あなたの兄さんは、戦争中に、
右翼の国内革新論の講演をなすっていたのと同じような熱と火と美しい言葉で
左翼の論説をなすっています
あなたは戦争中の兄さんの理論に引きずられ、信じ切り、悔いを知らずに出征し
そして今あなたの骨は、どこかの海の底の岩かげに横たわっているの?
そうして私は、こうしてからだも心もくずれこわれて
腐れかけて坐っています
何かいうことがあった徹男さん
カタカタカタと骨と骨とを打ち合せて
私たちの前におどり出ていらっしゃい!
こうなった私と、しゃべり立てているあなたの兄さんの前に!
ちきしょうッ!
憎しみが、ギリギリと憎しみが
腹の底から突き上げて来る!
人も自分もまっくろになり
ドクンドクンと胸いっぱいに脈を打ち
耳が聞こえず、目が見えなくなったまま
どれくらいの間、私は坐っていたのだろう
気がつくと、そこらいちめん息苦しく
私は息がつけなくなり、チッソクしかけていた!
山田先生の声はまだつづいている
人民民主戦線――?
人民戦線だって?
それは、なんだ! なんのことだ?
とにかく、私は息がつけない、苦しい
助けてください、空気が欠乏して来る
兄さん、徹男さん、助けてください
いいえ、先生――なんだって?
山田先生?
そうか、山田先生、お前さんか?
だしぬけに、私の頭がシーンと静かになり、
ああ! と思った
そうだ、お前さんといっしょの空気を吸っているわけには行かないんだ私は
お前さんといっしょに呼吸してはおれないのだ私は
お前さんが生きている世の中で私は生きておれない
私は死ぬのは、まだイヤだ
お前が死ね。
…………
そして、私はあの男を殺す気になっていたのです。

それから一週間、クラブもお座敷もパトロンも、みんなことわって
アパートのベッドで毛布を頭からひっかぶり
考えに考えぬいた
先ず、人を殺すのは悪いぞと思った
しかし、悪い? 何が悪いの?
牛を殺して食って、悪いかしら?
いいや、人間は牛ではない、悪いとも!
だけど、悪くたって、それがどうしたの?
――善い悪いが私にとって――人ではない、この私にとって、善い悪いがなにかしら?
悪いことは知っている、知っていても
山田先生、お前さんは生かしておけないのだ。
しかし待てよ
こんなふうにあの男を憎んでいる私の憎しみそのものが
まちがった所から生れたものではないだろうか?
山田先生が私に対して
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