ないといっていて、しめえまで見たぜ、お前さん! こうなると女はキツいてのう、後生楽なもんだて! はあ、血だらけだ!
女房 ナマイダ、ナマイダ、私はもう……
声 歩けい! 立ちませうっ!
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(仙太と段六が、オッ! といって飛上って走りよる。同時に青竹を持った小者にそれぞれ襟首を掴まれた百姓平七と徳兵衛、および上林の弥造に同様首筋を掴まれた仙右衛門が、ズルズル引きずり上げられて来る。三人の百姓は殆ど意識を失い、身体中はれあがり、背中の着物はズタズタに破れ、食いしばった歯の間から泡の混った血を吐き、半殺しにされた犬のような姿である。立って歩く力は全くない。特に仙右衛門は叩きに手加減をされなかったと見えて、顎の辺まで紫色にはれ上り、後頭部の辺から流れ出して顎の方までへばりついている血。地べたに叩きつけられ踏みつぶされた蛙の姿である。――後から土手にのぼってくる検分の刑吏、代官所役人、手先、北条の喜平、喜平の子分二人。その他の役人は刑場に居残っているらしい)
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仙太 (走り寄って)あ! 兄さん! 兄さん!
代役 控えませいっ! (仙太の腰を蹴る)
喜平 (つづいて土手へ上って来そうにゾロゾロ顔を出した見物、村役人、五人組の者、身寄りの者などに向って)お前さん方、ついて来ちゃいけねえ!
代役 お構いの者に付き従い、無用の手当等の事をなすにおいては、厳しきおとがめがあろう。(お願いでごぜえます! と叫んで追いすがり這い出して来そうな身寄りの者あり)ならぬ、帰れ!
仙太 (奉書を掴んで差出しながら)お願えでごぜまする! お所払いご赦免のお願い書の儀お取上げ下さいますよう、お願いでござります!
段六 お願いでごぜます!
刑吏 再三再四、ならぬと申すに、またいうか! たってとあらばもう少し早く係りへ行け!
喜平 おい、くどい事はしねえがええ、無駄だ。それともお前たち、お上のなされ方に対して不服があるのか? あればあるように……。
仙太 いえ、そ、そ、そんな大それたことは何で……。ただ、ただ、私兄き共、百姓ばする外にどげえして生きて行く術《すべ》を知りましょう。田地お召上げお所払いになりませば、明日が日からのたれ死にでごぜます。ここの所おあわれみ下せえまして、どうぞ御願書お取上げ……。
代役 ええくどいと申すに! さがれ!
刑吏 お取りきめに妨げすると、その方も縛るぞ!
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(その間に、小者二人、上林の弥造は三人の百姓を突転ばすようにして歩かせる。他の二人は転んだりしながらもフラフラ行くが、仙右衛門は無力になっていて起てないで呻く。そこへ殆ど這うようにして近づいた女房が、ヘギの包みを仙右衛門の懐中にねじ込む)
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女房 仙衛ムどん、先々で食べて下せえよ。これ白え米の飯だよう! 米の飯だぞよう!
弥造 よけいなことをするねえっ! (と女房の腕を青竹で叩き離す。女房ヒーッと叫んで転ぶように土手下へ去る――少しシーンとする)
仙右 (ガタガタする手で懐中を捜ってみて)……こ、米の飯……米の飯でがんすか……こ、米の……(見開いているが見えはしないらしい両眼で遠くを見て嬉しそうにニッコリする)おあ、り、がとうごぜえ……(気味が悪くなったのか弥造がチョイと手を離す)
仙太 兄さん、気をしっかりして下せえよ!
代役 慮外であろう! 起たせろ! 歩きませい! 向後、貴様達、このあたり立廻り相ならぬ。犯すにおいては重きとがめこれあると思いませい。それっ!
刑吏 叩き! (手先達と弥造が青竹を取直す)
仙太 兄さん! 兄さん! お願いでごぜます! お願いで……。
弥造 どけっ! (仙右衛門を叩くために振上げた竹で仙太の顔をガッと撲る。仙太がヒョロヒョロとなるところを刑吏と喜平が散々蹴倒し踏みにじる。はずみを食って仙太土手の傾斜をゴロゴロ転り落ちて来る――舞台前端へ)
仙太 ウーッ! 兄さあんっ!
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(役人、喜平、手先、子分等が罵りながら三人の百姓を突転ばし、青竹で叩きつけながら歩ませて左手奥へ去る。途中、仙右衛門が何と思ったか高札の棒にしがみついて離れようとしないのを、手取り足取り、散々に青竹で叩き離して追い立てて去る。土手の向うからは群集がそろそろ首をもたげて、おびえた顔で見送る)
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段六 (土手を駆け降りて来て)仙太、仙太! 痛えか? ああ、こりゃ、こんな血だ! 仙太よっ!
仙太 (歯をバリバリ音させて)段六、おら、おら、く、く、くやしくっ……! (また思い返して)ウーン、いいや、お願いでごぜます! お願えでごぜます!
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(斜面を這い上り、血を吹き出している顔を草にこすり付けて辞儀をしながら、またいざるようにして役人等の後を追う)
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[#地付き](幕)
[#改段]

2 陸前浜街道、取手宿はずれ

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 四年後。
 宿はずれも利根川寄りの方とは反対側。江戸千住を出た街道が我孫子を経て利根川を渡り取手町に入って二つにわかれ、一方は土浦へ。一方は守谷へ通ずる。その三叉に立った茶店の前。したがって取手の本宿は右手奥になり、利根川は花道揚幕の奥からグッと半円を描いて舞台左手奥を流れいる気持。開幕前に幕内遠く本宿の町の方に当って多数の団扇太鼓の急速な囃、調子をつけて鳴り、それに合わせて多数老若男女の群集が走りながら叫び立つ。「エジャナイカ! エジャナイカ! エジャナイカ! ……」の声。遠い潮の音のように起り高まり、つぎに低くなり、やがてフッと消える。開幕。
 揚幕の奥はるかに「おーい、船が出えるうーだあーよううーい」と船頭の声がしてカンカンカンと木板を叩く音。揚幕を出て来る真壁の仙太郎とくらやみの長五郎。旅装束。二人とも廻し合羽、道中笠、一本刀。素足に草鞋。――仙太郎は四年の間にスッカリ人態が変ってしまい、以前から百姓には不似合いな程に綺麗だった顔が、引きしまり、横鬚に少しのぞいている刀の疵跡。しかしその鉄拵えの刀や身なり一体が歳にしてはひどくジミで、とりなしなども手堅く、普通の旅歩きの博徒とは少し違う。長五郎はそれこそ、生え抜きの博徒の様子。
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長五 おい真壁の、そうまあ急ぐなってことよ。向う両国から右に切れようたあ[#「切れようたあ」は底本では「切れたようたあ」]訳が違わあ。いずれを見ても野っ原ばかりだ。足もにぶらあ。お蔦さんが今度こそあ仙さんを連れて来てといってたっけが、――おっと、禁句か。いやさ話がよ、チチチンと、あれ寝たという寝ぬという、とまあいった訳で、あーっ、俺は恋しいや、深川はやぐら下。へん、兄きあまるでこれから色にでも逢いに行くようだ。
仙太 のほうずな声を出すな。ハハ、色ならいいがな。くらやみ、利根を渡るのはこれで三度目だが、渡船の歩み板を一足ポンと此方へ降りりゃ、おいらのためにゃ仇ばかりよ。
長五 仇といやあ、よんべの姐やがのう、もう一日いてくれとホロリとしたときにゃ、俺も碇を降ろそうかと、へへへ……考えたもんだ。
仙太 とかなんとか、不景気故の空世辞をまに受けて、枕だこのできた飯盛りなんぞに鼻毛読ませの、ヨダレをくっているなんざあ、見られた図じゃねえ。まずおいて置け。
長五 しかし女は買わず酒は飲まずの渡世人というのも珍しかろうぜ。兄きあよっぽどの唐変木だ。こんな男にお蔦ともあろう女が首ったけとは、わからねえ話だ。男ひでりがしやあしめえし[#「しやあしめえし」は底本では「しゃあしめえし」]。へん、おうべらぼうな。下手をしていりゃ、お蔦さん追いかけて来そうだった。
仙太 お蔦のことあ口にしねえ約束だったぜ、長五。先は芸者だ。惚れたふりをするのが商売だ。いいや、もういってくれるな。俺あ唐変木だが、そしてお前が二本棒か。ハハハ。(二人歩く。遠くを望んで)ああ筑波が見える。(七三に)
長五 それじゃ兄き、お前どうあっても真壁に帰る気か?
仙太 くでえ。四年が間今日の日のことばかり待ち暮した俺だ。久しくあわねえ兄を捜した上で田畑を買い戻し、俺あ百姓になるのだ。
長五 一旦渡世に入った者が足を洗って商人や職人になるためしはあるが、百姓になろうとは酔興が過ぎらあ。幾度もいうようだがお笑い草だろうぜ。第一出来ねえ相談だ。
仙太 お笑い草になる積りだ。出来るか出来ねえか見ているがよい。俺あもともと百姓だ。
長五 その百姓になろうという奴が全体、三年も四年も何のためにヤットウを習って目録以上なんてぇとんでもねえ腕になった? 百姓に剣術が要るのか、兄きの前だが?
仙太 俺あ、その時々に自分のやることあ、トコトンまでやらねえと承知出来ねえ性分だ。それだけの話よ。
長五 アハハ、じゃまあやって見な。権兵衛が種蒔いて烏がほじくるってね。こんなテンヤワンヤのご時世が見えねえ訳でもあるめえに。ウンウン田畑を作る者がある。出来た物あソックリ取上げる者がある。二本差して懐手、ソックリ返った烏がな。(仙太返事をせずに下を向いている)まず権兵衛殿、阿呆面にクソでもひっかけられねえ用心でもしなよ、へへへ。
仙太 くらやみの、てめえ……。
長五 と、と! 凄え眼をするなよ。あやまった。物騒な男だ。口が過ぎた。
仙太 (寂しそうに)ハハハ、まあいい。ところで俺あ真壁に行く前にお礼に寄るところがある。利根の甚伍左親方。そして、翌日からスッパリとドスを捨てる。じゃあ此処でお別れだ。てめえ何方へ行くんだ?
長五 待ってくれ。(懐中からサイを出してひねり)半と出りゃ鹿島、丁と出りゃ筑波の賭場だ。一遍こっきり。よっ! (サイを投上げ受けて掌を開き)筑波と出たよ。
仙太 相変らずだなあ。だが長五、先刻もいう通り、どこへ行くにしても、北条の喜平の息のかかっている親方衆の所で草鞋を脱ぐのだけはよしにしてくんなよ。こいつはいままでの兄弟分のよしみに免じて俺の頼みを聞いてくれ。
長五 合点だ。筑波にゃ仏の滝次郎、いい顔の貸元で、つき合いの日は浅えが妙な縁で江戸で呑み分けの兄き分がいるから、どうせそこに転げ込むんだ。だが、このままあっけなく別れるというのも何だから、その辺で一杯どうだろう。
仙太 そうよなあ、一度別れりゃまたいつといってあえねえ。お前を相手じゃ意地も張れめえ。(二人連立って本舞台へ。――茶店の前へ出て)おお丁度おあつらえ向きだ。ごめんよ。
長五 おい、休まして貰うぜ。なんだ、誰もいねえのか。おい! (いっているところへ、本宿の方の騒音急に激しくなり、エジャナイカの声々が潮のように起る)何だありゃ?
仙太 フフン、こんな所にも流行って来たのか。江戸を出る時も千住あたりでエジャナイカ、エジャナイカであちこち叩きこわしが始まっていたが。
長五 何でも米屋と質屋が一番先きに叩きこわされるというのだから、米も金もなくなって食うに困った連中のやることだ。ウンとやるがいいや。ついでに知行取りの士屋敷や奉行所、公方様の米倉あたりまで押せば[#「押せば」は底本では「伸せば」]いいに。
仙太 こらえ切れなくなった町人百姓の尾も頭もねえ八つ当りだ、どう転んだとてそこまでは行きはしねえ。情けねえ話だ。御大老が斬られるわ、あっちでもこっちでも強盗火つけ、押しがりゆすり、人殺し辻斬りと、全体末はどうなるのかなあ?
長五 そいつは八卦見にでも聞くがいいや。世間の抜道を斜《はす》に歩く俺のような渡世人にゃ、この世の中がどうなろうと知ったことかい。ホイ、酒だ。おい、ごめんねえよ! いねえのか、誰も? おい!
爺の声 はいはい(出てくる)はい、何ぞ御用で?
長五 茶店の者が人が来たのに何の用もないもんだぜ。ハハ、早いとこ、一本つけてくんなせえ。
爺 それはもう何でがすけど、今日はもうご勘弁なせまし、へい。
長五 何か、もう売切れたのかい?
爺 いえ、もうこれぎりで店をしまおうと火を落してしめえましたので。なんしろ、お聞きの通りのエジャナイカ騒ぎで本宿辺は散々にぶちこわしが始まっていると申しますし、
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