ぼとけえ、と。……あのう、おとどし見えた敏行さんと言う方はフランスにおいでだそうでやすね?
香川 敏行君? どうして、それを君、知ってるの?
金吾 こねえだ春子さまが、そう言ってござらした。自分も来春あたりあっちへ行くだとかって。ホントかね?
香川 ……ホントらしい。だけど、そんな事が、よく人に言える。そう言う人なんだなあ。
金吾 へ? 誰が?
香川 いや、春子さんさ。
金吾 春子さまが、どうかしやした――?
香川 いやいや、なんでも無い。……(泥を叩く。ヤケ気味に歌のつゞきの囃しを歌う)はあ、どっこいどっこい、どっこいさと? ……僕もね、学校なんぞいいかげんにして、もしかすると来春あたりブラジルに渡るかもしれない。
金吾 ブラジル? 香川さんがかね? どうしてまたー?
香川 ここらにマゴマゴしていると、人間どこまでメソメソした気持になるかわからん。われながら僕は自分の心が弱いのにはアイソがつきるんだ!
金吾 でも、ブラジルとは又――?
香川 フランスだとかアメリカだとか、僕の柄じゃ無いんだ。ブラジル移民に混って乗るかそるか、身体ごとぶっつけて働らいて見たいんだ! クソッ!(と、パタンと泥を叩きつける。歌)盆が来たのに、踊らぬ奴はあ。
金吾 (おくれて合せて歌う)……踊らぬ奴はあ。
二人 木ぶつ金ぶつう、石ぼとけ。はあ、どっこいどっこい、どっこいしょ。……(くり返しはじめる)盆が来たのに――
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その歌の尻にオーバラップして遠くから女性二部合唱、(春子と敦子)の歌声が流れてくる。「ドナウ河のさざなみ」こちらの歌と向うの歌のオーバラップはしばらくつづく。
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月はかすむ春の夜や
岸辺の桜、風に舞い
散りくる花のひらひらと
流るゝ川の水の面
さをさすささ舟、くだくる月影
吹く風さそう花の波
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二人の歌は次第に近づいて来て、やがて疎林の間を歩む二人の足音がこちらに近づく。
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香川 (それを聞きつけた瞬間に盆歌をやめている)あ、春子さんたちが、こっちへ来る。
金吾 (これも歌をやめて)へ? ……(女たちの歌声)ああ。
香川 食べる物もって後で行くと言っていたから……(二人は耳をすまして女たちの歌を聞いている)よし! どうするか、この中に隠れていてやれ!(ドタドタと足音をさせて、カマをまわって、たき口から中にもぐり込む)わあ、暗いな。
金吾 どうしやす?
香川 もうちっと、そっちへ寄れない? やあ、ここにいれば見つかりっこない。あとでびっくりさせてやるんだ。黙って黙って金吾君。(二人はクスリと笑ってシーンと静まる)
春子 (かなり離れた上の方に立停って)このへんじゃなかったかしら、敦子さん?
敦子 (これも同様)そうね。ああ、あすこよ、春子さん、ほら!
春子 ああ、もうすっかり出来あがってるわ!(ペシペシと枯れ枝を踏んで走りおりて来る)
敦子 (これも、それに従いながら)そんなに急いでは転ぶわ春子さん!
春子 まあ、可愛いカマだこと。これで炭が焼けるのね。
敦子 へえ、これがそう? 賢一さんと金吾さん、どこかしら?
春子 香川さあーん! 金吾さあーん! どこい行ったのかしら?
敦子 ああ下の川へ石を取りに行ったんじゃないかしら? 内側を石でたたむんだって言ったから。きっと、そうよ。
春子 じゃ、いっときここで待っていましょうか。やれ、うんとしょ。(草の上に座る)敦さんも、ここにお坐んなさい。
敦子 ……いやだ。
春子 あら、なあぜ?
敦子 いやだからいや!
春子 だから、なぜなの?
敦子 春さんみたいなダラシのない人のそばに坐るものか。
春子 なんだ、さっきの議論のつづき? ゆうべもその話だったし、二三日前も半日近くお説教だったのよ。ホントにかんにんして、もう、だって私はウソをついてるんじゃないのよ。
敦子 そう、春子さんは正直に言ってる。だから私は腹が立つの。
春子 敦さんのそう言う意味は、私わかるの。頭ではね。しかし、私には正直のところこうしか思えないのだから、仕方ないじゃありませんか。人間は一人々々、顔や姿がちがうように考えもちがうんじゃないかしら?
敦子 ふん、そりや、春さんはおきれいよ。
春子 あら、まあ、私がおきれいなら敦さんはおきれいの二乗! シャルマン!
敦子 じょうだん言ってるんじゃ無いのよ、私は、
春子 じょうだん言ってるんじゃ無いのよ、私も。
敦子 ま、聞きたまえ! 本気なんだ私、みすみす春さんが不幸になって行くのを私が見すごしていられると思って?
春子 どうして、しかし、私がパリに行って敏行さんと結婚するのが不幸になることになるの? 幸福と言うのは、自分が一番したいと思うことをする事じゃなくって?
敦子 ちがうの! それが、ちがうと言うの! わからないのかなあ、春さんには?
春子 だって、私がそうしたいと思って、私自身が望んですることなのよ?
敦子 ちがいます! 春さんは、そうすればパリに行けて、華やかな外交官夫人みたいな生活が出来るから、そうしたいと思っているだけで――
春子 まあ、ひどい! いくら私が浅はかでも、そんな、ただそれだけでナニするなんて――
敦子 いえ、いえさ、そりゃ、それだけだって、言やあしないそりゃ敏行さまに対してチャンとした気持が春さんに無い事は無いと思う。しかしね。しかしよ、その……敏行さんの事を、春さん、それほど思ってやしない。断言する私! 違ってたら私、あやまるわ。けど、私春さんのためにシンケンで言ってるのよ。……ね? それほど、敏行さんでなければいけないと言う程、春さんは思ってんじゃないでしょ?
春子 ……そうよ。
敦子 そら、だから、そんないいかげんな――
春子 だって、いいかげんだか、どうだかがどうしてわかるの? 男の方とはただいろいろとお附き合いをしていただけですもの、深いことは私にわかりゃしないわ。
敦子 だって自分が結婚しようとする相手、つまり男性――男として、どの人が自分にふさわしいか、つまりホントに好きかと言う事よ、それを選むのに――
春子 ですから、それがどうして私にわかるのよ? ただ、なんとなく好きだから、好きだと言うだけでしょ? 私と言うのは、そうなのよ。敦さんなど、そりゃ御自分の性質がシッカリなすっているから――いえ、お世辞じゃないの――どの方が好きでどの方が嫌、同じ好きでもこの方はこういう意味と言うようにチャンと敦さんにはわかるんでしょう? だけど私はそうでないの。ダラシがないと言われれば一言もないけど、ただ何となく好きになったり――いえ勿論、嫌いな人は、そりゃハッキリ嫌いなんだから、誰でもいいと言うわけじゃ無いけど、私に好意を持ってくださる男の方のことは、私の方でもなんとなくうれしくなるの。それだけよ。浮気なのかしら、と自分のこと思うこともあるけど、うれしくなると言うのは、そういう意味じゃないの。ですから、ホントは私はお父様が一番好きよ。だからいつまでもお父様と二人きりでおれれば、結婚なんかしなくってもいいの。しかし、そういうわけにも行かないでしょ? だから敏行さんに決めたのよ。お父様の次ぎに私の好きな男の方が敏行さんだったから。わけはそれだけなの。それ以外にはわけはないのよ。いけない? でも仕方がないの。私って、自我と言うものが無いのね。生れつきかも知れないし、甘やかされてばかり育ったせいかもしれない。とにかく、こうだもの。仕方がないじゃありませんの。……ね、もうかんにんして! もう、かんにんしてよ敦子さん!(泣いている)……私のことをそれほど心配して下さるあなたのお気持よくわかるの。それから、それほど私のことを考えて下さる香川さんのこともありがたいと思うの。香川さん、今度ご一緒にここに来て下さったのだって、どういうお気持だか位、いくら、私が馬鹿でも、ちっとはわかるわ。でも、敏行とはああしてお約束したんですし、今度父と一緒にフランスに渡ってナニすれば私はもう敏行の妻なんですから。……ね、かんにんして敦子さん! 香川さんにも、かんにんして下さいって、あなたから、よく言ってね!
敦子 …………
(相手の言葉のあまりの真卒さのために、なにも言えなくなっている。遠くで山鳩が啼く。……クスンと言わせて涙をすすりあげて、言葉だけは元気よく)いいわ! 春さん、もう泣かないで。わかった!
春子 わかった? かんにんしてくれる?
敦子 (不意に涙声になって)かんにんしてあげる。でもね、じゃ、ここに居る間だけでも香川に、春さん、やさしくしてあげてね。お願い。
春子 うん。(泣き出している)うん!
敦子 なんなの、泣き出したりして? さ、じゃ、川の方へ行って見ましょ。ね、もう言わないから、ほら、春さん!(手を引いて立たせる)フフ!
春子 フフ!(泣き笑い。二人肩を抱き合って、下の方へ、下生えを踏んで歩み去る。……その消えて行く足音)
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山鳩の声。川波の音が風に乗って流れて来る。
[#ここで字下げ終わり]
香川 ふっ! ……(ガサガサと言わせて炭焼ガマから這い出す)ふう! ……(立って、二人の後姿を見ていたが、やがてカマをめぐつて五六歩あるき、なんとなくビタビタと泥の肌を叩く)うむ。……金吾君!
金吾 ……(カマの中でゴトリと言わせるだけ)
香川 おい、金吾君!
金吾 ……へえ?(くぐもった声)
香川 聞いたろ君も、今の二人の話?(返事なく、カマの中でコトンと音)……へっへ! そうなんだよ僕は。……そいで春子さんを追っかけて来たんだ。へっ! 滑稽だよ! え、金吾君、滑稽に見えるだろ僕は?
金吾 そんな……(ゴトゴト言うが、くぐもって聞えぬ)
香川 いや、そこから出て来てくれるなよ。今、君から見られたら、死にたくなっちまう僕は。ね、滑稽だろう、こういう男、金吾君?
金吾 香川さん、そんなこと……(ゴトゴト言う。ドシンと鈍く石で床を叩く)
香川 僕あ、ホントにブラジルへ行くよ! 望みを失える男、海を渡る! いいだろ? ねえ、金吾君?
金吾 そんな……(ドシン、ドシンと石の音)
香川 (それに合せて、支離めつれつな調子で歌「五丈原」)
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祁山《きざん》悲秋の風ふけて
陣雲くらし五丈原
零露《れいろ》の文《あや》はしげくして
草枯れ 馬は肥ゆれども……
(「零露の文は」の所からオフになって)
[#ここで字下げ終わり]
敦子 (中年)その時の賢一さんの胸はさぞつらかったろうと思います。しかし、その時、私と春子さんの話をその賢一さんといっしょに聞かなければならなかった金吾さん、そしてそういう事はオクビにも出せなかった金吾さんが、黙って一人で暗い炭焼ガマの中で石を叩いていた気持を思いますと、私は何と言ってよいか胸がつぶれるような気がするのです。
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ドシン、ドシン、ドシンという石の音。
それに合せて歌う香川の歌声が表へ出て来る。
…………
蜀軍の旗ひかりなく
鼓角の音もいましづか
丞相《じょうそう》、病《やまい》あつかりき。
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(二)[#「(二)」は縦中横] 清渭の流れ水やせて
[#ここから3字下げ]
むせぶ非常の秋の声
夜は関山の風泣いて
暗《やみ》に迷うか、かりがねは
…………
[#ここで字下げ終わり]
[#3字下げ]第5回[#「第5回」は中見出し]
[#ここから3字下げ]
勝介
春子
船客一(男)
同二(女)
同三(フランス人の女)
同四(フランス人の男)
ボーイ 他に三人ばかり
金吾
壮六
お豊
おしん
喜助
音楽
「ジャアーンと鳴りひゞく大銅羅の音。しばらく鳴ってから、やむ。」
「やむのを合図にデッキに並んだ管絃楽隊から『螢の光』の曲が起る。」
「ゆっくりとハトバを離れはじめた一万トン級の汽船の船内の物音。――ゴーと言うような鈍い響に、クリッ、クリッと何かの滑車の音、タタタとデッキのタラップを走りおりる船員の靴音、それに舷側に並んでハト
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