ズム=共産主義は、武力の主義です。各国各地のあらゆる共産主義運動(その中の大きい波が革命であるが)を調べてみるとよい。つねに武力に先行されている。暴力をともなっている。戦力に裏づけられている。それは共産主義者がそろいもそろって戦争が好きであるというようなことではない。現実関係のある段階にいたると、共産主義の実践そのものが戦力のなかに具体化されるのである。共産主義者の手がサーベルを取るのではない。共産主義者の手そのものが、あるときには、サーベルになるのである。以上私は簡単に書く必要上比喩的に書きましたが、もう少しチャンと実証的に書けとあらば書くことができます。
さて、そんなわけで、理論的にも実際的にも、マルクシズム=共産主義と、絶対的平和主義とはまったく相容《あいい》れない。絶対的平和主義とは、どのような種類のどのような名のもとに行われる戦争にも、それが戦争であるという理由だけで反対する主義のことである。
マルクシスト共産主義者が平和を取りあげるばあいは――たとえ取りあげている当人の主観がどんなに真率なものであるばあいにも――それが真理であるとか正義であるとかの理由よりも、それがそのときには、もっとも効率の高い手段であったからである。もっとも有効な戦術であったからである。だからあるとき、あるばあいに、マルクシスト共産主義者が、どんなに熱心に誠実に平和のために動いたとしても、客観的情勢が彼にそのことを命じれば、びっくりするような早さと淡白さで平和を捨てて戦争を取りあげるであろう。
そのことは、この二三十年間の世界の諸事件のなかでの共産主義者たちの動きのなかに、飽きるほど示されています。もちろん日本の共産主義者たちの姿のなかにも、ある程度まで示されています。それを今ここで非難しようというのではありません。そういうものが共産主義者であると私が思っていると言っているまでです。
そして、あなたは、前記のとおり、マルクシストまたはマルクシズムをある程度まで採用なさっている人のように私に見えます。そして、そのあなたはじつに熱烈に平和論・戦争反対論・再軍備反対論を展開なさっている。ただ単に一時的戦術として見ることが困難なくらいに、あなたは本気なように見える。もしそうだとすると、そのことと、あなたの抱いていられるマルクシズム理論との関係は、どんなふうになつているのでしょう? そ
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