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真珠湾の報道が発表されると
山田先生は研究会一同をひきつれ
右翼革新団体のD塾主催の
二重橋前の早朝戦勝祈祷式に参加した
徹男さんも参加した
まだ朝露にぬれた砂利の上に
全員ハチマキをし、素足で立って
ミソギの行《ぎょう》に声を合わせてイヤサカを叫び、
最後に、地に伏し、土を抱いて、泣いた
あの時、山田先生の頬に
拭いても拭ききれぬほど流れた涙が
ウソの涙であったろうか?
それは知らない、しかし私の頬に流れた涙と
徹男さんの頬に流れた涙とが
ウソの涙でなかった事は私が知っている。
私たちの劇団でも、日の丸の旗をそろい持って、
宮城前に集って、これからはただ一筋に
戦いに勝つために、軍や国民への慰問と激励のシバイだけに
命がけになることを誓った。
山田先生は間もなく軍報道部の嘱託で
南方占領地の文化工作の任務を与えられ
勇躍して出て行き、そこから半年後に戻って来ると
軍や情報局の依頼を受けて
国内各地の講演、指導、宣伝などに活動した
もうその頃になると
大東亜共栄圏論者としての
ひところの控え目な消極的な態度は全くなくなって
堂々と積極的で確信的で
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