するのだ?
兵藤 それならたずねたい。いま、貴公のいったことは、水戸全藩とは敢えていわぬが、筑波の藤田氏田丸氏以下全隊士の意見か? つまり筑波党を代表されてのお考えか? それとも貴公一個の?
井上 代表だといつ申した? ……しかしながらわれわれは誰やらと違って邦家百年の計のためにともに身命をなげ打って結束した者だ。一人々々てんでの考えでは動いておらぬことは申しておこう。
兵藤 フーム、そうか。……よし、それではそれに答える前にもう一つ聞きたいことがあるが、……貴公、本月五日京都池田屋における変の事はご承知か?
井上 知っている。それが何としたのだ?
兵藤 それでは、よろしい! いってしまおう。長州表より次第に進発した軍が、いよいよ事容れられずんば、おそくとも本月末、京都を包囲して天下の軍を敵に廻す計画のあることを知っていられるか?
井上 知らぬ。……それが?
兵藤 それが如何なる考えで行なわれることか察しられぬか?
井上 フン。拙藩との口約を果すためと言いたいのだろう。が、それよ。それこそ、貴公先刻いわれた「おれの藩が」の雄なるものでなければ幸いというもの。そんなことよりも、それなれば貴公、薩州あたりの者と|度々《どど》往復されるのは、何のためだ? ハハ、これも大義のためか。大義が泣くぞ。第一このように、ここら辺で薩州屋敷の者の隠し座敷などにウロウロ出入してシッポを出さぬようにされたがよかろう。
兵藤 何をいうかっ! 今日のことは甚伍左の口添えもあり、吉村氏もその気があるところへ第一貴公から申入れがあったから、不肖兵藤大きくは邦家のために取り計ったことだ! 鷲尾もそれを望んでいる。誰も彼もが水戸者のように尻の穴が小さいと思うと当てがはずれるぞ!
井上 よし! 問答無益だ! 立てっ!
兵藤 よろしい。馬鹿め!
甚伍 ま、お二方とも、鎮まりなすって。ここで変なことが起れば、せっかくの鷲尾さんの顔をつぶし、引いてはようやくまとまりかけた薩摩の具合を損ねましよう。戸外《そと》はすぐ通りだし、どんなことになっても損をするなあ、お国だ。まあまあ。
井上 甚伍、えらいことをいうなあ? まとまりかけた薩州だと? フン。立廻るのもよい加減にしておけよ……。何を馬鹿な、拙者ここへ出向いてくるからは初手から覚悟はしているのだ。
吉村 おい、井上氏。
井上 何です?
吉村 まあ、そうシャチコ張るな。酒を飲みながら話してもわかる。ハハハ、なあ兵藤さん。ハハ、固くなっちゃいかんて。(遠くで犬が吠えている)そうだろうじゃないか。全国各藩がそれぞれの利害に依って動いているのがいかんといったような意見らしいが、私などの考えでは、それが当り前。「どうせ人のする事だ」そして人間[#「人間」に傍点]というもの、どこまで行っても腹の中まで綺麗にはなれぬものだ、それが人間さ。要はその利害打算に依る動きが大局にどんな具合にひびいて行くかという点。どうせ、天下をかけてのバクチじゃ、初めからバクチと承知していれば、丁の目が出ても半の目が出ても、取っても取られても、何もツノメ立つことはない道理。なあ甚伍、どうだ?
甚伍 ……へい。……
吉村 早い話が、只今の筑波と長州との口約云々のことにしてからが、私などの考えでは初めから長州にはその約を果すだけの誠意があってのことかどうか。薩州土州あたりを牽制するため、併せて何かとジタバタする水戸有志を自然自滅に導くための方策とも、まあ、取れば取れぬことはない。ハハハ、長州には智恵者が多いて。ハハ。
兵藤 何といわれるか?
吉村 いや、まあ話がさ。そうだといっているのではないのです。ハハハ、そうそう一本調子に綺麗ごとにばかり眺めると往々にして事の真相は見えぬと申すまで。チョイとした立場の違いで事は色々に見えてくるものよ。井上君、君にはもう隠す必要はあるまいと思うが、台閣よりの命令に依り常野の兵追討の任を田沼様が受けられ、本日諸軍|先手《さきて》はすでに繰出したことは知っていられようなあ?
井上 知っています。……先刻覚悟のことです。
吉村 これなども、どんなふうに見える? どのように見られるか? 慶篤公が幕府に追討を願われたのは主として小石川におるお為《ため》派の朝比奈様佐藤様等の策謀ということになるか? まずそれだけのカイナデな観測がせいぜいだろう? するとこの私なども罪の一半を負う者として目《もく》されているかな。ハハハ、それもよし。これもよし。
井上 ……ち、ちがいますか?
吉村 ちがうとは言っていない。世間一般の目というものは、その辺までしか届きはせぬというまでよ。第一、筑波の諸氏も事の成否を問わず志のために身命を賭してとの話だったが、それは表看板、まさか十が十成らぬと思って取りかかる馬鹿もいまい。すると、どのようなソロバンをはじいたれば幾分でも事が成ると思われたのか? どうです? 聞きたいのは、それだ。
井上 ……。
兵藤 フン。……(不愉快そうに立上って、縁側へ出て、刀を杖にして、黙って夜空を見上げる。吉村がハハハと笑う。兵藤と吉村を等分に睨んでいる井上。――間)……甚伍左、尊公にはたしか娘ごがいた筈、どうしているか?
甚伍 (兵藤がとてつもないことをいい出したので、井上と吉村に気がねをして)へい、まあ無事に……と申したいが、どうしていますか、ハハハ(と無意味に笑いながら目では吉村と井上の方を警戒している)
兵藤 ……ああ暗い。暗い空だ。……(チョイと間を置いて、立ったまま振り返りもしないで不意に鋭い声で)井上、先程からの貴公のいうこと、筑波の加多源次郎なども同じ意見か?
井上 (何か別のことに気をとられて殆ど上の空で)さよう! それが何としたのだ!
兵藤 乳臭児、救えぬ!
井上 なにっ!
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(間――変なふうに緊迫した空気。井上がジリッと片膝を立てる)
(左手のくぐり戸が開いて、外廻りを警固していた士の甲が入ってくる。後に同じ乙が続いて。一座の様子が変なので甲乙ともにギョッとしたようなふうだが、すぐ平常に戻る)
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甚伍 (少しホッとして)ご両士とも、ご苦労様で。どうでござんす?
士甲 何ともござらぬ。三、四の通行者があっただけです。(乙に)長田さん先程の若い女は?
士乙 大事なかろう。坂の方から一度と原の方に一度見かけたが、此方がその気で見るからこの辺ばかりウロウロしているようにも思えるが、何しろ薩州屋敷が近い。誰かにあいに来たものか、茶屋小屋の掛け取りか、ことに依ればつけ馬かな。ハハ、そういえば、夜目でよくわからんが、まず仲居といった風俗。(兵藤に)先生、もうお済みですか?
兵藤 もう暫く外にいて貰いたい。
甚伍 ええ、私がお引合せをしておいてこんなことを申すのもいかがなものですが、これが今夜かぎりの話ではねえ、明日という日もあります。また、近日皆さんお話合い下さるとして、今夜のところは、これぐらいで……。
兵藤 うむ……。(ジロリと井上を見る。井上はどうしたのか黙って何かに気を取られている様子)
吉村 さよう。……少し気長に話し合えばよいのだ。(士甲に)しかし、とにかく、もう少し外を。
士甲 は。しかし万々心配はありませんが?
吉村 わしはよいが、兵藤氏が居られる。無駄となればこの上なし。頼む。
士乙 承知いたしました。(甲に)行こう。(乙は皆に一礼して再びくぐり戸の方へ行き消える。――間。一座が緊張したまま白け渡る。士甲は不安そうに座敷の四人を見ている……)
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(出て行った乙が二重になった塀の外のくぐり戸を開けて出たと思われる頃、その方で突然抜打ちに斬りつけたらしいガブッという音と同時に誰が斬られたのかワッと叫ぶ声。あとチョイとシーンとしてから、内側のくぐり戸に外からドシンと物が当ってパッと開き、左肩の辺を斬りつけられているらしい士乙が四、五歩ヒョロヒョロ飛込んで来るなり、真青な顔を引きつらせるようにして皆に向って何か警告をいおうとするが、口が開くだけで声は言葉にならぬ。オッ! と叫ぶ士甲。乙は抜いて持っている刀で塀外の方を指し示すような身振りをして、身体を支え切れず前へしゃがみ込むような具合に植込みの方へ倒れてしまう。瞬間五人は開いたままのくぐり戸から誰か躍り出して来るかと、息を止めて見詰めるが、外はシーンと静まり返っている。甲が目が醒めたようになり刀を抜いて小走りにくぐり戸の方へ行き、チョッと外を覗いて気をくばって出て行く)
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兵藤 長田、注意して! 相手は塀の右手!
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(甚伍左が縁側を飛下りて倒れた乙を介抱に行く)
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甚伍 しっかりなすって! ウム、こりゃ。……
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(と同時に再び外で前同様の響きと叫び。今度は一、二合刀を合せたらしいが、斬られたのは士甲らしい)
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甲の声 ツ、ツ、皆さん、早く逃れてください。逃げて! (といいざま第一の塀と第二の塀の間で倒れたらしい音)
甚伍 よしっ! (叫んでくぐり戸を外へ出て行く)
兵藤 こら甚伍左! 待て、危ない! 待てっ! (瞬間いまにも塀外で甚伍左か刺客かの悲鳴があがることを予期した緊張。しかし塀外は静かで、何者かを追うてでも行くらしい甚伍左の足音だけが聞える。三人とも、いつの間にか刀をシッカリと握っている)
吉村 (兵藤を睨んで)これは?
兵藤 いや左様なことはない! 長州の人間ではない! これは……。(井上をグッと睨んでいる)
井上 フン。……兵藤氏、貴公、乳臭児といわれたな?
兵藤 いったが、如何した?
井上 こうだっ! (叫ぶのと一緒、片膝立ての居合いの体勢でパッと大刀を抜き、抜き打ちに兵藤に斬りつけると見せて、腰をひねったと思うと、一間ばかり離れて中腰でいる吉村へ斬り込む。吉村不意を打たれて、トッサに刀のツカでガッと受けは受けても、どこかを少しかすられたらしい)
吉村 (パッパッパッと六、七歩右奥へ畳を飛びさがって抜刀)卑怯っ!
井上 卑怯は貴様だ! 侫漢め、覚悟っ!
兵藤 (井上は自分に向って斬ってかかったもので、それを吉村が防いでくれたのだと思い)頼んだ! 危ない、甚伍左! (と縁側を飛降りてくぐり戸から外へ走り出て行く)
吉村 (ジリッと平正眼に構えながら)それでは、初めからその積りで……? 筑波の命を受けてか……?
井上 言うなっ! 勿論だ! お為《ため》派奸党のふところ刀などと、ことごとにわが筑波正義党へ向って小策を弄し、あまつさえ、薩長にまで手を伸す犬め、許す訳には行かんのだ。おおっ! (と、おめいて踏込んで行こうとする)
吉村 ようし、それなれば……(と、刀をスーッと上げて八相上段に構えなおす。が、其の天井が少し低いのを見て取って、片八相、斜上段になる。人物技量ともに井上とは少し段違いらしく、井上は押され気味である。双方無言、呼吸をはかっている。――間。タタッとくぐり戸から走り戻って来る甚伍左)
甚伍 誰もいねえ、変な奴を見たように思ったが……(言いながらヒョイと座敷の方を見てびっくりする)あ、何をなさるんだ、お二人! ま、待ってくだせえ! 引いたっ! (縁側へ飛上る)引いたっ! 話せばわかるんだ。短気なことを!
吉村 此奴、初めからその気でいたのだ。危い、退って見ておれっ!
井上 ウッ!(ツツと進む)甚伍、貴様の命も貰ったぞ!
甚伍 チッ、チッ、チッ! 人の気も知らねえ! しかし私を斬るというなら斬られようから吉村先生はいけねえっ! 水戸の藩論をまとめるクサビになっている人を、殺そうてえのかっ! 後で、後で、悔んでも追っつけめいぜ、引いたっ! いけねえ、こ、こ、こ、兵藤さん、兵藤さん! (いっている間も吉村と井上の気息は烈しくなっている。吉村一、二歩出る、井上それだけ退る。吉村、刀を頭上に構えたまま、少しユラユラ揺りつつ、右へ少し廻り込む。井上の方は壁に背をつけるくらいにして、少し呼吸が乱れ、眼が血走って来る。甚伍左は隙があれば二人の刀の間に割って入ろう
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