(水田からは何の返事もない。抜刀の男、ズカズカ進んで田に踏み込んで行きそうにする)
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袴の男 (動いている菅笠を認めて、指し)百姓だ。
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(それで抜刀の男は踏み込むのをやめる。三人、三方を見廻している。――間)
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袴 ……(水田へ向って)……おい……(と呼びかけながら着流しの男の抜刀に眼をやり、それをかくせと頤をしゃくる。着流しの男、抜刀を背後にかくす。(水田へ向って)……おい、こら! なぜ返事をしない、聞こえないのか? (稲田の中の者達は、稲の間から三人を覗いて見ておびえでもしたのか立上ろうとはしない。が泥掻きをする手を止めたらしく、稲も動かないし、水音もしなくなる)……おい!
着流 ハハ、恐ろしがっているんだ。
袴 そうか。馬鹿な、元来我輩等はお前達の唯一の味方なんだぞ、お前達になり代って藩閥政府の専横をぶち倒そうというのだ。恐がると言うのは聞こえない話だぞ。ハハ。しかしまあ、それでもよい、話は出来る。少したずねたいことがあるが、正直に答えてくれよ。ほかでもないが、この辺に仙太郎さんという百姓が、住んでいる筈だが、お前達知らんか? (田の中からは返事がない。が、誰か一人が身じろぎをしたらしく稲が一個所だけ少し動く)……どうだ知っては居らんか? ……(返事なし)
着流 この辺一帯で、斬られ、斬られ、または斬られの仙太郎と言って子供でも知っているということだから、家だけでも知らんということはあるまい、どうだ? (水田からは返事なし)
袴 あれは……元治元年、筑波党に参加してえらい働きをしたのだから、あれからザッと二十年、もういい年をした爺さんになっていよう、知っておらんか?
洋服 何でも利根あたりの郷士の娘で、一時筑波辺で女郎をやったこともあるとかいう恐ろしいベッピンの女豪傑を女房にしているそうな、俺あ足利で聞いた。願わくばその女郎あがりの女豪傑の美人も見たいもんだ。ハハハ。残んの色香という奴で、一つ叱られて見たいなあ。
袴 阿呆をいうな! 筑波の残党ならば、いわばわれわれの大先達だ。その細君のことを、貴様失敬な! (水田へ向って)どうだ、知っていたら教えてくれんか?
着流 急ぐのだ、早く何とか言え!
袴 教えてくれても決してお前達に迷惑のかかることではない。少しその老人に頼みたいことがあってな。おい、なぜ返事をしない?
着流 返事をしないと、斬るぞっ! 常毛《じょうもう》自由党員を何だと思っているか!
洋服 いや、百姓というもんは、どこの百姓でもこれ式ですよ。始めからしまいまで黙っている。自分のシッポに火がついても黙っている。ギリギリのどだん場まで黙っている。百姓を相手にするには、それをわからんきゃいかん。われわれが味方にし相手にするのは、この種の人間だ。これが第一歩だ。中央に坐りこんで机の上の民権論ばかりで日を暮している板垣輩、または星先生の一党の是非ならばいざ知らず、富永先生以下、真に地方の田畑の間から自由民権の萠芽をもり立てようとならば、やり方が少しあせり過ぎはしないか。なぜなら、百姓は実に、これが百姓なんだ。
着流 おいおい、ここは演説会場と違うぜ、演説は止めておけ! (水田へ)おいこら!
袴 (水田の者達はホントに少し腹を立てている)おい! お前達、僕等に敵意でも抱いているのか? 返事だけでもすればよいではないか? 急いでいるのだ! これでもわからんければ……! いや、おい何とか言え。第一その仙太郎老がこの辺に住み百姓をやっているということは、小さい時からその仙太郎老のために育てて貰った。いわば養子の一人だ、目下自由党に加盟して働いている真壁虎雄君から聞いて来たんだから、確かな話だ。
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(それを聞くや、えっと驚いたらしい声がして、稲の間に滝三が頭を上げる)
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滝三 真壁虎雄? ……自由党に?
着流 真壁を知っているのか? では――。
滝三 いんや、……その……(と躊躇して、少し離れたところで泥掻きをはじめた百姓の方を振返ってモジモジしている)知っちゃいねえ。知っちゃいねえけんど……その、仙太郎を捜してあんた方頼みたいと言うは、何かね?
袴 何かお前知っているらしいな。よし、それでは言おう、頼みたいと言うのは、沢山あるが第一にわれわれが山の方へ入るについて、人数が手薄なのでこの辺の村から、われわれと行《こう》をともにしてくれる元気な青年を加えたい。それと、兵糧のこと、これらの件について、郷党の間に信頼されている立派な口利きが欲しい、それで是非その斬られの仙太郎さんに出馬して貰いたいのだ。
滝三 へえ……。(うしろを振返ってマジマジする)
袴 さ、これだけ言ってしまった、もう知らぬとはいわさんぞ、君! 知らんなどとシラを切れば、今日明日には武装した犬どもが何百となく県の方から押寄せて来ようという差し迫ったいまだ、悠長なことはやっておれん、このところで制裁を加えるぞ、よいな!
滝三 (困りきって)……それだと言って、そんな無法な……知らんものは……。そんな難題ば……お父うよ、お父う。
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(呼ばれて口の中で返事をしながら、稲の中に上半身を起す老農夫。笠をかぶり純然たる小作百姓のなりだし、それに実際の年齢よりもひどくふけているので初めそれとは全然わからず、ヤッと後になって昼休みで道にあがった時にそれとわかる程に完全に百姓爺になってしまった仙太郎である)
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袴 ではお前が仙太郎さんのことを知っているんだな? どこだ住居は?
仙太 へい、知っております。……ここからじゃ遠いて。小半里《こはんみち》はありやす。
洋服 どっちだ? いまでも丈夫か?
仙太 そっちへ行って小貝川に行き合うたら、こんだ川に添うてドンドン下って、植木と言う在をたずねたらようがすて。……しかしうちにはいめえて。もうスッカリ百姓でなあ、毎日タンボさ出るほかはボケてしもうて、人とはロクに口もきかねえそうな。
袴 よし、それでは、急いで行くか。
仙太 あんたら、自由党とかでいまの政府を倒すそうなが、……そいで、政府ば倒したら、そん後《あと》、どうなさいまっす? あんたらがこんだ大臣やなんどにおなりけ?
着流 貴様、失敬なことをぬかすと……!
洋服 おいおい、こんな爺を相手に……よせよせ! さ、行こう! (三人花道の方へ行きかける)
仙太 (見送って、独言のように)行っても無駄でしょうて。仙太郎さは、もうはあ百姓だで、そんなことに手は、よう出しますめえ。
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(三人はそれでチョイと立どまりかけるが、貴様達に何がわかるといった調子で聞かず、急ぎ足にドンドン揚幕へ。それを立って見送っている仙太郎と滝三――間)
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滝三 お父う、……お父う、あんな無茶ばいってええのか? 嘘だってわかると……?
仙太 ああによ。……嘘じゃねえ。さあ、またやろうか。
声 あんだとお? (と少し調子はずれの声を出していままで稲の中にいたもう一人の爺が立上る。これも老人になってしまった段六である)もうはあ、お茶だと?
滝三 また、伯父さのツンボの早耳だ。(段六に向って声を張り上げ手でラッパを拵えて)お茶はまだだい、段六伯父さ。よく空く腹だぞ。芋が来ねえで、はあ、お気の毒みてえだ、伯父さ! ハハハ。
段六 あんだと、滝三め! 芋も芋じゃが、お咲坊が来ねえでは、お前こそお気の毒さまみてえなもんだて! アハハハハ、知っとおるぞ。知っとおるぞ。アハハハ。(仙太郎の方を見て)んでも、仙太公、お前何とか言ったけ?
仙太 (これも手ラッパで)あのなあ、えらく、お日でりだで、川の方の三角田にゃ明日あたり上から少し水ば切り落しとかねえじゃと言っているのよ、段六公。
段六 おおよ。そうしべか。世間が騒々しいとおてんどさままでが調子っぱずれだ。やれ、どっこいしょ。(と再びしゃがんで姿を消す)
仙太 さ、もう一息やろうか。(再び泥掻き)
滝三 あの、お父う、さっきあの連中虎雄のこというてたが、それじゃ、いよいよ……。(と不安そうにしてしきりに話したがるが、仙太も段六もそれを耳に入れず相手にしないので仕方なく、これも稲の間に姿を没して働きはじめる)
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(かなり永い間――水の音)
(花道から女房姿のお妙とお咲が出て来る。二人とも着流しだが甲斐々々しい姿。お妙はふかし芋の入ったザルを抱え、お咲は茶椀の包みと大ヤカンを提げている。お妙は年こそかなり取っているが、まだ大変綺麗である。お咲は昔よく泣いた子で、これも年頃で可憐な顔立ち。スタスタと本舞台へ)
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お咲 (後を振返りつつ)おっかさん、先程行き合うた人達は、もしかすっと――?
お妙 そうかも知んね。
お咲 んじゃ虎雄さんなんどもあれの仲間になってるかな?
お妙 んかも知れないね。正造は、これからの世の中は金が第一じゃといって横浜へ貿易屋とかの下働きに行ってしまうし、兼八は弁護士たらになるというていま東京で巡羅になっているそうな。虎雄は虎雄であの性分だ。うちに残っているのはお前と滝と源太郎だけ。私はいつまで立っても苦労の肩は抜けやしない。
お咲 ……源太さは畑でしょう?
お妙 そうだべよ。……しかしこんなこと、おとっつあんの前では、言いっこなしだぞえ。おお暑い。
お咲 だから、おっかさんはうちで休んでいて、私一人でいいとあんなにいうたものを。
お妙 ああによ、私一人が休んでいては、すまねえ。ああ、お稲がもうこんなだ! (稲田へ向って)あい、お前さん、お茶だぞう。(おおと返事をする声)
お咲 (声を張上げて)段六の伯父さあん、お茶でがんす! 段六の伯父さん! お茶でがんす! (稲田の中からまず滝三が立上り、お咲を見てニコニコする。つぎに仙太郎、つぎに段六が立ち上る)
仙太 おおご苦労だ。(言いながら手でも洗うのであろう、左手へ田をあがって姿を消す)
段六 (呆けた顔をして滝三とお咲の顔を見くらべて)滝三、咲坊の顔そんねえに見ているとそらそら、よだれが垂れら! アハハハ、だらしがねえと言うたら、こら!
滝三 何よう言うでえ! 泥ぶっかけるぞ!
段六 んでもさ、よだれが垂れてら、のう咲坊!
お咲 伯父さ、そんねえなこというと、芋やんねぞ!
段六 あんだと? アハハ、咲坊だって赤くなっとら。
お妙 段六さん、つまらんこというてねえで、早う手ば洗うて来さっしょ!
段六 へい、へい、(笑いながら左手へ。滝三も同様)
お妙 ここは木蔭がねえで、いつも難儀じゃ。んでもいい加減に少し雲が出て蔭が出来たて。
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(お妙とお咲は道端の草場に持って来た物を拡げて仕度をする)
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お咲 段六伯父さたら、いつもあれだ、ふんとに。
お妙 (ニコニコしながら)耳は聞こえなくなっても口の方は段々達者になるて。
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(男三人は手足を洗って、左手から戻って来る。草場に車座に坐る)
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段六 やれどっこいしょ。今日は芋かの? (見て)おほう、どうだこれ! 今年のは出来がええて! どうだこの色は! 源太の腕も馬鹿にはなんねえ。
お咲 あい、お茶。
段六 おほっ、俺が貰ってええか? 滝三よ?
滝三 あほ[#「あほ」に傍点]いうな、伯父さ。(もう芋を食っている)
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(五人、言葉少なに茶を飲み芋を食う)
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仙太 お妙、おかいこはどうだ?
お妙 あい、いまの分ではよかろうて。二番さんがあがるのが後《あと》四日じゃ。お前さん、暑そうだが、肌ぬいだら。
仙太 うむ……。(片肌をぬぐ。散々の疵跡である)
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(間――五人静かに、食い飲む)
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滝三 お父う、虎雄なあ、さっきの……。もしかすっと、ホントに……。
仙太 うむ……。
段六 (早耳に入れて)あんだとう? 虎雄がどうしたと? 帰って来たのか、
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