よし! じゃ、とにかく早く植木に帰って待っていてくだせえ。そうとわかればご遠慮はいらねえ。真壁の仙太郎、ご覧の通りヤクザだが、甚伍左様のためにゃ忘れ切れねえご恩になったことがあります。それもあり、これもある! 自分一人が百姓になっていい気になるなんどのケチな了見はフッツリとやめた。じゃ、お嬢さん大急ぎで村へ帰って、そして落ついて三日と経たず俺が行くのを待っていてくだせえ。さ、早く!
お妙 それでは、仙太郎様、これで……。
仙太 じゃまた、へい(と近くの男の子の頭をなでて)おいみんな、大きくなって、立派な百姓になれよ。あばよ。(お妙等一同、ゾロゾロ花道へ。途中で何度も振返り、小腰をかがめて礼しながら揚幕の中へ消える)
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(花道の袖にジッと立って見送り、考え込む仙太)
(先程、長五郎と仙太に川へ叩き込まれた子分二と三が、ズブ濡れ泥だらけになって顫えながら茶店の裏から上がって来て、その辺をグルグル駆け廻ってわめく、子分二が眼に泥が入って向うが見えないので、切落された柱にぶつかる。そこへ三もまたぶつかる)
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子分二 やい! やい! ウーン、俺を誰だと思う……(しり餅を突いてアブアブやっている)
仙太 (鞘を納めるのをいままで忘れてさげていた刀にヒョイと気づき、ズット刀身を見ていた後、ビューと一振り振って、パチリ鞘に納め、揚幕の方を見込み)さ、筑波の賭場だ。ム。(振返って遠くを望み)山へかかって丁度六つか。おーい、長五郎! 待ってくれーい! 長五! おーい!(と叫びながら、長五の去った左手の道へ小走りに去る)
[#地付き](道具廻る)
[#改段]

3 十三塚峠近くの台地

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 夜更けの山中の静けさ。
 木立や岩などで取囲まれた台地の奥は深い谷と暗い空に開いている。花道に筑波女体から十三塚峠に達する尾根伝いの山道。正面やや左手に[#「正面やや左手に」は底本では「正面や左手に」]打捨てられた炭焼竈の跡。
 揚幕の奥遠くはるかに筑波神社の刻の太鼓の音ドー・ドー・ドーと遠波のように響く。夜鳥の声。梢を渡る風の音。猿の鳴声。
 間――。
 右手隅に立っている木立の幹や梢に斜め下の方からボーッと丸い明りが差し、次第に強くなる。(峠の方から登って来る人の手に持たれた龕燈《がんどう》の光)ガサガサと人の足音。
[#ここで字下げ終わり]

声 ……(中音に吟じながら)君不[#レ]見漢家山東二百州、千村万落生[#二]刑杞[#一]、縦[#(ヒ)]有[#三]健婦[#(ノ)]把[#(ル)][#二]耕犂[#一]、禾《クワ》生[#二]滝畝《ロウボウ》[#一]無[#二]東西[#一]……。まっと、のしなはい、今井君。提灯持ちが後から来たんじゃ、問題にならん。地図どころか第一、羅針盤の針が見えんですぞ! (といいながら出て来て、下からの光の輪の中に立ち、手に持った地図を覗いている士は、身装こそ少し変っているが、第一場に出て来た加多源次郎である)
声 ひどいですなあこの道、加多さん! これで五斤砲が通りますかなあ!
加多 砲といえばいつまでも五斤がとこの物だと思うていられるのか? 青銅元込めで二十斤五台ぐらいは引つぱり上げる予定ですぞ。出来ているのです。ハハハ、野戦の法に、道は尺を以て足れりとしてある。通りかねるのはあんたの足だろう。弱過ぎるのだ。
今井 (フーフーいいながら龕燈を提げて出て来る。旅装の士)いやあどうも。これでも馴れれば楽になるでしょうが。
加多 (光の中で地図を覗いている)ええと、これだとすれば、この見当として北西北。……ウム。(仰いで)星は? 見えぬか。いや見える。天頂より未申《ひつじさる》、稍々|酉《とり》に寄るフン……と? よし、これだな。今井君、そこの岩に登って下さい。たしかこの辺から真壁の町の燈が見える筈だ。
今井 (岩に登って)こうですか? この方角ですか? おお、見える! 殆ど真下です。
加多 それではその真壁の燈《あかり》を正面に見ながら両肩を向けて左腕を正しく横に上げて下さい。そう。それでいいかな? 正しい? よし、(と今井の左腕の方向と地図と盤とを見較べている)……。
今井 (そのままの姿勢で)玉造文武館の諸兄は昨日の午《うま》の刻頃進発したのですから、既にいまごろは岩瀬から真壁近在に来ている訳ですなあ? (加多が返事をしないので)……行われずんば断《だん》あるのみと言っていたが、別に火も見えないし。……此処から見下せば平和に眠った町だ。
加多 (地図の研究を終り、今井の言葉尻を小耳に入れて)なに、平和?
今井 いいえ、此処から見れば、そう見えるというのです。もうよろしいか?
加多 ご苦労、もうよい。(今井岩を降りる)そうだ。実は動いている。それを動いていると見るのも
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