し植木の辺に仙右衛門という五十ぐらいになる百姓のなれの果てが迷い込んでひもじがっていたら、握飯の一つも食わしてやって下さりゃ満足だ。そいつが私の兄でね、実は兄きを助けてやりたいばっかりに……いや、これは此方の話だ。お前さん方を見ていたら、兄き一人を助けるのなんのとヤッキとなっていた自分の了見が馬鹿らしくなった。さ、グズグズせずに、早く行ったり!
お妙 ……はい、それでは、仙太郎様とやら、これは黙って頂戴いたします。この子達が大きくなったら、あなた様のことを忘れないでございましょう。ありがとう存じます。そして私の名前はお妙と申しまして、植木村の……。
仙太 おっと、それは聞かねえでも沢山だ。また通りかかったら寄りましょう。早くしなせえ。
お妙 ありがとう存じます。では(子供等も女房等も仙太に礼をして、中には手を合わせて拝んだりする女房もいて、ゾロゾロと花道の方へ行きかける)
仙太 おお、チョイと。聞くのを忘れていたっけが、植木にはたしか甚伍左様という親方がおいでだが、お達者ですかい? ご存じありませんかね?
お妙 え! それでは私の父親のことをご存じでござりますか? いいえ、私はその甚伍左の一人娘の妙と申します。
仙太 何だと、お前さんが! そ、そ、そうか。甚伍左様の娘さんでお妙さんだと。ウーム。
お妙 父が無事で村にいてくれたら、こんな苦労はいたしませぬ。
仙太 えっ! それじゃ、親方はどうにか?
お妙 父はふだんから村の小前の者達の暮しの苦しいのを何とかしなければならないとかで、大方内を外にして、あっちこっちと出歩いていましたが、丁度二年前、いつもの通り父は留守、私一人が留守居していますところへ、江戸の何とか奉行様支配与力とかの衆が出向かれまして、父が何でも水戸様の御浪人方と通じてムホンを起しそうにしているところをお召捕りになったとか、八州様から追込みにあっているとか、……それで少しばかりありました田地田畑すっかり、家屋敷だけを残して御欠所になったといい渡されました。それ以来、父は生きたか死んだか未だに行方知れず、私一人で家財道具を売食いして今日までこの子達を相手にして……(こらえ切れず泣く。女房達と子供等の中にも泣きはじめた者がいる)
仙太 ウーム、そうですかい……。
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(間)
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仙太 (バリバリと歯を食いしばって)よし! じゃ、とにかく早く植木に帰って待っていてくだせえ。そうとわかればご遠慮はいらねえ。真壁の仙太郎、ご覧の通りヤクザだが、甚伍左様のためにゃ忘れ切れねえご恩になったことがあります。それもあり、これもある! 自分一人が百姓になっていい気になるなんどのケチな了見はフッツリとやめた。じゃ、お嬢さん大急ぎで村へ帰って、そして落ついて三日と経たず俺が行くのを待っていてくだせえ。さ、早く!
お妙 それでは、仙太郎様、これで……。
仙太 じゃまた、へい(と近くの男の子の頭をなでて)おいみんな、大きくなって、立派な百姓になれよ。あばよ。(お妙等一同、ゾロゾロ花道へ。途中で何度も振返り、小腰をかがめて礼しながら揚幕の中へ消える)
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(花道の袖にジッと立って見送り、考え込む仙太)
(先程、長五郎と仙太に川へ叩き込まれた子分二と三が、ズブ濡れ泥だらけになって顫えながら茶店の裏から上がって来て、その辺をグルグル駆け廻ってわめく、子分二が眼に泥が入って向うが見えないので、切落された柱にぶつかる。そこへ三もまたぶつかる)
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子分二 やい! やい! ウーン、俺を誰だと思う……(しり餅を突いてアブアブやっている)
仙太 (鞘を納めるのをいままで忘れてさげていた刀にヒョイと気づき、ズット刀身を見ていた後、ビューと一振り振って、パチリ鞘に納め、揚幕の方を見込み)さ、筑波の賭場だ。ム。(振返って遠くを望み)山へかかって丁度六つか。おーい、長五郎! 待ってくれーい! 長五! おーい!(と叫びながら、長五の去った左手の道へ小走りに去る)
[#地付き](道具廻る)
[#改段]
3 十三塚峠近くの台地
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夜更けの山中の静けさ。
木立や岩などで取囲まれた台地の奥は深い谷と暗い空に開いている。花道に筑波女体から十三塚峠に達する尾根伝いの山道。正面やや左手に[#「正面やや左手に」は底本では「正面や左手に」]打捨てられた炭焼竈の跡。
揚幕の奥遠くはるかに筑波神社の刻の太鼓の音ドー・ドー・ドーと遠波のように響く。夜鳥の声。梢を渡る風の音。猿の鳴声。
間――。
右手隅に立っている木立の幹や梢に斜め下の方からボーッと丸い明りが差し、次第に強くなる。(峠の方から登って来る人の手に持たれた龕燈《がんどう》の光)ガサガサと人の足音。
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声 ……(中音に吟じながら)君不[#レ]見漢家山東二百州、千村万落生[#二]刑杞[#一]、縦[#(ヒ)]有[#三]健婦[#(ノ)]把[#(ル)][#二]耕犂[#一]、禾《クワ》生[#二]滝畝《ロウボウ》[#一]無[#二]東西[#一]……。まっと、のしなはい、今井君。提灯持ちが後から来たんじゃ、問題にならん。地図どころか第一、羅針盤の針が見えんですぞ! (といいながら出て来て、下からの光の輪の中に立ち、手に持った地図を覗いている士は、身装こそ少し変っているが、第一場に出て来た加多源次郎である)
声 ひどいですなあこの道、加多さん! これで五斤砲が通りますかなあ!
加多 砲といえばいつまでも五斤がとこの物だと思うていられるのか? 青銅元込めで二十斤五台ぐらいは引つぱり上げる予定ですぞ。出来ているのです。ハハハ、野戦の法に、道は尺を以て足れりとしてある。通りかねるのはあんたの足だろう。弱過ぎるのだ。
今井 (フーフーいいながら龕燈を提げて出て来る。旅装の士)いやあどうも。これでも馴れれば楽になるでしょうが。
加多 (光の中で地図を覗いている)ええと、これだとすれば、この見当として北西北。……ウム。(仰いで)星は? 見えぬか。いや見える。天頂より未申《ひつじさる》、稍々|酉《とり》に寄るフン……と? よし、これだな。今井君、そこの岩に登って下さい。たしかこの辺から真壁の町の燈が見える筈だ。
今井 (岩に登って)こうですか? この方角ですか? おお、見える! 殆ど真下です。
加多 それではその真壁の燈《あかり》を正面に見ながら両肩を向けて左腕を正しく横に上げて下さい。そう。それでいいかな? 正しい? よし、(と今井の左腕の方向と地図と盤とを見較べている)……。
今井 (そのままの姿勢で)玉造文武館の諸兄は昨日の午《うま》の刻頃進発したのですから、既にいまごろは岩瀬から真壁近在に来ている訳ですなあ? (加多が返事をしないので)……行われずんば断《だん》あるのみと言っていたが、別に火も見えないし。……此処から見下せば平和に眠った町だ。
加多 (地図の研究を終り、今井の言葉尻を小耳に入れて)なに、平和?
今井 いいえ、此処から見れば、そう見えるというのです。もうよろしいか?
加多 ご苦労、もうよい。(今井岩を降りる)そうだ。実は動いている。それを動いていると見るのも動いていないと見るのも距離一つです。幕府の醜吏には醜吏としての距離がある。薩賊会奸には薩賊会奸としての距離がある。
今井 そうです! ところで路はわかりましたか?
加多 わかった。この線がこの路だ。正確なので驚いている。
今井 地図を引いたというその老人はいまどこにいられるんですか?
加多 ああ君はまだだったか。目下、兵藤氏と共に長州の真木和泉のところへ使いに行っている。自ら称して一介の遊侠の徒に過ぎずとしているが胆略ともに実に底の知れない、えらい男です。この地図の様子では洋学の智識などもかなり深いらしい。おっつけ戻る頃だ。
今井 (眼を輝かして)戻って来られれば、いよいよ……?
加多 そんなところだろう。昨年幕府発表の攘夷期五月十日も明らかに空手形に終るは定《じょう》だし。薩賊会奸何んするものぞ、田丸先生もそういっていられた。待てば待つだけ奴等は小策を弄するだけの話。それに中川ノ宮以下の長袖と組んでいる。蔵田氏などの考えも最後の目的は公武合体ではあろうが、当面尊攘を目標とする限り、一日待てば一日の後手《ごて》になるのは明白。拙者は自重派には不賛成だな。これでは長州、因州の起つのを待っているのではないか! 筒井順慶が轍じゃ! すでに長州には福原越後が兵を率いて動くと約しているし、久坂義助、桂、佐久間克三郎等あり、因州に八木良蔵、沖剛介、千葉重太郎等が共に立つといえば――。
今井 東西呼応して立つ! 痛快だなあ、ムム! 諸先輩は余り慎重過ぎるなあ! (昂奮してジレジレする)
加多 アハハハ、閑話休題、筑波へ論じに来たのではない。地の理を、踏査に来たのだ。行こう。したが此処まで来ればそれも済んだも同然。少し休んで行くか。いや寒い! 焚火をしよう。(落ちている枯葉枯木を集め、懐中から油紙に巻いたマッチを取出し、火をつける)もう少し集めてください。
今井 (集めにかかりつつ)でも大丈夫ですか?
加多 何が? なあに、構わんコッソリ歩いてもオオッピラに歩いても隠密などというものはどうせ犬のようについて来るのだ。もうすでにそんな時期でない。(焚火が燃え上る)ハハハ唸っているじゃないか。幸いにして未だ存す腰間父祖の剣。
今井 (先程から身内の血が湧き立ってジリジリしていたのだが、加多の今の言葉に煽られて耐えられなくなり、龕燈を投げるように下に置いて、いきなり大刀をスラリと抜いて舞いはじめる。怒鳴るように吟じつつ。加多は一度ニッコリしてから、黙ってそれを見ている)……ウムッ! 天地正大気。粋然鍾神州、エイッ! 秀為富士嶽。巍々聳千秋。注為大瀛水。洋々環八州。発為万朶桜。衆芳難与儔。凝為百錬鉄。鋭利可断※[#「鶩」の「鳥」に代えて「金」、第3水準1−93−30]。蓋臣皆熊罷。武夫尽好仇。神州誰君臨。万古仰天皇。皇風洽六合。オオッ! 明徳……(遠くの山中で人の叫び声らしきもの別々に二ヵ所で起り消える。今井はそれに気づかず尚舞う)
加多 (立ち上って耳を澄して)……今井君、止めたまえ。
今井 は? (加多が何故にとどめるかわからず、余勢でまた刀を振っている)何ですか?
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(チョットした間。――再び以前よりは近いところ――といってもまだそれが人の声であることがヤットわかる位に[#「ヤットわかる位に」は底本では「ヤットかわる位に」]離れているが――で、叫び交す人声二、三カ所で。ギクッとする今井。更に遥かにドウドウドウと急調の太鼓の響。もっと遠くで法螺貝の響きらしい音もしている。……加多、今井と眼と眼を見合わせながらジーッと立っていた後、黙って地図を懐中に入れ、刀の下緒を取り口に咬え、たすきをしはじめる)
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今井 ……(加多を見詰めてこれも身仕度をしながら)では?
加多 ……ウム。
今井 (焚火を踏消しにかかりながら)斬りますか?
加多 仕方があるまいなあ。別れ別れになったら十三塚、小幡へ抜けて柿岡へ出なさい。……いや火は消さんでよい、この闇だ、他からもすでに見えている。……おお静かになったが……此処はもう筑波の社領内だが、狂犬《やまいぬ》め、そんなことも考えておれなくなったと見える。
今井 しかし、それならば太鼓は?
加多 それさ……わからない。あるいは寺社奉行の方へ渡りをつけての上の話かとも思われるがそれ程の手廻しが利くかどうか。斬るにしても慎重に! (ツッと炭焼竈の釜口の凹みに身を寄せて尾根――花道――の方を見詰める)
今井 承知しました! (先刻自分の乗った岩の蔭に身を添えて峠道――自分達の出て来た右袖奥――を睨んで息をひそめる。三度間近に起る人の叫声「逃すなっ!」「ぶった斬ってしまえ!」「やい! やい! やい!」「おーい、そっちだあ!」等。ガサガサガサと木や草を掻き分けて近づく足音。遠くの太鼓の響、
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