のお神さんですけ。へい、こうなればもうしようありましね。
女房 私あな、もっと早く来ようと思うて急いだなれど、なんしろはあ、秋の不作では、どっこの内でもろく[#「ろく」に傍点]に飯米も残っていねしさ、お取立てが二度も三度もあるんじゃもの、あっちでもこちらでもヒエやアワ食ってんのはまだええ方だち、芋ばかし食っている家が多いざまだであちこち捜し廻ってな、元村の作衛ムどんべに白げた米がやっと五ン合ばかしあったで、お借りもうしてな、大急ぎで炊《ち》あて握りままに拵えて来たわな。
段六 どうなさりまっす、そりば?
女房 いいえさ、私等仙衛ムどんにいろいろ厄介になっていても、こうなっと金も力もなあし、何んにもしてあげることもできねで、せんめて、村方お構いならしゃるのに白い米の飯でも腹一杯食べて貰おうと思うてな。
仙太 ありがとうごぜます! ありがとうごぜます! この通りでごぜます、お神さま。兄きが、兄きがそんお志、どんねえにありがたく思いますべ。……それにつけても、村方の百姓衆一統があんた様の半分づつのお心持でも持っていてくだされば、……これご覧なせえまし。せっかく書きあて参りました御願書に、今朝から散々お願えしても、他所村《よそむら》の百姓衆は愚か同じ真壁の同じ元村、同じ新田の衆、近所隣りから名主様五人組の組内の人まで誰一人としてお名前をくださる方はねえですて! お神さま、百姓同士というもんは、そんねえにむげえ薄情なもんでがすかえ? そんねえに。
女房 そりあな、皆さん、仙衛ムどん初め、今日のお仕置きにあう人達のこと何ぼうにも考えにゃ訳ではなかろうけんど、誰じゃとて飯も食えねえ有様では、そんだけの気の張りもなかろうよ。諦めなんせ。な。わが身が可愛いいで精一杯でえすて。
仙太 同じでがんす! 内の兄きじゃとてわが身が可愛くねえことはありましねえ! わが身が可愛いけりゃこそ、同じ百姓の人の身のうえも可愛いいで、あんなことしたんでえす!
女房 もっともじゃ! もっともじゃ!
仙太 (泣いている)でがしょう? 真壁新田の百姓仙右衛門は真壁全村やご領内百姓衆みんなの身の内の者ではねえでがすか? 百姓全体のわが身の内ではねえでがすか?
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(その間も向い側の叩きの物音は続いている。それにつれて断続する群衆のざわめき)
(そこへ街道の左手――花道から急ぎ足に出て来る旅装の三人。二人は士――水戸浪士加多源次郎と長州藩士兵藤治之。他の一人は、一本刀素足草鞋、年配の博徒だが、身なりにも態度にも普通の博徒でなく名字帯刀御免の郷士あがりの者らしい点が一見してわかる甚伍左)
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仙太 お願えでごぜます! お願いいたします。
加多 控えろ! (三人は急用のために行手に気をとられて通行していたところを仙太に不意に飛び出されて、少しギョッとして立止る)……何だ?
兵藤 (土手下の物音で、下を眺めて悟り)ああ。(と見廻して高札に目を止め、読みかけ、他の二人にも指して見せる。三人黙って読み終る)……。
加多 ……さようか。が、お願いとは何事だ? 詰らぬことをいたして通行の邪魔すな。全体お前は何だ。
段六 へい、それにありまする三人の内の一人、百姓仙右衛門の弟仙太郎と申しまする。百叩き御所払いの御仕置につきまして、御所払いだけを御赦免お願いいたそうと存じます。御願書をこうして持参いたしましたが、私どもばかりの名だけではお取上げになりましねえのは解りきっていますので、ご通行の皆様にお名前と爪判を頂戴いたしておりますんで。どうぞ、お慈悲をもちまして……。
兵藤 しかしながら、これに書いてある強訴におよばんとしたと申すは定《じょう》か?
仙太 と、とんでもねえ! へい、当地村方一同、一昨年以来重ね重ねの不作でござります。米、麦を作りまする百姓とは名ばかり、昨年夏ごろよりどっこの家でも食う物に事欠くありさまでごぜます。んだのにお上様よりは追い上納二度も三度も申しつけられまして、そんでなくもウヌが口の乾上るこの際、どうしても未進が続きまする。そこへ持ってきて村方一同が命の綱と頼みまする荒地沼地開墾の新田に竿入れ仰せつけられる段おふれでごぜましたので、そうなればこのあたり百姓何千何万と申す者が、かつえて死なねばならぬ始末、それで私ども兄きなんど、この由御願い出て見ようでねえかと寄り寄り相談していたばっかりでごぜます。
加多 たしか旗本領であったな、このあたりは?
段六 へい。
加多 誰だ? 何と申す?
仙太 二千五百石、加々見様でごぜまする。
加多 フーム。……出役《しゅつやく》は八州および支配所役人か。(唸って高札をにらんでいる)
兵藤 加多氏、何を唸っているのだ。ハハハ、おい、かねて人柄よろしからず云々と申すが、これは何だ、バクチでも打つか?
甚伍 兵藤さん、あてこすりを言っちゃいけません。
仙太 いいえ、そんな、そんなこと、それは言いがかりでごぜます。兄貴はふだん村でも田の虫と言われておりまする。タンボ這いずり廻っていさえすりゃ文句のねえ男でごぜます。人柄が悪いなんどと。それは叩かれる分には、仕方ありましねえ、兄きもおらも諦めています。それを、とやかく申すのではごぜませんで。んだが、村方お構い田地お召上げのことでごぜます。あのタンボ気違いの兄きがなめるようにして可愛がっていました田地召上げられましてどの空で生きて行けますべ? それが困れば未進《みしん》上納共地代二十両、持って来いと申されます。いまごろの食うや食わずの水呑《みずのみ》百姓に二十両が二分でも、どうなり申しがしょう! これは死ねと言うことでがんす! 百姓から田地召上げるのあ、死ねということでがんす! 私、お士様《さむらいさま》には武士道と申すもの両刀と申すのがあるということを聞いております。両刀召上げられ武士道がすたれば生きてはおいでにならねえと聞いておりまする! 失礼でごぜまするか知りましねえけど、田を作るは百姓の道で、田地は両刀でごぜまする。この、このところばお憐み下さいまして……。
加多 よし! (ズカズカ向側へ下りて行きかける)
甚伍 加多さん、どうなさるだ?
加多 斬る! 一旗本の分際《ぶんざい》で慮外の処置だ。
兵藤 役人や手先をか? 斬ってどうするのだ!
加多 どうするもない。見ていられい! (走り下りて行きかける)
甚伍 加多さん、まあまあ!
兵藤 加多! 尊公は藤田氏以下諸先輩の至嘱を忘れたのか? まった、こうして三人、京表から先生及び拙藩の藩論を一身に帯してハルバル下ってきた使命をここで打捨てられる積りか? ……どうだ! (言われて加多ウムと言って言句に詰る)ハハハ、若いなあ。しかし無理もない。無理もないがいまそんな時ではないでしょう。どうだ甚伍左。
甚伍 へい。私なんぞによくは解らねえが、やっぱり大の虫小の虫とでも言いますかな。これで盆の上の仕事でも巧者になれば、初手《しょて》はあらかた投げてかかる。
兵藤 アハハハ、甚伍左とくると何の話でも袁彦道《えんげんどう》に[#「袁彦道に」は底本では「袁玄道に」]もってくるからかなわん。さ、行こう加多氏、ハハハ、こんなところここだけではない、これだけでないぞ。黙々として耐えて耐えて、殆ど耐え得べからざるを耐えている五千万蒼生を忘らるるな、欝勃として神州に満つ。倒れるものは斬らずとも倒れる。八万騎と申したのは昔のこと、即ちいま、少しでも骨のある旗本や徳川の役人は多分一万を出でまい。アハハ、無用だ。正に小義憤を断じ去って、病弊の根本処に向って太刀を振うの時だ。そう唸られるな。さ、急ごう!
加多 兵藤氏、私が早まったようだ。行こう! (と立去りかけて、この三人のやりとりを半ば解らないなりに固唾を呑んで見ていた仙太、段六、女房などをチョイと眼に入れ)暫く! よし、書いてとらすぞ。(筆をとり上げて奉書に筆太に何か書く)
仙太 ありがとう存じまする。ありがとう存じ……。
加多 (筆をカラリと置き、ペタリと土に額をつけている仙太の肩を叩いて)一身の重きを悟れよ。義公御遺訓にもこれあり、百姓は国の基《もとい》だ。時機を待て。いいか、時機を待て! さらばだ。(二人足早やに左手奥へ去り行く。一番後れた甚伍左が懐中に手を入れながら仕置場の方を見下していたが、何を見出したのかホーといってジッと眼をこらして見ていた後、振向いて)
甚伍 ……お百姓、ええと確か真壁の仙太さんといいましたね。仙太さん、いま見ると、今日のお仕置きの手の者は北条の喜平一家の者だ。たしか上林の弥造とか言った角力上りの奴もいるようだが、何ですかい、あの連中、出役《しゅつやく》は今日だけのことかそれとも……?
仙太 いえ、そうではごぜましねえ。兄きなんどが、お召捕になりましたのも喜平親方の方の子分の衆がなされましたんで。
段六 あんでもはあ、喜平さんと当地の御手代様とは奥様の方の縁続きとかで、北条の一家と申せば詰らねえバクチ打ちでも御役人同様、えれえご威勢でごぜえます。百姓一統どれ位え難儀をかけられているかわかりましねえで。
甚伍 フーム。そいつは了見違えな話だ。二足の草鞋を穿くさえある。荒身かすりの渡世とは言いながら、チットばかりアコギが過ぎるようだ。それでなくとも北条の喜平についちゃ、私も前々から同じ無職のゆくたての上で、少しばかりしなきゃならねえ挨拶があるんだ。ま、いいや、おい、お百姓、いや仙太さんとやら、少し先を急ぐ旅だからこれで失礼しますがな、これはホンの志だけ、兄さんに何か甘味い物でも食べさせてやるたし[#「たし」に傍点]にでもして下さいましよ。
仙太 へ? いえ、こんな、一両金なんどという大金を頂くこたあ、見ず知らずのあんた様から。
甚伍 なにさ、私も元はといえば百姓だ。いやいまも家にいる時あ、盆ゴザに坐る時よりゃ野良へ出る時の方が多いくらいのもんです。アハハ、いや、また、何かよくよく困って、村にいられなくなりでもした時には、道のついでに私んとこへもたずねておいでなせえ。そうよ、あの筑波を左の肩越しにうしろを見て南の方へドンドン下ってスッカリ山のテッペンが見えなくなった辺まで行ったら、人をつかまえて利根の甚伍左という大道楽もんの家はどっちだと尋ねなせえ。
仙太 え! じゃあんた様が甚伍左の親方様で!
段六 利根川べりの甚伍左様でがんすか! あの名高え!
甚伍 知っていなさるか? こいつは恥ずかしいな。じゃ、ま、急ぐから、ごめんなさいよ。(歩み去り、ジロリと土手下を横目で睨んでおいてスタスタ二人のあとを追って姿を消す)
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(仙太と段六は礼をいうのも忘れてしまって茫然としてその後姿を見送っている――ウロウロしていた女房はもうズット先程から仕置場矢来の方へでも降りて行ったのか姿を見せない。向う側では既に百叩きは終ったらしく、時々人声がザワザワするばかりである)
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仙太 (ヒョイとわれに帰り、ハラハラ涙を流し)ありがとう存じまする! 一生、死んでもこのご恩は忘れましねえでごぜます! ありがとう存じまする!
段六 御支配や、北条の親分みてえな人があるかと思えば、あんなりっぱな仁もあるなあ。……(いいながらタトウの上の奉書を見ていたがビックリして立上って)あっ! こりゃっ!
仙太 あんだよ、段六?
段六 見ろえ、これ! これ! 水戸、天狗組一同としてあらあ! こりゃあ! (ガタガタ顫え出す)
仙太 水戸、天狗組一同! ほだて! するてえと、いまの士の人達、天狗党の人たちだ!
段六 どうしべえ、俺、おっかなくなって来た! どうしべえ、仙太よ?
仙太 どうしべえって……(黙って三人の立去った方を見送り、仕置場の方を見やり、奉書を眺め、顔色を青くして考え込んでいる)
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(間)
(向う側から沢山の人数が土手にのぼってくるらしいざわめき、まっ先に鳥追と馬方と女房が走りのぼって現われる)
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鳥追 むごいねえ、まあ! あの上にまた叩き払いなんだねえ!
馬方 んでも見ちゃいられ
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