意地悪をしようと思ったためではなく、ただ謙遜に真実を知りたいと思っただけのためです。そして、あなたに言わせると私は「目がさめなかった」のです。「そんな者は白痴というのであろう」と、あなたは言っていられます。じつに私は情ない気がしました。
 私はかなり愚かな人間です。それは十分知っていますが、人から白痴と言われたことは、あまりありません。ですから白痴であろうと言われて、正直のところ、かなり気を悪くしました。
 それに、清水という人は、どういうわけで、またどういう資格で、こんな思いきったことを書くのだろう、こういうものの言いかたの中には、この本に書いてあることをウノミにして、朝鮮戦争はアメリカと南鮮の挑発によるものだと信じこむように、人を脅かすような響きがこもっている。現にこの本を読むことによって、軽率にもそう思いこんでしまったところの純真な青年が、私の知っているだけでも数人いる。そうすると、日本全国について言えば、そういう人はかなり多数にのぼるのではなかろうか等々と私は考えてきました。すると、私はただ、しょげたり気を悪くしたりしているところにとどまっていられなくて、しだいに腹がたってきたのです。
 たしかに私は白痴か白痴にちかいものかもしれません。そしてあなたは白痴ではなく、かしこい人です。白痴はときどきムチャなことを言いますから、怒らないでください。
 ストーンのようなものの見かたや書きかたをする人、そのストーンの本についてあなたのような言いかたをする人のことを、われわれ白痴のことばではデマゴーグと言います。デマゴーグとは、人びとにとって、重大な関係のある事件について、その真相の黒白を客観的にするだけの証拠も持たず、また持とうとする十分な努力もしないで、性急にまた故意にまた誇張して、これこれが真相であると断定して多くの人びとを誤った判断と気分のなかに引きずりこむことによって、自分および自分の属している特定のイデオロギイや勢力の利益をはかろうとする者のことです。ストーンはそういうことをしていると思いますし、ストーンの本が「戦さをしかけたのは南鮮側でありアメリカ側である」ことを証明していると断定したあなたもまた、そういうことをしていると私は思います。
 このばあい、あなたが故意にデマゴギイをなさっているとは、まさか私は思いません。つまり、あなた自身の気持や認識をいつわって、あのようなことを書かれたのではないと思う。正直にそう思われたために、そう書かれたのでしょう。しかしそうだとすると、妙なことになります。あなたは、そんなかしこい人で、しかも一流の社会「科学」者です。いろいろの本を私などのたぶん百倍ぐらい読んでいられる。しかもそれを私などよりたぶん二百倍も「科学的」に
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