戸口から出て行く)
お蔦 さ、お妙さん、奥へ行って休みましょうね。
お妙 あい。いいえ、それ程のことではありません。クラクラとして田の中に手を突いただけなのです。
お蔦 それでも、寝ていないと段さんが怒りますよ。
お妙 ありがとう。……ホンに、段さんは、よくしてくれます。
お蔦 あんな人もいるし。……仙さんのような人もいる。……あなたのお父っあんのような気の強い人もいる。……あれ、髪がそれじゃ、休む前にチョイとまとめてあげましょう。(お妙の髪に手をかける)どれ、いい髪だねえ。
お妙 すみません。……お蔦さん、あのう、天狗の話何か聞きませんかえ? 何でもこれから皆で横浜の方へ攻め込んで異人打払いの一番がけをやるとか……?
お蔦 さあねえ。……仙さんは何もそんな話はしないし。そりゃ噂だけでしょう、だって四、五日前から天狗は水戸の方へ走って行くばかりだというじゃありませんか。
お妙 宍戸の松平の殿様が水戸様の御|目代《もくだい》で湊の方へお乗出しだといいます。それに加勢に行くのかしら。……あのう、仙太郎さんは、どこへ?
お蔦 上郷村とかの寄場の人達があの人を慕ってすぐそこへ来ているそうで、それに会いに。何でも是非天狗に入れてくれというんでしょう。あ、そう首を曲げると髪がつれます。……いいえ、心配しなくとも、いいんですよ、仙さんはそれをことわりに、たしか、行ったのです。
お妙 仙太郎さんは、なぜ天狗と一緒に行かないのでしょう?
お蔦 なぜ? ……そりゃあ。……ああお妙さんの肌はいくら陽に焼けても白い。……天狗がどうの諸生がどうのってこと、うっちゃっとけばいい。あんな、士同士の内輪喧嘩、私達しもじもに何のかかわりがある訳じゃなし。
お妙 ……いいえ、それは違います。
お蔦 違う? ……ええ、それはどうでもいい。あたしのいいたいのは、嬢さん、あなたまさか仙太郎さんを死なせにやりたいと思ってはいないでしょうね? ……こんな、身上を持ちくずした芸者づれの私風情が、あなたにこんなこといえば変だけど。失礼だけど、あなたのことが実の妹のような気がするものだからね。……男に惚れたということは、男に惚れたということです。惚れたなんぞとゲスなこというようですが、女はこうと思った男を取逃がせば、その先はどうなるかわかりません。自分が初手にこうと思った正直な心持を大切にしなくてはなりません[#「自分が初手にこうと思った正直な心持を大切にしなくてはなりません」に傍点]。女には生涯は一度しかありませんよ。ああの、こうのとそれをひねくったり、こじらせたりすれば、後で罰があたります。仙さんにしたって……(言いよどんで黙ってしまう)さあ出来ました。
お妙 ……(泣けてくる)……すみません。
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(間)
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お蔦 ……(つとめて笑おうとしながら)さあ、奥へ行きましょう。蒲団を敷いて来ますからね。……私は、明日あたり江戸へ立とうと思っています。
お妙 ……まあ、どうして?
お蔦 どうして? フフッ、(お妙の顎を掴んで頬ずりのようなことをしてからツイと奥の方へ歩き出しながら)ホ、ホ、御朱引き外も外すぎる、こんな田舎で芸者もできないじゃありませんか。
お妙 あのう、お蔦さん、よっぽど前からおたずねしようと思っていました、……芸者になればお金がたんと取れますかえ?
お蔦 お金? どうしてまたそんな?
お妙 ……私になれたら、なろうと存じます。いえ、……もう内にはお金がまるでないのです。拵えるあてもありません。あれだけの子供達がもうじき食べ物も着る物もなくなります。そのうちにお江戸にたずねて行くかも知れませんから、どうぞお世話して下さいな。
お蔦 まあ、それで! いけません。第一、何か芸が出来ますかえ?
お妙 あい、お琴を少し習いました。それから仕舞いを少しばかり。
お蔦 琴と仕舞ですって! ホホホ、駄目々々。全体、芸者になろうなどと、悪い了見。金がなければ仙さんに相談なさい。仙さんにいつまでもここにいてお貰いなさい。仙さんは……。(フィと奥の間に去る)
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(取残されたお妙は炉端に坐ったまま、ジッと前を見詰めたまま考えている。――永い間――遥か遠くにかすかな銃声と、さらに遠雷のように響く砲声一、二。……)
(戸口からフラリと入ってくる仙太郎)
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仙太 ……おお戻っていたのか、お妙さん。……どうしなすった? 顔色が悪い。
お妙 仙太郎さん、その寄場の人達というのはどうなさったのすえ?
仙太 あんたも知っているのか。……ことわった。しかし、……帰ろうとは、どうしてもしねえ。
お妙 ……では、あなたは筑波勢の方へ行くのは、すっかりやめてしまったのかえ?
仙太 ……。(あがりもしないで土間に突立ってい
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