、ムッ! (小束を抜いて開いたままの戸口へ向ってパッと右手をひらめかす)
お妙 (同時に)あっ、危いっ! (この声のために少し手元が狂ったのか、小束がカチンといって、引戸の上のサンに立つ。それと見て今井サッと立って行きかける、お妙早口に)いいえ、今井様、あれは仙太郎さんと私どもや子供達のことを心配するだけで、決して他意のない者でござります。父などの行方はおろか、まだ一度もあったことさえない……。
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(いい終らないうちに、戸棚の中にいながらこの場の様子を聞き澄していた長五郎、筑波に仙太郎がいると聞き、そこへ段六が駆け出して行ったのを知って、もうたまらなくなり、ガラリと戸を内から引開けてパッと飛出して、土間に飛下り、戸口へ。気配を知って振向いた今井、ギョッとする)
[#ここで字下げ終わり]
今井 (戸口に立ちはだかり)おお、誰だ! 貴様?
長五 おっ、通してくれ! 畜生、あの土百姓め! さむれえ、退けっ!
今井 ならぬ!
長五 野郎、唐変木! (道中差しを抜いている)くたばれ! お嬢さん、餓鬼あ頼んだぜ!
お妙 あ! あれ、危い!
今井 行かせることはならぬ! たってとあらば……(いう間も無く長五郎が襲いかかって来るので、これも刀を抜いて一、二合あしらう。長五郎、相手が抜いたのを見て、一つ二つ斬込んだ後、パッと四、五歩飛退って気合いを計っている。今井、眼は長五郎の方を睨んで身構えしながら)……お妙さん、この男は?
お妙 長五郎さんとやら、仙太郎さんを斬りにきた人……。あれ、危い! ああ……。
今井 出してやること、ならぬ! 刀を引け! 引かねば……(グッと上段に構えなおす)
長五 (ツツと後へ退りながら)斬って見ろ! 二本棒め! 畜生! ち、ちッ! (腰を引き、突きの構え。そのままで間。今井がオウ! と気合いをかけて一二歩出る。長五郎が右へジリッと廻り込み、突き出した刀がスッスッスッと揺れはじめる。今井の斬込みと、長五郎の必死の突きの一瞬前)[#地付き](道具廻る)
[#改段]

5 筑波山麓道

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 カット明るい晩春の日の真昼。
 沼田宿より筑波山上に通ずる一本道。舞台正面に道をふさいで、急拵えに生木の棒杭で組上げられた物々しい柵と中央の門。左袖に花をつけたおそ桜二、三本。柵の前、門の両側にズラリと突立てられて並んだ抜身の長槍がキラキラ輝いている。右側に急造の石の竈にかけられて湯気を立てている大釜。――ここは、天狗党本隊が筑波を出て宇都宮、日光へ押寄せて行ってから数日を経た留守隊の守備線で山上の本拠に通ずる道の第一の番所にあたっている。山麓沼田宿の方、即ち揚幕を出た道は花道から本舞台にかかり、柵の門より奥へ通じ、爪先登りに右へ曲り込み、右手奥に見える崖の上へ消える。右袖にあたって二、三十人の留守軍遊隊と一番隊の一部がたむろしている心持。
 開幕前に男のドラ声で歌――ハイヨ節。初め一人の声で、後、他の一人がこれに和して。
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声 シタコタ、ナイショナイショと[#「ナイショナイショと」は底本では「ナィショナイショと」]。おまえ何をする荷物をまとめ、ハイヨ、逃げて入町のう皆さん、気がもめる、シタコタ、ナイショナイショ。ハハハハハ、シタコタ、ナイショナイショと。
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(歌声の中に幕開く。柵前、左手、桜の下あたりに腰を下して槊杖で小銃の銃身を掃除している遊隊々士一。稽古着に剣道用の胴、草ずりをつけ、大刀を差し、うしろ鉢巻、もも引きにすね当て草鞋ばきで、万事小具足仕立てだが、もともと士ではないらしい。鉢巻からのぞいている髪が町人まげである。桜の幹に四、五丁の小銃立てかけあり。他に柵前右手の大釜の傍で火加減を見たり、釜の中を棒でかきまわしたりしている遊隊々士二、これも同じような小具足いでたち。これまた、思いきりよく向う鉢巻。
 一方は銃の手入れをしながら、一方は釜をかきまわしながら調子をとって歌う)
[#ここで字下げ終わり]
二人 ……おまえ何処へ行く、日光を差して、ハイヨ、固め人数の、のう水戸さん、眼をさます、シタコタ、ナイショナイショ。
遊一 テケレッツのアッパッパと。いけねえ、油が切れたわえ。
遊二 油が切れたら、油をつぎやれ、女が抱きたきゃ女を抱きやれと。ハハハ、どっこいしょっ!
二人 (歌)おまえ何をする鉄砲を並べ、ハイヨ、杉の木の間で、のう火のばん、一と寝入りシタコタ、ナイショナイショ。
遊一 日光へ行ったご本隊はいまごろは何をしているだろうな。斉昭公お木像の揚輿を真中にひっぱさんでさ、銃《つつ》、槍、長刀、馬轎、長棹ギッシリ取詰めてエイエイ声で押出して行った時あ、俺も行きたくってウズウズしたあ。何でも街道《かいどう》一円切取り勝手だちいうし、途中取押えに出張っていた諸藩の兵にロクスッポ手に立つ奴あいなかったっていうじゃねえか。こてえられねえなあ。
遊二 手に立つ奴がいないと聞いて、行きたいのだろう? ハハハハ。
遊一 阿呆いうなて! 俺あ軍《いくさ》がしたいのだ。どうしているのだろうなあ、本隊では?
遊二 二、三日前に来た使いの人の話では、何《あん》でも、歌の文句通りだそうだ。(歌)……鉄砲を並べハイヨ、杉の木の間で、のう火の番、一と寝入り、シタコタ、ナイショナイショ。日光にいつまでいても仕方がないから下野を廻って此方に戻ってくるらしいとも言っていたぞ。
遊一 なんにしても、軍《いくさ》が出来ねえのはつまらねえ話だ。ここじゃ攻めてくる奴もないし、ノンビリし過ぎらあ。(掃除をした銃を振って桜の垂枝を叩き落す)こんなものまで咲いているしよ、まるで物見遊山だあ。クソッ! (と銃の台尻を肩につけて観客席をねらって見て)昨日からの結城の合戦にも居残らされるし、腕が唸るぞ。鉄砲にかけちゃ、紫尾《しいお》の兼八敵に物は言わせねえんだがのう!
遊二 それはどうだか知らないが、下の鉄砲だけは、たしかに敵に物はいわせねえとな。ハハハハ、門前町の下の段あたりで、専らの噂だ。
遊一 何をいやがる、打つぞ!
遊二 おっと、危ねっ!
遊一 ハハハハ、丸は入ってねえ、オコオコするなて。
遊二 打たれてたまるか。的が違いやしょう、俺あ大八楼の女《あま》じゃねえ。ハハハハ。時に先刻まで砲音《つつおと》が聞こえていたが、てっきり味方が引いて来てその辺まで追込まれたなと思っていたが、また聞こえなくなったのを見りゃ、盛返して押し寄せたんだ。当分はまだ俺達にゃ軍運《いくさうん》は向いて来まいぜ。
遊一 全体がわからねえ話よ。ガンガン押出して行ってさ。結城だろうと下館だろうと叩き破り、江戸へ出て公方様なんぞ追払ってよ、その勢いで京都へのして天長様へ外敵打払いをお願えすればよい話だ。グズグズしているがものはねえ。
遊二 隣の内から猫の子ば貰うんじゃあるまいし、置いとけ。紫尾《しいお》の山で穴熊や猪を追うていた奴に何がわかるものか。
遊一 んでは、文武館に一、二年水汲みか何かでいただけで元が潮来の百姓の貴様にだって同じだろうが! 加多先生がいつかいうたぞ! 天下のことをわかるのは、お前達だ! お前達がホントウにわからないで、他に誰がわかるか! 自重してよく考え、考えが決った上は断行しろとな。それでよ、考えが決ったから断行しているんじゃねえか! 天長さまが上にござってよ、民百姓一統が仕合せに家業に精出して暮せるようになればいいのだ。俺達にゃそれで沢山だ。そのほかの理屈は、みんな屁理屈だわ! 天狗党は正義の軍だ!
遊二 猪ばかり打っていたので、猪なみの脳味噌をしていやがる。まあ聞け。江戸方が如何にダラシがなくなったといい条、まだ千二千の兵位でビクリとでもすると思っているのは大きな了見違い。井戸の中の蛙が大海を何とやらだ。だから、これをやるには東西呼応して立たなきゃなんねえというので、俺達がこうしてやり出せば長州と因州が起つことになっているそうだ。関東で俺達が江戸のお尻を突っつけば、それ後顧の憂いという奴だろう、西の方には隙が出来る、そこを四方からワッと来て、盛りつぶす手立だそうな。何でも長州から此方に軍資金が渡るという約束になっているげな。何事にも見た目があれば裏があらあ。ウン……三月に軍《いくさ》を起したと同時に、田丸先生、藤田様、藩正義党の方達の名で御老中の板倉様に上書なさって、此方の心持を申上げ、更に因州の池田侯、備前の池田侯にもお願いして、筑波党を攘夷の一番槍にさせてくださるように天長さまから御勅命が下るようにと申されたのだ。宍戸の松平の殿様も幕府に同じ事を頼んで下すったげな。今井さんから聞かされたことだから間違いないて。ところが、どれもこれも、通らねえ。何でも上の人の話を聞くと、通る筈がねえそうだ。うん。みすみす通らぬとわかっていることを何故するか、というのが、攘夷々々で江戸をギューギューいわしておいて、江戸が手を焼いている暇に世の中の立て直しをやらかしちまおうというのだそうな。その辺の具合は俺達にゃよくわからねえが、とにかくお前のいうように、俺達下々の者が安心して家業をはげめるご時世が来さえすればよいには違いないけれど、だからというて、そう一がいには行かぬものよ。
遊一 馬鹿をぬかせ。どうせが家業投げ出してここに駆けつけたからには命を投げ出しているんじゃぞ、俺だけじゃねえ、山にいる何百何千というご浪士達、百姓町人猟師がみんなそうだ。
遊二 あたぼうよ、わかりきっていら。ただ物事には裏があり、そのまた、裏まであるということよ。
遊一 フン、貴様命が惜しくなったのだろう。
遊二 ぶんなぐるぞっ! おっと、汁がこぼれる!
遊一 それでは、田丸様、藤田様、水木様、本田様なんどの大将達が信用ならねえとでもいうのか?
遊二 まだ貴様、からんでくるのか! 信用しねえぐれえなら、俺あすぐ山を下っていらあ。
遊一 それなら、默って上の人達のいうことを聞いていさえすればいいのだ。俺が猪の脳味噌なら、お前のもドン百姓の脳味噌だ。
遊二 アハハハハ、それよ。だからよ、上の人の命令通りに命を投げ出しているんだから、早く戦争をやらして貰いてえというているのだ。味噌汁なんどばかり掻き廻してはいたくねえというのよ。
遊一 俺だとて、二三日前からこの銃《つつ》の奴等を、もうこれで五度位ずつも掃除をしたて。たいがいいやにもなろうわえ!
遊二 そこへ行くと同じ遊隊でも抜刀隊はうらやましい。斬られた者も何十人かいるが、刀あ抜いて斬って廻れらあ。副隊長つき添い、真壁の仙太郎さ[#「さ」に傍点]なんどは、軍《いくさ》が始まってから、あっちこっちでもう十四人斬ったてよ。腕も立つし、度胸も太えし、俺達とは競べものにはならねえが、それにしても運のええお人よ。
遊一 そうだってのう。俺達も早く飛出して、腕かぎり根かぎり斬ったり射ったりしてえもんだ。
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(隊士一が小走りに崖の方の路を降って来て門から出てくる)
[#ここで字下げ終わり]
遊二 敵がいさえすれば門前町は大八楼で射ちてえところだろうて? ご愁傷さまみてえだ。
遊一 何を、野郎、またいうか!
隊一 おいおい、またやっとるな。ハハハ。門前町の女どもは少し戻ってきたらしいぞ。あんまり戦《いくさ》が暇でノンビリしているんで、安心しやがったらしい。何しろ寝起きのまま逃げ出した奴が裏山伝いに長襦袢のままのご帰還だ。女体からご本尊の神さんがご出御だと、見張の者がビックラしたとよ、ハハハハ。
遊一 ああ、三木さん。お使いですかね?
隊一 門前町に敵を打ちに行くなら今のうちだぞ。間もなく忙しくなるかも知れんからな。
遊二 そいじゃ、いよいよ、大きな軍《いくさ》が……。
隊一 うん、始まるかも知れん。相手は常野十二藩の連合軍だぞ。幕府が命令をくだしおった。ワッハハ、ふんどしを、シッカリしめておけよ。染川氏は屯所の方だね? (遊二のうなずくのを見て右手へ急いで去る)
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(間。……遊一と遊二が互いにマジマジ顔を見合っている)
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