としているが、そのスキがないらしい。間。くぐり戸から兵藤が戻って来る)
兵藤 甚伍、戻っていたのか。怪しい者は見えぬ。何をしているのだ、甚伍? (くぐり戸の辺からは、植込に隔てられて甚伍左の姿だけしか見えないので、変に思いながら、歩いて来て、座敷の斬合いを見て)おお!
甚伍 早く止めて下せえ、兵藤さん、危ねえ!
兵藤 吉村氏、手を引かれ、拙者が相手になる、慮外なっ! 背後より斬りつけるとは……。
吉村 そうでない! 初めより目あては私だ。ウッ!
井上 オウー(こうなれば敵しないと見て取って、構えながら塀外へ向って叫ぶ)仙太、仙太郎! 出てくれっ! 何をしているのだっ! 仙太郎!
兵藤 なにっ! (とまだ座敷にあがっていなかった足を翻して、振返ってくぐり戸の方を睨んでいたが、バッと走って行き、チョイと外の気配に耳を澄ましてから、左手で刀の鯉口を切って、身構えながら、くぐり戸をパッと開ける。トタンに、それまで外からくぐり戸に寄りかかってでもいたのか、ハズミを食ってアレッ! と叫んで、転げ込んでくる深川芸者のお蔦。兵藤は事の意外さに呆れて一瞬見下ろしていたが、やがて猛然とお蔦の髷を左手で鷲掴みにする)
兵藤 貴様、なに奴だ※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
お蔦 痛っ! 何をなさるんだよっ! つ、つ、つ、痛っ!
兵藤 さては、宵の口から、その辺ウロウロしていたというのは貴様だったな? よし、バイタ!
井上 お蔦! 仙太はっ? 仙太郎は如何した?
吉村 謀られた! 甚伍、手出し無用! この場を引けっ! えいっ! (井上に向って斬り込んで行く。井上かろうじてガッと受けは受けても、耐えきれず殆ど肩口を斬られそうになってタタッと壁の側を逃れて縁側の方へ下ってくる)
井上 仙太っ! 何をしているんだ、仙太っ!
兵藤 畜生! (と、ばかりお蔦を蹴倒しておいて、吉村に代って井上の方へ向って行きそうにする)
お蔦 ひいーっ! (言いざま、兵藤のフクラハギにガッとかぶりつく)
兵藤 つ、つ! 離せっ、この……。
甚伍 吉村先生、この場あ私が引受けた、逃げて下せえ!
吉村 よろしい、頼んだぞ! (言いざま横に払った刀が殆ど井上の胴に入りそうにして袖を切る。井上あぶなくそれをかわす拍子に縁側から片足を踏みはずしてドウと地面に落ちる。その体勢のくずれたところを真向から兵藤がサッと斬りつけようとする)
お蔦 あ、危いっ!
[#ここから3字下げ]
(その声と一緒、開いたままになっているくぐり戸から真一文字に飛込んでくる仙太郎。黙って兵藤の斜め横から飛込んでダッと体当りをくれる。同時に大刀の柄《つか》頭で兵藤のひばらの辺に当て身を入れたらしい。兵藤タタタと右手の方へ倒れる。それと仙太が縁側に飛上って奥の吉村と睨み合って立ったのとが殆ど同時)
[#ここで字下げ終わり]
吉村 慮外! 誰だっ? 名乗れ!
仙太 井上さん、これが……?
井上 うむ、吉村だ、吉村軍之進!
吉村 名を名乗れっ!
仙太 真壁の百姓仙太郎。行くぜ! (いきなり大刀を引つこ抜いてジジジと吉村の方へ迫る。兵藤、吉村を斬らせじと縁側に躍り上って斜め後から仙太に迫る。仙太ザッと横に払って兵藤を一、二歩飛びさがらせておいて、返す刀を構えもせず、ツツと吉村の方へつけ入るなり、くさび形にバッバッバッと斬り込んで行く。吉村はすでに上段を正眼に構えなおしていて、三、四合かわすが、相手の殆ど乱暴に近い博徒流の攻撃に押されて手が出ず受身。その間、井上は甚伍左と闘っている。仙太刀を引いて構える。ジリッと進む。吉村少しづつ退る。仙太、オウ! と叫んで再び斬込み、ガチッと音がして、吉村の刀が仙太の刀にからみついたようになって、そのまま間。――えいっ! と叫んで兵藤が仙太へつけ入る。仙太がムッ! といって身引いて兵藤の大刀を払ったのと、吉村がタタッと退って右端の縁端に出て半ば開けてある障子を小立てに取ったのと一緒。間髪を入れず、仙太兵藤を横になぐ。兵藤左小手をかすられて一歩退る。仙太、ないでおいてそのまま、右障子の方へ迫る。吉村、エイと叫んで障子ごと真向から仙太の肩へ斬りつける。仙太、身を沈めてムッと口の中で叫んで、これも障子ごと斜め下から突きを入れる。僅かの差で仙太の突き、決ってウオッと吉村叫んで縁側から向側へ落ちる。唸声)
甚伍 あっ! 吉村先生、吉村先生!
井上 仙太、この甚伍を! 甚伍を斬れっ!
兵藤 甚伍! 逃げろよいか、拙者も……。(いいながらも仙太に対して構えたまま、ジリジリ退る)
甚伍 逃げます! 私も逃げるから、あんた先に!
井上 くそっ! 逃げるとは卑怯っ!
甚伍 逃げる前に、そっちの奴に聞きてえ! 手前が斬った吉村先生が、どんな人だか貴様知って斬ったのか? 水戸の天狗が、どんなことを、云ったのか知らねえ。が、吉村さんは公方様並びに一ツ橋様お声がかりの、大事な、大事な人だぞっ! どめくらめ! 時世も何も見えねえ、ワアワア連の言うままに、踊って、調子に乗って、人を斬る! 野郎、デク人形めっ! 諸藩連合、公武合体、ひいては御一新、吉村さんを無くしたために、どれ程遅れるか知らねのかっ! こ、こ、公武合体は筑波でも立てまえにしていることでは、ないかっ! 斬るなら斬るで、理否を明らかにした上、話の筋道を知った上に、なぜ斬らぬっ! デク人形めっ、馬鹿、馬鹿、馬鹿っ!
井上 何を、いま更! 仙太、斬れっ!
仙太 (甚伍左の言葉が耳に入るや、刀を下げて)なに、一つ橋様だと?
甚伍 そうだっ! 人のため、世のため、国のためを思ってすることならば、ためになるようには、なぜしねえんだっ! 一党一派を立てるための、差し当りの邪魔になる者は皆斬るのかっ! それのダシに使われて、それが、それが。デク人形め! (井上をそのままにして仙太の方へ迫って行く)
兵藤 甚伍、逃げろ!
井上 弁口無用っ! 仙太、聞くな、斬れ! そいつを斬れ! なぜ斬らぬ! 斬らんか! 利根の甚伍左獅子身中の虫だ。奸賊、斬らんか、仙太っ!
仙太 オウッ! (と叫んで本当に斬る気はあまりなく、ザッと甚伍左目がけて片手なぎに斬りつけた刀が甚伍左の腰をないだついでに柱にガッと音を立てたのと、兵藤がその隙に座敷の燭台を刀でパッパッとなぎ倒して四辺を真暗にしたのと殆ど同時。何もかも見えなくなった中を甚伍左と兵藤がタタタと、くぐり戸の方へ逃げ走る。足音)
井上 逃げるなっ!(それを迫って走りながら)仙太郎っ! 追うんだっ!
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(足音が入り乱れて、塀外へ。走って遠くへさる。舞台は真暗でシーンとなってしまう。
永い間。
やがてカチッカチッと小さな音がして、火の光が見える――お蔦が火打石でホクチに火を移しているのである。その、かすかな光の中に、座敷の真中に呆然と棒立ちになっている仙太郎の姿が見える。抜身は右手の柱に斬りつけて喰込んだままになっているので素手だ。――間)
[#ここで字下げ終わり]
お蔦 ……せ、仙さん! こ、こわかった! 何てまあ……。(立って座敷に上り、燭台を捜す)お前さん、追っかけて行かなくともいいのかえ? ……(いいながらやっと燭をともして右手へ行き、吉村が斬られて落ちた辺をすかして見る)あたしゃ、どうなることかと思った……。どっちせ、ここは早く立退かなきゃ……屋敷から人でもくるとまた面倒だよ。
仙太 (まだ棒のように立ったまま)ウム……。
お蔦 どうかしたのかえ、ボンヤリしてさ? ……こんなこと、もう、まっぴら。……どうしたのさ、仙さん?
仙太 (頭をブルブルと振って)その辺に水でもねえか? のどが乾いてならねえ。
お蔦 困ったねえ、水といったって……。(見廻して吉村の飲んでいた酒の入っている徳利を見て、拾う)妙だねえ、あの騒ぎに、ひっくり返りもしないでいる。……ああ、まだ少しあるようだ。あいよ。
仙太 (徳利の口からじかにゴクゴク音を立てて飲む)ム、ム。
お蔦 ……さ、行きましょうよ。
仙太 ……親方あ、うまく逃げおうせてくれたかな。……少し斬ったか。
お蔦 甚伍左とかの爺さん? だってお前、お前斬る積りじゃなかったのかえ?
仙太 ふん……。(徳利をポンと捨てる)
お蔦 第一あの爺さん、お前、前々から知っている人かえ?
仙太 知っている段じゃねえや。
お蔦 それをまた何だって斬るの殺すのと……?
仙太 それをいうな。(坐る)
お蔦 どうしたんだよう! いうまい、聞いて見ても私なんぞには解りゃしない。どっちせ、私の役目はこれで済んだ。……仙さん。
[#ここから3字下げ]
(間)
[#ここで字下げ終わり]
仙太 ……親方が何とかいったなあ、俺に……。
お蔦 デク人形がどうとかして、とか何とか、何のことだか。
仙太 フン……。(ゴロリと畳の上に仰向けに寝てしまって、マジマジ天井を見る)
お蔦 寝てしまっちゃ、しようがありはしないよ、仙さん! 早くフケないじゃ、こいだけのことをしといてさ。……いまに鷲尾の何とやらがやって来たらどうするんだえ? ねえお前さん。……(仙太返事をせぬ)……もう一月の余も、お前さん達のために、手引をしたり駆け歩いたり、私もよっぽど酔狂な、今夜なぞも、この外あっちへ行ったりこっちへ廻ったりして見張っている間、あたしゃきも[#「きも」に傍点]が縮んだわな。……何が何だか女なんぞにゃ理屈もヘチマも解りゃしないけど、お前のためだと思えばこそ、こんな真似もするが、これっきりでふるふるご免。……寝込んでしまっちゃ、いけないよ。……そんなに人を殺せばとて、世間がどうこうとなるじゃなしさ。第一、お前さんだとて、井上さんからヤイヤイいわれながら、そんなに気は進んじゃいなかったもの……。
仙太 いうか!
お蔦 ……いうなといえばいやあしない。したが話がさ、あたしが、何故にこんなことをいうのか、お前さん百も承知だものを。ちっとは察しておくれよ。
仙太 (矢張仰向いたままで)お前も度胸がよくなった。
お蔦 あいさ、もとはこんな女じゃなかった。……御朱印外も常陸の方の生まれは生まれだけど、小さい時からの深川育ち、もともとこんなにシダラがなくはない。意気も張りも無くなったのは何のためだ? ……去年の暮の、お前さんが百姓になるんだと云って江戸を打立ったときにだって、百姓暮しで結構だと言ってさ、少しばかりあった稼業のかかりの肩を抜いてまで、一緒に連れて行って貰うのを楽しみに待っていたのを振切って、お前は一人で行ってしまった。……ヒョックリ戻っておくれだと思えば、今度は斬ったの斬られたのの沙汰ばかり……。
(短い間)
仙太 ……それかも知れねえ。
お蔦 え? なにが?
仙太 デク人形がだ。……親方は何とか言ったっけ?
お蔦 しっかりしておくれよ。……いまだって私あ、いまだって私あ……。
仙太 ……お前にゃ済まねえ。
お蔦 すぐに、済まないとお言いだ。私あ、そんな、そんな、詫びてなんぞ貰いたくはない……。
[#ここから3字下げ]
(永い間)
(仙太郎、ムックリ起きる。少し顔が青い。そのまま立上って、少しキョトキョトするような気味でその辺を見ていた末、何と思ったのか畳を歩いて縁を庭へ降りスタスタくぐり戸の方へ)
[#ここで字下げ終わり]
お蔦 仙さん、どこへ行くんだよ?
仙太 ウ? (といってチョイと振返るが、お蔦の姿が目に入らないような表情で再びスタスタくぐり戸をくぐつて外へ)
お蔦 ま、待って、仙さん! 待っておくれよ、まあ、邪慳な(と、自分も行こうとして、柱に打込んだままになっている仙太郎の刀を認めて、それをこじ上げるようにして抜いて)これを置きっ放しにしてさ。……ま、待っておくれってば! 仙さん、どこへ行くんだよ、私も一緒に連れてってくれ、仙さん! 仙さん! (と、抜身を袖で蔽うように抱えて、すそをキッとはしょって小走りに仙太郎の後を追って消える。――舞台空虚のまま暫く間……)[#地付き](幕)
[#改段]
7 花道だけで
[#ここから2字下げ]
前場の幕が降りるとすぐ起る夏祭の囃子鳴物、それに混って遠くで多人数のワ
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