右手奥に、板の間から納戸部屋、奥の間などに通ずる口が見える。全体ガランと広いばかりで、家財道具はまるでない。
 春の日暮れ。子供の泣声。

 お妙が、病気の孤児でお咲と云う小さい女の子のむずかって泣くのを背に負うてあやしながら板の間を彼方に行き此方に行きして歩いている。もう余程以前からこれを続けているらしく、お妙自身まで疲れ果て泣き出しそうな顔である。誰がいつ結ってくれたのか田舎島田の根がくずれてガックリしたのを藁シベで少し横っちょにしばってある。からだつきや顔立ちが、やつれたとはいうもののまだ初々しくフックラとしているだけに、あたりの様子や身なりなどから認められる労苦――多数の孤児を抱えての日々の労苦の跡が尚更痛々しく見える。(お咲以外の他の子供達は全部奥の納戸で寝ついてしまっている)お咲の泣声が高くなる度に、自身に子供を持ったこともないお妙にはどうしてよいかわからず術ないままに歌っている子守歌も涙声になりかかる。
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お妙 ……ああよ、ああよ、咲ちゃはええ子だな、ええ子だな。ああよ……。兄ちゃんや姉ちゃんは、もうみんな寝てしまったのよ。おまんまを食べて、それから、おとなに寝てしまうた。寝ないのは咲ちゃだけよ。咲ちゃはキイキが悪いねえ。おまんまは食べられない。食べる? 食べるの、咲ちゃ? (と肩越しに振向くお妙の顔を、ヤーンとまた激しく泣き出したお咲が小さい平手で撲る)……おおよしよし、食べたくない、咲ちゃは食べたくないの。そうじゃねんねしようね、咲ちゃは善い子だねえ……あああ、ねえ……(と意味のない声を出して子を揺さぶり歩きながら、うるんできた眼尻を指先でこすっている。突然、奥遠くで三、四人の男の声が走りながら何かけたたましく叫び交す。それが消えたと思うと、遥かに遠くの方でドーンと、微かな地響を伴った大砲の音。ギクッとして歩みを止めて立つお妙。音でチョッと泣声を止めたお咲が、前よりも更に激しく泣き出す。お妙再びあやしながら歩き出す。ギクッとはしたものの大砲の音を聞くのはこれが初めてではないらしく、不安になっただけで大して驚いてはいない。また大砲の響。……)おおよし、怖くはない、怖くはないのよ。ドーンって。ドーンって鳴るねえ。ドーン、ウルルルル。ねんねするのよ、咲ちゃは善い子だ。さ、ねんねよう、おころりよ、筑波のお山に火がついたあ、火がつい
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