はなくて、ただ、単に世界や社会を説明する一つの知的用具として、それを採用しているのに過ぎないのかもしれない。
それにしては、しかし、あなたの批判の言葉は、たいがいのばあい、本気すぎ熱烈すぎるようにも思いますが、でも私は、ホントはカトリック教を信じてもいないくせに、カトリックの神を持ちだして神罰のことを言って本気に熱烈に不良青年を叱っていた人を見たことがあります。もしそうだとするならば、このばあいなんの問題もありません。あなたがただ単なる一人のソフィストにすぎないらしいというだけのことです。
ソフィストは、どこにでもたくさんいますから、とくに問題にする必要はありません。ソフィストはスカンクに似ていて、相手になっていじくっていると、こちらの手まで臭くなりますから、手を引っこめることに私はしています。
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清水幾太郎様
あなたは勇敢でしつような反戦論者であり、再軍備反対論者です。いくつかの論文で、あなたは反戦と再軍備のことを、いろいろの角度から論じられています。あなたの論旨と論のやり方とは精密で熱烈です。私はことごとく大賛成でありました。私も戦争および再軍備に反対の意見を持っているからです。私はたいへんよろこび、勇気づけられ、なるべく深く読みこもうと努力しました。すると、あなたの反対論と私などの反対論とのあいだに、根本的に違うところがあるらしいという気がしてきたのです。
私自身の平和論や再軍備反対の意見はこれまでほうぼうに書きましたから、ここにくどくどしくは書きませんが、それは私の抱いている主義や学識などから生まれてきたものではなく、もっと本能的でそして常識的なものです。要約しますと、私はどんな名や理由のもとにだれによって行われる戦争にも反対であり、いつだれがだれにむかってするどのような種類と程度の軍備にも反対です。ところが、あなたのは、それとは少し違うような気がします。そうです。「気が」するという程度で、ハッキリどこがどう違うか私にはわからないし、言えない。しかしそれにもかかわらず私にとっては、これはどうでもよいことではありません。
私にそういう気がするのは、たぶん、つぎの二つの理由のためらしいのです。第一は、あなたの反戦論と再軍備反対論が、あなたの反米論と表裏一体をなして展開されているため。第二は、前記のようにあなたがマルクシストまたは、マ
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