、感傷的なお嬢さん方の前で、そ言った人道論を言い出している所に、僕あほほえましきものを感ずるね。
香川 すると何か、僕は心にも無い事を言っていると君は言うのか?
敏行 まあまあ怒りたまうな、ハハ。そこに僕は君の青春を感ずると言ってるんだ。いいじゃないか実に!
香川 そいつは君、あんまり失敬な――
春子 いいじゃありませんの香川さん! もういいわ。敏さんも少し変よ。いいじゃありませんか、そんなこと。もう帰らない? すっかり寒くなって来ちゃった。あら、敦子さんと金吾さん、どこへ行っちゃったかしら?

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ザーッと風の音。水の音。
ギャアと鳥の鳴声。
金吾と敦子の足音がフッと停まる。
[#ここで字下げ終わり]

敦子 あら、みんなあそこで坐りこんでしまったのかしら?
金吾 そうでやすねえ。
敦子 おーい(遠くで微かにやまびこ)……聞こえないようね。もう帰りましょうか? どうせ、もうこんなに薄暗くなって来たんですもの、今日はこれ以上登れやしないんじゃなくって?
金吾 そうでやすねえ。
敦子 急に寒くなって来たわ。おりて行かない? それにね。(笑いを含んで)ああして春子さんが腰かけてしまえば、敏行さんも賢ちゃんも、それを置いてこっちに登って来たりはしないことよ。物凄いライバルだから、ほほ。
金吾 ……ライバル、でやすか。
敦子 そうなの。いえ、春さんはあの調子で無邪気一方なんだから、なんて事は無いのよ。その又、あどけ無い甘ったれ屋さんな所が若い男の人には魅力なのね。無理も無いわ、私が見たって可愛いいんですもの。麻布の春子さんのお家へは、お婿さん志願者が六人も七人も、それこそ入れ代り立ち代りつめかけてるのよ。その中から、ああしてこんな所までノコノコ附いて来る人たちですもの、敏行さんも賢ちゃんも、なかなか引きはしないわ、さ、もどりましょ。(草を踏む音をさせて坂をくだりはじめる)
金吾 へえ。……(これも歩み出す)

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キイ、キイ、ギャッと鋭い鳥の声。
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敦子 ああびっくりした! なんという鳥、今の?
金吾 ……はあ。
敦子 どうかなすって、金吾さん?
金吾 はあ、そうでやす。
敦子 まあ、フフ、ホホ……(しばらく黙って歩いてから)ねえ金吾さん、あんた、どうして泣いたんですの、去年の夏? なぜ泣いたの?
金吾 へ?
敦子 春子さんや春子さんのお父様とはじめてナニした馬車の中でよ。春子さんと何度か議論してもハッキリしないの。なぜそんなに泣いたんですの、あんた?
金吾 はあ。そんな、わしは――
敦子 ワアワア声をあげて泣いたってえじゃないの。いえ、それを馬鹿にしたり軽蔑する意味で春子さんも私も言ってんじゃないのよ。ただ、なぜだろうと思ってね。仔馬が可哀そうだったから?
金吾 どうも、そんな――
敦子 春子さんが泣いたから、そいで貰い泣き?
金吾 どうも――
敦子 そういう時の春子さん、綺麗でしょ? だから? 春子さんが、あんまり綺麗だったから?
金吾 そんな……もう、あの、ごかんべんなして。
敦子 ホホ、ホホ。いいわ金吾さん! フフ!

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下の方から風に乗って三人の歌声が近づいて来る。「さすらいの歌」(行こか戻ろかオロラのしたをロシヤは北国はて知らず、西は夕焼、東は夜明け鐘が鳴ります中空に。)

(敏行と香川の歌声は、何か少しイライラしたようなやけくそ気味で。春子は感傷的に)
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敦子 あら、あんな歌うたってるわ。いい気なもんね! (トットットッと走りくだりながら)さ、金吾さん!
金吾 へえ。おーい! (と歩きながら下へ呼ぶ)

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三人の斉唱の「さすらいの歌」が急速に近づく。

音楽
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[#3字下げ]第4回[#「第4回」は中見出し]

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 敦子
 春子
 香川健一
 金吾

音楽
[#ここで字下げ終わり]

敦子 (語り、中年過ぎになってからの)はい、私が敦子でございます。さようでございますねえ、あの当時、つまり明治の末から大正の初めにかけての、東京の割に良い家庭で苦労知らずに育って、高等教育を受けた私のような娘の生意気さと申しましょうか、ちょうど、イブセンの「人形の家」が、紹介されたり、「青踏」という雑誌が創刊されたり、新らしい思想が外国から盛んに入って来たりした時代の空気のせいでもございました。それに黒田の春子さんはあの調子で、何かと言えば敦子様々々々と私のことをお姉さま扱いになさいます、つい、自分にはなんでもかでもわかるような気持になっていたのですね。今から思うと冷汗が流れます。でもほかの事は、まあとにかくとして、あの頃の、金吾さんという人の、春子さんに対するあんなに深い気持を見はぐっていたことに就いては、ホントに私は自分が許せないような気がするのでございます。春子さんは、あの調子で気づかなかったのは、仕方がありません。しかしこの私は、私ぐらいは、それをわかってやらなければならなかったのです。それがわからなかった。もっとも金吾さん自身が、春子様にそれほどナニしながら、あんまり身分やなんかが違い過ぎるせいでしょうか、自分の心の上に何が起きたのか、自分でも気が附かなかったようですの、最初から望みを持つ――も持たないも無い、はじめっから、まるで諦らめている、いえ、手に入れようと望みもしないのですから、諦らめるという事も無いわけです。そういう事もあるのでございますねえ。……ズッと後になって私、樹氷というものを見たことがございます。所も同じ信州の高原地の冬のことですけど、物みなが凍てついて静まり返った零下二十度からの夜明け方にあちこちの樹の幹と言わず、梢と言わずホンの一瞬のうちにビシリと氷りついて、それが朝陽に真白くキラキラと光り輝いて、それきり春先になるまで溶けないのです。その冷たさ、美しさ、不思議さと申しましたら! 春子さんに対する金吾という人のことを思うたびに、私はその樹氷の姿を見るような気がいたします。

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音楽
[#ここで字下げ終わり]

あれは、私と春子さんが学校を卒業した年の夏でした。又々すゝめられるまゝに、春子さんの信州の別荘に行ったのですが、その前の年の暮れに春子さんは例の遠縁にあたる敏行様と御婚約が出来ていたのです。敏行さんという方には、そのころフランス駐在の外交官をなすっている伯父さんがありまして、その方のすすめで、大学は途中でやめて法律の勉強のためパリに渡られたのですけど、それを前にして春子さまに対してタッテとの申込みでして、春子さまはあの調子で、軽々しいと言いますか、そうなれば自分もフランスに行けるからと言ったようなお気持だったと思います。お父さまは何事につけても娘さえ幸福ならばと春子様まかせ、それで、婚約が成り立って、敏行様はフランスへ出発なすって、半年もしたら春子さまを向うへ呼び寄せると言うのでした。そういう、つまり春子さまにとっては娘としての最後の夏と言うわけで、それまでの沢山の求婚者たちは、ガッかりして引きさがったわけでして、私のイトコの香川賢一もその失恋した一人でしたが、この人だけはどうしても諦めきれず、もう一度春子さんのホントの気持を聞いて見たい、なんとかして機会を与えてくれなんとかしてくれと泣くように言いますので、私から春子さまに頼みますと春子さんは例の調子で、さあさあとおっしゃいますので、春子様のお父様と春子さまと私に、香川、この四人が信州に行って、その夏を暮したのです……ちょうどそれは、別荘と自家用の炭を焼くために金吾さんが炭焼きがまを築くと言いますので、二三日前から香川は手伝いに通っていて、私と春子さんはあとから、その小川の岸に行くことになっていました……

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川のせゝらぎの音。遠く山鳩の声。石の上に泥をベタベタと叩き塗る音と、時々(石を石で叩く)ドシンドシンと石で地面をならす響。
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香川 (「札幌農大寮歌」をハミングしながら、それに拍子を合せて、炭焼ガマの外側に泥を塗っている)……。さあて、こっちは大体よしと。金吾君、上の方もズッと塗るの?
金吾 (声が出くぐもって聞えるのは、半出来のカマの内側にもぐり込んで、その下方を石でならす仕事をしているからである)いえ、上の方は結構でがす。それは原木を積み込んでから塗りこめるんで。
香川 じゃ、後の方をもう少しやるかな。……(と、ベタベタとまた仕事をはじめながら)これだけのカマで、一度にどれ位の炭が焼けるのかな?
金吾 へえ? そうでやすね、そこに積んである原木で大体まあ二度分ぐらい有るから、一度で先ず十俵たらずと言うとこだ。まあ四五回火入れをすれば、別荘とおらんとこの分の炭あ取れる。(ドシンドシンと石で[#「石で」は底本では「右で」]床を叩きながら)
香川 君あ、こんなカマの築き方なんか、そのほかいろんな百姓の仕事、誰に教わったの?
金吾 誰に? そうさなあ、誰に教わったと言うわけでもねえですよ。はゝ、自然に、この、見よう見真似で――
香川 そうかなあ。……僕ら東京へんで育った人間は駄目だな。
金吾 なんでやす?
香川 いや、これで僕なんぞ農科なんぞに行ってて、実習もさんざんやってるんだ。それがしかし一つ一つの実際の事になると、ほとんど役に立たないもんな。君なぞは、見てると、着々として山を買いとって、そいつを切り開いて畑は作り上げているし、小さいながら家もある。それを君あ四五年の間にやって来たと言うじゃないか。えらいと思うなあ。
金吾 えらいのなんのと、そんなこっちゃ無えですよ。わしらはそうしねば食って行けねえからしようことなしにすることだ。
香川 だからさ、僕らみたいに学校教育の中にアンカンとしてるだけでは、しょうが無いんだな。実あね、今度来てみるまではそれほどにも思っていなかったけど、例の水田ね、一昨年やって来た時、君あ、あすこにホンの十坪ばかりを囲って水を入れてジャブジャブひっかきまわしていたんだ。僕が見ても、まるで子供のママゴトみたいで、トボケタ話だと思ってたんだ。それが今度来て見たら、そうさ、あれでいくらの実も着いちゃいないけど、とにかく稲が育っているんだ。驚ろいちゃった。黒田先生もそう言っていられた。とにかく考えていては、出来ることじゃないって。
金吾 いや、わしら、考えようにも、そったら頭あ無えんだから、たゞめくらめっぽうにやって見るだけでやして。それが時には、まぐれ当りに当るだけでね。もっとも、あの稲についちゃ、半分は川合の壮六の骨折りだ。彼奴は俺のためにはるばる試験場からいろんな種もみ運んで来ちゃ、泊り込みで加勢してくれてね。奴は稲作の事にかけちゃ、あれで随分勉強もしてやすから。
香川 だからさ、その川合君の勉強にしてからがさ、直接にこゝらの土地や百姓と取りくんでする勉強と、僕等が教室で教わる学問との違いだよ。
金吾 そら、壮六と言う野郎は偉うがす。ヒョンヒョンと、いつもヨタばっかり飛ばしているが、中学校も二年ばかし行ってるしね。は、あの稲が二つ三つ花を附けた時の彼奴の嬉しがりようと来たら!
香川 そうだろうなあ……
金吾 アゼに立って、歌あ歌って盆踊りを踊り出す始末だ。しまいに、俺の頭あ、ぶっ叩きやがったっけ、はっはは。
香川 わかるなあ、その気持は。……(泥を叩く)川合君と言えば、ここんところしばらく、やって来ないなあ。(チョット歌の真似)やーれ、盆が来たのにっと。……歌がまだ習いかけだ。やって呉れないかな。
金吾 奴も忙しい身でねえ。この秋あの水田で育った稲から米の一升でも取れたら、その祝にあのタンボで酒え飲んで踊るんだなどと言ってる。……(石で床を叩きつゝ、歌の続きを口ずさむ)踊らぬう奴は、と。
香川 妙なことで、こんな所に来さしてもらって、君や壮六君などと知り合いになって、僕あ実際、思いがけない大事なことを知ったな。……(歌のつづき)木ぶつ金ぶつ。
金吾 (歌)石
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